払った火の粉

 季節は六月。梅雨の時期と呼ばれているが、一週間経った今日まで雨の日はなかった。連日日が差し込む大部屋の扉を、ゼウスがノックする。

  

「神様、今日の報告ですが」


「あぁ、是非とも頼むよ」


 面の奥で高い声と低い声を同時に震わせて、神はゼウスの方に向き直った。


 相変わらず真っ白な格好に身を包ませているゼウスが神の部屋に来ると、照明が反射してゼウスをより白く見せた。


「まず、ポセイドンが回収しようとしたデュオニュソスですが、Wメールの参加者によって殺害され、回収は不可能となりました」


 神は面の奥で溜め息をついた。頭を抱え、面で見えない表情をさらに隠す。


「それで、ポセイドンは?」


「負傷し、例の件が再発したようです。ですが、命に問題はありません。今も下で、ハデスとじゃれてます」


「そうか……無事でなによりだな」


 ソファーに腰を下ろし、上半身をよりかからせる。神は面をほんの少し持ち上げて息を漏らすと、面を付け直してゼウスの方に視線を向けた。


「参加者の様子は?」


「BとP、S以外はとくに変わった動きはありません。ただ……」


「うん?」


「さきほどのデュオニュソスの件。WだけでなくGとH、さらに例のEとJが関わっていたようだと、ポセイドンが」


「そうか」


 座ったばかりの体で立ち上がり、窓越しに外の景色を眺める。そしてしばらくすると、振り返らないまま面の下で声を震わせた。


「刺激が欲しい……このままでは、我は見つからずにいるのではないのであろうか」


「刺激、といいますと?」


「スリルだ。見つかるかもしれないと言った緊張感……我は今、それが欲しい」


 首を傾げるゼウスに背を向けたまま、神は空を仰ぐ。


 日の光が面を照らし、面から入るわずかな光に神は目を細めた。


「すこし、スリルを味わってみようか」


「どのように」


「ふぅん、EとJの実力は今はいい……今度はあの参加者にするか」


「神様?」


 自分の側を通り過ぎ、ドアノブを掴んだ神にゼウスはまた首を傾げる。ドアを半分開けたところで、神はゼウスに振り返った。


「ゼウス、共に来い。スリルを味わいにいく。駄目なら、ジェットコースターなる乗り物ににて我慢しよう」


「いえ、すべては神のお心のままに」


 高低音混じった声でクスクスと笑いながら、神はゼウスと共に私室を後にしていった。


 東京のとあるネットカフェの個室で、キーボードをせわしく叩く音が続いていた。


 ネットカフェだから当然なのだろうが、何の注文もせず六時間キーボードを叩きながら部屋に閉じこもっていては、せわしいとしか思えない。


「おい。あの部屋のお客さん、生きてるんだろうな」


「えぇ……ずっとキーボードの音はしてますから、多分」


 そんな会話が店員の間でされるほど気配を消していたのは、蒼と碧のオッドアイの男、Bメールのジャック・キャビラスだった。


 全神経を画面へと集中させて六時間。その目は疲れを知ることなく、まだ画面の文字列をしっかりと追っている。間違いを見つければ脳に信号を送って手を動かし、即座に修正するよう促していた。


 ジャックがこもっている理由は無論、ハッキングである。注文をしないのは、画面を見て悟られないため。素人でもする基本。故に普段漏らす独り言も、ここでは頭の中で済ませる。


 見つからない……どの携帯電話会社のネットを見ても、神が俺達にメールを送ってる情報がない。どうやって送りつけてきてんだ。


 このハッキングで会社は大パニックになっていることなど知らず、ジャックは今見ていた会社のデータをコピーしてデータチップに保存した。


 さて……困った。これで日本にある携帯会社はすべてハッキングしたはず。今のところ、もう調べる場所が――


 パソコンの画面が赤く光りだす。突然の変化に驚き、思考が止まる。だが画面に書かれた文字を見て、すぐさまキーボードを叩いた。


 Emergencyエマージェンシー――非常事態


 何が起きた?!


 原因を知るため、自分のパソコンを繋げてワクチンウイルスを打ち込む。しかしいつもより時間がかかり、ジャックは額に汗を浮べた。


 ハッキングされてる? しまった……狙いは俺がパソコンを繋げることか!


 すでに自分のパソコンも店のと同じ状況になっていた。自身のパソコンにある逆探知のプログラムとケータイをポケットから出し、迎え撃つ体勢に入る。


「俺のデータをコピーしようってか? 望む所だ」


 もはや独り言を抑えられてないことにも気付かず、休むことなく指を動かす。そして待ってましたといわんばかりに、メールが来たケータイを掴んで文章に目を通した。


「誰だか知らないが諦めろ。お前のBugバグは見つかった」


 欠点を見つけて伝えるBメールの効果は大きく、すぐに相手のハッキングを弾き飛ばしてパソコンをロック出来た。その場でジャックは息を吹き、自分の体に溜まった疲れにようやく気付いた。


「何だったんだ……今までアタックしてきた奴はいるが、ここまで来られたのは初めて――」


 パソコンに表示された警告文に、ジャックはまた息を漏らした。額に手を当て、天井を仰ぐ。


「いけね。相手のデータの一部、間違えて全然違う人に弾いちまった。すぐに消してやらねぇと」


 そうしてデータを送ってしまった相手を見つけ、消去しようとしたジャックだったが、その相手の名を思い出して固まった。そして消去せず、データの内容をハッキングして確認する。


「やべっ、しくった」


 荷物をまとめて個室から少々急ぎ足で出ると、精算を済ませて店を出た。頭を掻きむしり、焦りを露にする。


 神め……俺が弾くことは計算済みってことか? ということは、あの相手に行くのもすべて仕組んでるとしたら――


 そのとき送られてきたBメールを見たジャックは絶句した。その場で呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。


『君の欠点は後先考えず、すべての火の粉を払うことだ。たまには火の粉も受けてみるといい。以外に熱くないときもある――神より』










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