使徒

 おかしい。ビクともしない。


 確かに殴ったはずだ。こいつの拳を紙一重で避けて、今殴った。


 感触だってあるというのに、いつものように吹き飛んで、この拳から離れない。


「痛ぇじゃねぇか……」


 殴った相手が吹き飛ばなかったことはなかった。鍛えたことはないが、この細い腕でも十分殴り飛ばせた。


「あぁん?」


 この体が……浮く? 


米井よねいくん!」


 何故、名前を叫んでる? まるで心配してるみたいな言い方で。


 背中が痛ぇ。コンクリートの床に打ちつけたから……何故打ちつけた?


「人間が神に敵うとか思ってんのか? あぁ?」


 殴り飛ばされたことに清十郎せいじゅうろうが気付くのに、随分時間がかかった。周囲からしてみれば、殴り飛ばされる時間は一瞬の出来事なのだが、殴られた本人は時間の経過を感じていた。


「クソ……この野郎!」


 再度殴りかかったが、また殴り飛ばされた。


 起き上がろうとする清十郎を踏みつけ、ポセイドンは怪しく口角を上げる。清十郎を助けようと駆け寄った光輝こうきをも、裏拳で殴り飛ばした。


「弱いな。弱い、弱い人間共だ。相手が神だったから、何ていう言い訳はするなよ? 神の名を与えられようが、所詮は人間よぉ」


「チクショ――」


 ポセイドンに再度踏みつけられ、清十郎は胃液を嘔吐する。何度も踏みつけて、吐くものがなくなるまで嘔吐させられた。


「悔しがるな。不良の帝王なんて呼ばれても、敵わない相手がいるってだけだ。お前が弱いだけだ。悔しがるな。んで、言い訳するな」


「ポセイドン……」


 見ていたデュオニュソスが歩み寄る。頭を押さえ、フラフラしていた。


「ポセイドン、そいつらを殺すのか?」


「んなわけねぇだろ? そんなことしたら、俺が神様に怒られちまう」


「……の割りには、随分と痛めつけてるな」


「いやいや、これからお前がされることに比べたらどうってことねぇよ」


 清十郎の上から跳び、デュオニュソスを蹴り飛ばす。信じられないという表情で倒れるデュオニュソスに、ポセイドンは笑みを向けた。


「まさかおめぇ、無事で帰れるとか思ってるんじゃねぇだろうなぁ」


「ポセイ……ドン……お前が、何故」


「だっておめぇ、裏切っただろう?」


 デュオニュソスの神に対する怒りがまた増えた。


 裏切ってただで済むなど思ってはなかったが、その役目をまさかポセイドンにやらせると思ってなかった。


 よりによってポセイドンを送ってきた神を、許す気はもうない。


「クソ……神ぃぃっ!」


「黙れ」


 立ち上がったその瞬間、自分の腹が貫かれたことにデュオニュソスは驚愕し、そのまま息をしなくなった。


「……デュ、デュオ?」


「無事に帰られないのだろう? ならば、ここで死んでも変わらない」


 デュオニュソスを後ろから刺したその男を遠目で見て、光輝は驚いた。何度も会ったわけではないが、その外見は忘れられなかった。


「W……メール」


 Wメールの所持者が、ナイフを手にポセイドンに歩み寄る。第三者によって殺されたデュオニュソスに驚き、ポセイドンは固まっていた。


「さて、神の部下……情報を貰おう。俺が勝つための情報をな」


 白川美郷しらかわみさとを刺したときのように、気配もなく忍び寄ってデュオニュソスを刺し殺し、ナイフを振って血を飛ばす。Wメールの参加者は光輝の方に歩み寄り、ナイフをポケットにしまった。


