第6話

 デソエを発った第三軍、北伐部隊は北西へ向かっていた。


 四千を超える軍勢は歩兵に足並みを合わせているために、その進軍はゆるやかだ。


 北の山脈では、補給部隊を襲撃していた部隊に、山脈の各地から出発した諸氏族の戦士たちが集合しつつあるという。岩砦ガダラシュを出たルェキアの援軍はあえて見逃した。すでに第三軍を迂回して、北のルェキア兵たちと合流しようとしている。彼らがデソエから西北の地で合流しようとしているのは、進軍している第三軍を避けるためと、山脈の諸氏族が集合しやすい場所を選んだためだろう。


 南から駆けてくるルェキア騎兵の速度は凄まじいものだったが、わずか百騎程の兵では援軍とも呼べないものだ。


 カラデアはルェキア族に援軍へ向かうことを許さなかったのだろう。しかし、どうしても同胞を見捨てることのできない有志たちが独断で北へ向かった。それがあの百騎だ。第三軍はそう判断した。これによってカラデア軍は戦力を温存することはできたが、一方で不満や不信という火種がうまれることになったはずだ。この火種は決して小さくはない。簡単なことで、火勢を強めることができる。そしてカラデア軍は、内側から燃え上がる炎によって手酷い傷を負うことになるだろう。


 三人の千人長を前にして、部下の兵たちから、ルェキア騎兵の動向についての報告が終わる。


「手こずっているって聞いてたのに、結局、弱い者いじめかぁ」


 年若いカッラハ族の青年、イハトゥ千人長が頭の後ろで手を組みながら言った。


「油断するな。我らは常勝不敗の討伐軍ギェナ・ヴァン・ワだ。これまでも奴らを侮って、どれだけの将兵が聖女王陛下のもとへ召されたと思っている?」


 ウルス人の老将、ダルファ千人長が顔をしかめる。


「奴らは弱者ではない。たとえ寡兵であろうと、蠍や毒蛇の毒を持っているやもしれぬ。小さな一刺しが、死をもたらすのだ」

「はいはい、分かってますよ。気を付けます」


 イハトゥが肩をすくめる。


「ダルファ殿、気持ちは分かるが、イハトゥは千人長となって日が浅い。苦戦というものを知らんのだ。仕方があるまい」


 鷲鼻が目立つ中年の男、ファウディーン千人長が苦笑した。


 彼らは今、日光を遮るために張られた大きな天幕の下にいる。白い砂の上には台が置かれ、地図が置かれていた。それは簡易な線と記号が記されたもので、周辺の地形を表していた。 


 北伐部隊は進軍を止め、休息している。しかし、この休息時に駆り出されるのが空兵斥候部隊だ。彼らは動きを止めた部隊の元を飛び立ち、周辺の地形と敵の勢力を偵察に向かう。これは、進軍と共に常時行われている哨戒飛行とは異なり、一気に長距離を飛行するものだ。


 沙海における野戦では、砂丘や岩塊群ガノンの位置は重要な要素となる。行く手を阻まれることによって行軍の進路、速度が左右され、時に影を作り出して休息の助けとなり、戦いとなれば障害物や砦代わりにもなる。


 そのため、先行する空兵斥候部隊によって周辺の地形は観測され、常に更新されていた。これによって北伐部隊は進軍するみちを選び、待ち受ける敵との戦いに備えることができる。


「第三軍が常勝である弊害だ。ウル・ヤークス周辺には我らの武名が鳴り響き、第三軍が進軍してきたと聞いただけで降伏してくる者たちも多い。皆、己の血をすする様な厳しい戦いを忘れておる。そのつけがこの戦いの不甲斐なさだ! まったく、建国の英雄たちになんと申し開きをすればよいのか」


 ダルファは同僚の二人を睨みつけた。ファウディーンが小さく頭を振ると言う。


「それはそうだが、戦う前に勝利が決まっていることが戦の理想だろう。これまでの第三軍はまさしく理想的な軍隊だったのだ」

「理想とは常に現実にならない目標の事だ。はるか高みにあり、それを目指して研鑽し続けなければならん。だが、そこに達したと勘違いしたことで、我らは苦境に陥っている。それを忘れてはならん」

「ダルファ殿は昔から心配性だからなぁ。ただでさえ暑くて疲れるんだから、もう少し気楽に行きましょうよ」


 イハトゥが欠伸をこらえながら言った。


「イハトゥ! お前は千人長になったというのに、まだ悪ガキのままでいるつもりなのか!」

「悪ガキだなんて人聞きが悪い。これでも立派な千人長ですよ」

「何が立派だ。全く、軍才と武勇だけは人並み以上だけに質が悪い。カッラハの戦士として、そのように軽薄でどうする!」

「ダルファ殿はウルスなのにカッラハの戦士のようですね。父上の影響でしょうか」


 険しい表情のダルファを、イハトゥは笑みを浮かべて見やる。そこには挑発の色があった。


「二人とも、そこまでだ」


 ファウディーンは鋭く遮ると、溜息をついた。 


「イハトゥ。お前が子供の頃から親しいとはいえ、今のダルファ殿はこの部隊の束ねる指揮官だ。敬意を払え。……ダルファ殿、愛弟子が一人前になって戻ってきたことが嬉しいのは分かるが、もう少し千人長に相応しい扱いをしてやってくれ。そして、二人とも、ここは戦場だ。サラハラーンの訓練場ではないのだぞ」

