靴ひも

「へぇ、レストランのオーナーさんなんですか」


「えぇ。いつか機会があれば、是非いらしてください」


「はい。なんなら明日にでも」


「それはそれは、楽しみに待っております」


 さきほど初対面だったにも関わらず、二人は会話をはずませながら影が伸びる道を歩いていた。


 普段はついていくのに集中して返事が上の空になりがちなカナだが、涼仙りょうせんの自転車のハンドルを掴んで歩かせてもらえたおかげで、会話を楽しむことが出来た。


 道を曲がるときにリードしてくれるシワシワな手に触れて、その優しい口調から頭の中に英国の老紳士のような人を想像する。


 実際にそこまで外れていない老紳士は、ふと靴屋のまえで止まった。


「靴屋で紐を買いましょう。そのままでは私も気になりますしね」


「え、でも今お財布が……」


「私からのプレゼントです。今後、同じ目的のために動くこともあるでしょうからね」


「でも、いいんですか?」


「お返しは、後日私のお店に来てくださるということで」


「……ありがとうございます」


 涼仙にエスコートされながら靴屋に入り、靴紐を選ぶ。


 店員に持ってきてもらった紐を並べ、涼仙はカナに触らせながら色や長さを教え、時間をかけて選ばせる。


 そしてカナが決めた茶色の靴紐を涼仙がしっかりと結んで、じっくり見つめた。


「お似合いですよ」


「フフッ。涼仙さんが服屋の店員さんだったら、みんなたくさん買っちゃうんでしょうね」


「それはそれは、経営者として嬉しいかぎりです」


 会計を済ませた涼仙は、震えたアイフォンを手にとって指でスライドさせた。


「神様から?」


「えぇ。メールがきたということは、これから厄介ごとが起こるということです。その前に、カナさんを家までお送りしましょう」


 日は半分ほど沈み、すでに街灯が光る時間になった。太陽が沈んで、風に冷たさを感じる。夜になって完全に日が沈むまえにカナを無事送り届け、涼仙はその胸に手を当てた。


「ありがとうございました、涼仙さん。明日、お店まで行きますね?」


「はい、お待ちしております」


「あの、本当にいいんですか? やっぱり私も……」


「いえいえ、問題ありません。少々お話するだけですので。さぁ、そろそろ入りませんと」


「……ありがとうございます」


 カナが家に入るのを見届けると、涼仙は家のまえで自転車を止めてアイフォンの画面を指でスライドし始めた。


 若者顔負けの速さでメールを送ってアイフォンをポケットにしまうと、それとほぼ同時に目の前で一台のパトカーが急ブレーキをかけた。


「……あなたは?」


「警視庁の警部とお見受けします。竹網たけあみ涼仙です。小さなレストランのオーナーをしております」


「警視庁警部、九条くじょうだ。何故、俺が警部だと?」


「あなたたち警視庁が探す、メールの所持者だからです」


 青ぶち眼鏡のレンズの奥で、九条は涼仙を見る目を変えた。


 同じころ、カナを探していたさやかはカナが帰宅したと電話をもらって帰り道の途中にいた。


 帰ってカナに注意をする気満々のさやかは、道に転がっていた小石を道の端に蹴って飛ばし、フンと息を漏らす。すると前方に止まっている車を見つけ、さやかは一度立ち止まった。


 昔あのように止まっていた車の側を通り過ぎようとして連れ去られ、長い間閉じ込められるはめになってしまった。ゆえに道の端で止まっている車には、普通はいらないほどの警戒心を持って側を通る。


 例外はなく、今日もさやかは警戒心いっぱいで車の側を早足で通ろうとした。


中川なかがわさやかってのは、君のことか?」


「……何? ストーカー?」


 運転席に座ったまま、タバコを灰皿に擦り付けて火を消す。


 男が胸ポケットから出したものを見て、さやかは車からさらに一歩距離を取った。


「警察手帳が怖いか?」


「怖いんじゃないわ。信用してないだけよ。私を助けてくれなかったくせして、正義の見方面してる連中なんてね」


「まぁ、そうだよな。だが今から教えることは、おまえの友達に関わることだ」


「友達って、やっぱりストーカーじゃないの?」


「ヘッ。俺が調べようとすることは、このPoliceポリスメールが先行して調べてくれるんでな」


「……あなたも、メール所持者なのね」


「少しは信用できたか?」


 さやかはフンと息を漏らし、男の車に寄りかかった。


「早く話して」


「……今警視庁が、神のメールを欲しがってる」


「何で?」


「神を見つけたら、このチート能力を自分のにするためだ」


「正義の組織も堕ちたわね」


「あぁ、俺もそう思ってる。だから上に逆らって、最近俺を白い目で見る連中が増えた」


「……そう? で、その警視庁の人間が、カナのところに行ってるのね?」


「そうだ。車に乗るんだったら送ってやるが、乗らないなら急げ。上がどういう奴を送ったのかは知らないが、強硬手段に出る奴もいる」


 言葉が終わるか終わらないかのところでさやかは急に駆け出した。


 さやかの走る姿を見て、男はアイフォンを鳴らした。


二界道にかいどうだ。倉森くらもりカナと中川さやかのとこに、誰を送ったか分かったか?」


 調べさせていた自分の部下から名前を聞いた卓は、タバコをもう1本取り出して火を点けた。

 

 頭を抱え、煙を屋根に吐き出す。


「九条だと……あいつ、まえに酔ったじぃさんボコッて厳重注意されたばっかだろうが。クソッ!」


 エンジンをかけたばかりの軽自動車がアクセルを踏まれ、走り出した。


 シートベルトをかけ忘れたまま、二界道はさやかを追い越してカナの家に車を走らせて行った。



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