「あのとき――白川家騒動のときの青年か」


 伸ばした手を借りずに光輝が立つと、ナイフを再び握ってポセイドンの方を向いた。


「白川家のもう一人の青年は元気か?」


「……結衣ゆいさんまで、殺すつもりですか?」


「ノン、彼女には逆に保護依頼が来ている」


「そうですか……あなたは許せないけど、安心しました」


 ポセイドンはデュオニュソスの動かなくなった体をしばらく見下ろすと、自分の顔を手で覆い、指と指の隙間から参加者の方を睨んだ。


「てめぇ……何してくれてるんだ? 俺は、殺すなんて言ってねぇぞ? 半殺しにはしても、全殺しはねぇ……てめぇ、俺の後輩に何してくれてんだぁ?!」


「ノン、違う」


 参加者は人差し指を立て、ポセイドンに振ってみせた。帽子の下の目で、ポセイドンの姿をしっかりと捉える。


「お前の後輩――神の元同胞は、お前達を裏切るという罪を犯した。俺は何もしていない奴など対象に入れない。罪人には、死による制裁が妥当だろう」


「その制裁をてめぇがやるって権利は……どこにあるんだよぉっっ!」


 ポセイドンの拳が振られ、参加者は腕でガードした。ポセイドンの顔が痛みで歪む。


「ノン、また違う。権利はあるんじゃない。神に決められた小数の人間に与えられるもの。その形はそれぞれ違えど、俺の権利はこうして死の制裁を与えるものである」


「てめぇは……どこの宗教信仰してんだ! イカレ野郎!」


 繰り出された蹴りを受け止め、参加者はポセイドンを睨んだ。


「ノン、神は頭が悪いのか。俺の考えこれは、宗教という神を信じる者には考えられぬこと。俺が信じるのは神でなく……俺の胸の内の殺意」


 振られたナイフがポセイドンの腹を引っ掻いた。服を破り、血が滴り落ちる。


「てめぇ……殺人鬼――」


「テイラ・ガンバーグ。鬼ではなく、常時勝者である」


 脚を振り放させて距離を取ったポセイドンだが、その間にもテイラに頬を切りつけられた。


「勝者だと? やっぱりイカレてやがる」


「ノン、俺を勝者にしたのはお前達の上司。このWinnerウィナーメールに、常に勝利する最適手段が書かれている以上、それに沿って動いているまで」


「皮肉だって言いてぇのか? 馬鹿馬鹿しい」


「そうでもないです」


 不意に背後から声が聞こえたことに、ポセイドンは固まった。振り返った直後に目に入ったのは、靴の裏底。その脚に蹴り飛ばされて、ポセイドンは蹴られた鼻頭を押えた。


「てめぇっ!」


「皮肉だと思いますよ。神様からのメールのお陰で、あなたの不意をつけたんですから」


 脚を引っ込めて光輝はケータイを見つめた。自身の部下の隙をつく方法が書かれたメールを送ったことに、皮肉しか感じられなかった。


 立ち上がったポセイドンは息を切らし、後ずさった。このまま2人を相手にするのは、余りにも不利だからだ。舌を打ち、悔しそうな表情を見せる。


 クソッ……なんで俺がこんな野郎どもから下がらなきゃならねぇんだ。だが、捕まるわけにも――


 考えを巡らせていて注意が散漫になっていた。いつの間にか清十郎が目の前まで走ってきている。


「逃げんのか? お前のいうとおり……神とは名ばかりの人間だなぁっ!」


 助走もつき、全体重を乗せた拳がポセイドンの顔面の中心を捉え、殴り飛ばした。鼻が折れ、鼻血を噴く。ポセイドンは鼻を押えながら痛みでもがいた。


「ハッ……俺の法律に裁かれることを、忘れ……るなよぉ……」


 膝をつき、倒されそうになった清十郎を光輝が支える。清十郎は光輝に一瞬笑みを見せると、そのまま気を失った。


「逃がしたか」


 テイラの言葉でハッとなって前方を見ると、すでにポセイドンはいなくなっていた。噴いた鼻血の跡以外何もなく、テイラはナイフをしまった。


「まぁいい。ここで捕らえられないことは分かっていた。青年、また会うことになるだろう。が、勝者は常にこの俺だ。白川家の青年の敵討ちなど、考えるなよ」


 感情がまったくこもっていない言葉を残し、テイラは先に行ってしまった。テイラの姿が見えなくなると同時に、あや千尋ちひろを背負ってコンテナの陰から出てきた。


「随分と怖いことになってきたじゃないか……このゲーム」


 デュオニュソスの死体を見て、彩が呟く。光輝はうんとだけ返事して、清十郎と千尋を連れて外に出た。







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