自分のキモチ

「いやぁ、次回作が楽しみだねぇ」


「ハイ! おもしろかたデス!」


 毎年公開されている映画の続編を二人きりで見に行っていた彩とティアは、他の客より遅く出てきた。清掃員が蓋を閉めようとしたゴミ箱にポップコーンの容器を投げ捨てたあやに、ティアが手を叩く。


「コーキくん、今日は残念デシタネ」


「まぁ、補修となっちゃしょうがないさ。この後も二人で楽しんじゃおうよ」


 光輝こうきの補修というのは、結衣ゆいのケータイ奪取のときも使った彩の嘘である。実際は光輝がどこにいったのか、彩にも分かっていなかった。


 映画館のある階より下の階に下りて昼食を取る場所を探していると、ティアは店の前に立つ看板を見つけて立ち止まった。


「どうしたんだい? ティアくん」


Coupleカップルだたら、安いというコトデスカ?」


 ティアが指差す看板を見て、彩はあぁと頷いた。初めて光輝と会ったときに入ったパスタの店の看板だった。おどおどしていた初対面したときの光輝を思い出す。


「ここは入れないや。僕、光輝くんと一緒にここ行っちゃったからさ」


「……コーキくんと、デスカ?」


「うん」


「ふぅん……そデスカ。じゃ、ほか探しまショウ」


 自分の中で違和感を感じながら彩に見せた笑顔は、どこか強張っていた。映画に不満はなかったし、彩に気に入らない言動があったわけでもない。


 だが今、何かが引っかかって気持ちが曇った。お陰で彩に不快に思われるかもしれないほど、笑顔が強張ってしまった。


 理由を探すが、これといった理由は見つからない。何がここまで、自分の気持ちを不安定にさせるのか。


「ティアくん? 顔色悪いよ?」


「Oh、Sorryソーリー! でも大丈夫デスよ、アヤさん! 行きまショ!」


 不安定な気持ちを振り払って、ティアは彩の腕を引いた。結局昼食はその階にあったファミレスで済ませ、その後2人はショッピングを楽しんだ。


 夕方、ショッピングで買ったものが入れられた大量の袋が2人の両腕にぶら下がっていた。元々持って来ていた持ち物に合わせ、両腕の袋が疲れた体をグッと重くする。


「もう七時かぁ……今日はここまでだね、ティアくん」


「そデスネ。今度はコーキくんも誘って三人で――」


 三人?


「ティアくん」


「い、いえ。何でもないデス……じゃあアヤさん、また明日!」


「う、うん……バイバイ」


 早足でその場から去って行くティアの背に腕を振り、彩は溜め息を漏らす。度々思考が止まったように動かなくなるティアを思い出し、ティアの背から視線を外した。


 ティアの動きが止まった瞬間と、そのときの会話内容を思い返す。そして思い当たるのは、たった一つ。彩は腕からすべり落ちそうになる袋を腕にかけ直し、また溜め息を漏らした。


『明日、自分の気持ちに気付ける日! 自分の得意分野を実践してみよう!』


「自分の……気持ち?」


 Fメールに書かれた文面を何度も読み返す。信号が青に代わったのにも気付かず、信号が赤に戻ってから顔を上げて、まだ赤なのかと勘違いした。


 メールの内容から今日何度もあった曇りが晴れるのを期待して、ティアは顔を上げた。信号が、また赤になろうとしていた。

 

「コ、コーキくん? どしたデスカ?」


 翌日、廊下を歩く光輝の後ろ姿を見つけて声を掛けたティアだったが、振り返った光輝を見て言葉を失った。


 頬には布を当てて首に包帯を巻き、両手の指にいくつも絆創膏ばんそうこうを巻いている。あまりにも痛々しい姿に、用意していた言葉がすべて頭の中から消えた。


「あぁ、ちょっと転んじゃって。大丈夫だよ」


 大丈夫という光輝だったが、潤んだティアの目は潤んだままだった。何とかしようと言葉を探し、焦りで頭を掻き始める。


「あの、今日もピアノ教えてくれマスカ?」


「あ……うん、行こうか」


 ティアが無理に笑顔を作っていることに、光輝は違和感を感じてまた焦る。ティアの後ろについて自習室に行くあいだも言葉を探したが、結局ティアがピアノの前に座っても見つからなかった。


