ようこそ異世界
彼に名前は無かった。正確に言えば名前はあるが、それを名乗れない仕事で食っているので、彼には名前は無かった。強いて言うなら、彼に付いた「転生屋」という肩書きが唯一の名前だった。
彼は今年で24歳になった。生まれも育ちもごく普通で、どこにでもいる平凡で平均的な家庭で生まれ育った。だが、受験に失敗した反動で引きこもり、一時的に無職になり、半ば家を追い出されるような形で働き始めた彼は挫折を繰り返した。よりによって勤め先が相当のブラック企業で、彼は横暴な上司のパワハラとモラハラを同時に受けた挙句に身体を壊してしまった。転職には一時成功したが、そこでも人間関係が悪化して退職、アルバイトや仕事を始めては長続きせずに辞めてしまい、次第に荒れた生活を送るようになった。
人生の転機は21の春だった。中高生の間で実しやかに語られていた「人間は異世界に行く事が出来る」という都市伝説が実は本当かもしれないと噂された時の事だ。
彼はスーパーで酒とつまみを買ってアパートへ帰ろうとした時、ダンプカーにひき潰された。彼の肉体は文字通りぺちゃんこになった、下半身が潰され背骨が粉々になり、口から冗談みたいな量の血を吐き出した瞬間に世界が走馬灯のように流れて行き、時間が止まった瞬間、彼はそこで「神様」へと出会ったのだ。
噂は本当だった。神様は彼に“転生”させてやろうと言った。
彼は断った。そして「もう生きるのに疲れたし無になっていいんで早い所この世界から消してくれませんか?」と提案した。
神様は困った。「お前なんで断るの」と尋ねた。
彼は本当に疲れていた。「いやだから第二の人生とかいらんし、サービス残業や職場のクソみたいな人間関係から開放された世界でのんびりと過ごしてえ」と答えた。
神様はたいへん悲しい顔をした。それは完全な同情だった。
彼は神様に愚痴を続けた。そもそも、転生したいような連中が俺の他にいっぱい居るだろとか、よりによってダンプカーに轢かれてる最中に来るなよとか、最初の職場の上司が最悪でぶっ殺しておきゃよかった、と。最終的に神様も彼に哀れみを持ったのだろう、彼をどうにかして助けなければと思った。
しかし神様は「私にはノルマがある」と彼に言った。
転生した人間を欲しがる異世界の神様や異世界の人が沢山いるが、いちいちダンプカーに轢かれたり理不尽な死に方をする転生を希望する奴がそんなにいない。むしろバンバンと転生しなきゃいけなくて地球にいる神様はノルマが達成できず、とても困っていると彼に愚痴を漏らし始めた。彼もダンプカーに轢かれた状態で「わかるわー、それ」とかつてブラック企業で働いていた頃を思い出して同意した。
彼は転生を断って素直にこのまま死んだらどうなるか神様に聞いた。神様は「現世の行いがアレだから多分地獄に行く」と無慈悲に言った。彼は困惑した。
だから彼は神様と取引をした。
異世界に転生したくないが地獄にも行きたくない。しかし平穏な死後の世界を手に入れたいが現状の人生はドン詰まりだ。
そこで彼は神様に取引を持ちかけた。
「転生させる仕事、俺がやってやろう。その代わり、俺が死んだ時は平穏な死後の世界を約束させてくれ」
神様は「ならばよし。私も手伝おう」と返事した。
その瞬間、彼はアパートの中にいた。ダンプカーで轢かれて滅茶苦茶になった身体は元通りになり、ちゃんと買ってきた酒とつまみはスーパーのビニール袋に収まっていて、時計は事故が起こったその瞬間の数分後になっていた。唯一の違和感は、さっきの神様が彼の前にいる事ぐらいだった。
そして、彼はひとまず酒でも飲んでから、仕事の話を神様から聞く事にした。
それが全ての始まりだった。
彼は転生屋。人間を異世界へ送る、唯一無二の職を持つ男。
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