「何を弾きまショか」


「え、えと……好きなのでいいよ」


「いきなりそう言われて、困りマス」


「いや……何弾けるのかとか、分からないから、ごめん」


 沈黙が続く。今までティアと話していて、思えばこれほどティアが黙っていた時間はなかった。ゆえにまた焦る。


「……じゃあ、モーツァルトでいデスか?」


「得意なの?」


「ハイ! イチバン多く弾いテル曲デスから!」


「……よし! 弾いたことないから何も言えないかもしれないけど、力になれるよう頑張ってみるよ」


「ヨロシクデス!」


 いつものティアの笑みと活気が戻って、光輝は安堵した。


 鍵盤に指を添えて深呼吸を繰り返し、また光輝に振り返って笑みを見せる。そして鍵盤に意識を集中させて、ゆっくりと指を落とした。


 序奏、ゆっくりとしたテンポで指を滑らせる。小さなピアノからしっかりと音が響き、部屋全体を包む。


 段々早くなるテンポ。指だけでなく腕も使って、鍵盤を歩かせていた指に走らせる。


 遅くなったり速くなったり、ゆっくり変わるテンポに合わせて動きも変える。


 そうして五分ほど弾いていると、叩いていないはずの鍵盤を叩いた音がした。演奏を止めてふと見ると、後ろにいた光輝が隣に来て鍵盤を押していた。


「コーキ……くん。ドーシマシタカ?」


「力まないで、ティアさん」


 言葉の意味を理解出来なかったティアだったが、その理解はすぐに出来た。


 額が汗ばみ、呼吸が乱れていつもより大きく息を吸い込んでいるのに気付く。額に手を当てて見つめると、大量の汗が手にベットリと付いた。


「動きが大きくて、感情的になってる。演奏会だと、感情的過ぎる演奏はマイナスに見られることがあるから気をつけて」


 隣で注意する光輝を見上げる。すっとした顔を俯かせて鍵盤を見つめ、絆創膏の巻かれた細く白い指で鍵盤を押し続ける。


 そして鍵盤に向けられていた視線と指が自身に向けられたとき、ティアは体の火照りを感じた。


「動きを変える癖のせいで、テンポが変化するときに少し速くなってると思うんだ。少し弾くときの腕の動きを、考えなきゃいけないかもしれない」


 自分の手に光輝の手が重なる。自分の真後ろに光輝が来て、ティアは背中と頭と手とで光輝の体温と気配を感じた。


「自分の感情をそのままピアノで表現出来るのはいいことだけど、過度に表現するのは逆効果なんだ。だから難しいけど、その調節を――」


 ティアの手に重ねた自分の手に、さらにティアが重ねてきた。ハッとなって冷静を取り戻した光輝は手を引こうとしたが、ティアが離さなかった。


「コーキくんて、ピアノ好きなんデスね。いきなり手ナンテ掴んで、ビクリしまシタ」


「ごめん……教えて欲しいって言われたし。出来ることはしたいなって」


「アリガトーゴザイマス、コーキくん。コーキくんに教えてって頼んでよかった……それにワタシ、自分の気持ちに気付けたヨ」


 光輝の手を離したティアは立ち上がり、満面の笑みで振り返った。


「いつか絶対、コーキくんのピアノ聞かせてクダサイ。ワタシ、ピアノが好きなコーキくんが、ダイスキデス」


 自分の手を擦って自分を見つめるティアを前に、光輝のなかの時間がグッと遅くなった。





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