「……分かっているとも」


 ダルファは咳払いすると顔を逸らす。イハトゥは無言で肩をすくめた。


 彼らの間の一瞬の沈黙は、すぐに大きな声で破られる。


「伝令!」

「報告せよ!」 


 ダルファの応えに、一人の翼人空兵が進み出た。


「南西よりこちらに向かうルェキア騎兵が多数あります。その数はおそらく二千。我が方もこのまま進めば、おおよそ二日後には交戦圏に入ります」


 三人は互いに顔を見合わせた。


「二千? 奴らにまだそんな戦力が残っていたのか?」


 ファウディーンの言葉に、ダルファが頭を振った。


「……いや、これは岩砦ガダラシュの兵力が出てきたと考えるべきだろう」

「こんな所まで北上しているってことは、先発の百騎と大差ない時に出発しているはずです。それならば、空兵が気付くはずだ。あいつらの目を誤魔化して岩砦ガダラシュから抜け出したってことですか?」


 イハトゥは首を傾げる。ダルファは地図を一瞥した後、頷いた。


「そういうことだな」

「しかし、どうやって……」

「今はそれを考えても仕方あるまい。奴らが一枚上手だったということだ」


 ダルファは腕組みすると小さく唸った。


「二千騎増えても同じことだ。叩き潰すのみですよ」


 イハトゥが獰猛な笑みを浮かべる。


「ここで奴らを殲滅すれば、カラデア軍にルェキア騎兵という駒がいなくなる。この状況は好都合だ」


 身を乗り出して言うイハトゥ。ファウディーンは彼を一瞥して、ダルファに顔を向けた。


「ダルファ殿。援軍が合流する前に各個撃破するか?」

「……いや、合流させよう。奴らは距離を超えて連絡を取り合うことができる。その術法を使って北の部隊と援軍の間で連携をとられて、前後から挟撃される恐れもある。むしろ、一つの部隊としてまとまった方が対処しやすいだろう。このままの進軍速度で向かい、奴らが合流するのを待つ」

「承知した」


 ファウディーンは頷くと、部下たちを振り返った。


「全百人長、および各部署の隊長を呼べ!」 

「はっ!」


 命を受けた彼らは走り出す。


「ああ、ようやく仕事らしくなってきたなぁ」


 楽しげにイハトゥが言った。  







「キエサ!」


 出迎えたルェキア騎兵の一人が大声で右手を上げた。


 キエサは笑みを浮かべると、口を覆う布を下げた。


「無事だったかワザンデ」


 駱駝を寄せて、戦友の隣に並ぶ。同じように布を下げて顔を露わにしたワザンデは、白い歯を見せて笑う。


「当り前だろうが。お前もここまで振り落とされずに、鞍にしがみ付いてこれたんだな」

「何とかな。もう尻の皮は限界だが」


 キエサは自分の臀部を叩いて言う。ワザンデは笑い声をあげ、頷いた。


「まあ、それは俺も同じさ。本当にくたびれたぜ」


 そう言った後、キエサの隣にいる男に笑いかける。

 

「ガヌァナ殿も無事についてこれたようだな」


 縞馬に跨った男は、表情を変えることなく答える。


「たかが遠乗りで脱落するような者はンランギの戦士にはいない」

「仰る通りだな!」


 ワザンデは大声で笑った。


 巨岩の傍らで、南北からやって来たルェキア騎兵たちは合流した。ここは、『満月の盾』ほどではないが、集結した大軍を潤すことができる泉が湧いている。 


 遠征に慣れていないカドアドやワンヌヴたちラ・ギ族のまじない師たちは、すぐに休息させた。薬湯を飲ませて眠るように命じている。旅慣れない者の体からは疲れと熱を抜かなければならない。カラデアではそう言い伝えられている。


 そして、戦士たちはこれから待ち受ける戦いのために、岩陰に集まっていた。


「諸氏族の戦士たちも集まってきている。戦える者は皆、ここに駆けつけるはずだ」


 遊撃部隊を率いていた男が言う。彼らの元に派遣されていた黒石の守り手が言葉を継いだ。


「敵軍の行軍速度は変わりない。おそらく明日か明後日にはここにやって来るだろう」


 その言葉を聞いたワザンデは顔をしかめる。


「奴らに見逃されたな」

「ああ。奴らは俺たちが集合するのを待っていた。一気に片を付けるつもりだろう」


 キエサは厳しい表情で頷いた。


「どこで仕掛ける? ここで迎え撃つか?」

「状況が変わった」


 キエサは頭を振った。ワザンデが怪訝な表情を浮かべる。


「蟻の民を覚えているか?」

「ああ、西からやってくる奴らだろ? 確か、デソエから逃げるのを手伝ったらしいな」

「そうだ。彼らにはカナムーンという鱗の民が同行していたんだ」


 キエサはガヌァナに顔を向けながら言う。


「名前は知ってる。カラデア守備隊でもかなりの腕利きだろ?」

「腕もたつが、カナムーンの武器は何よりここだ」


 頷くワザンデに、キエサは自分の頭を指差して見せた。


「カナムーンの見識はカラデアの賢人にも劣らない。いや、世界を旅している分、カナムーンの方が優れているだろうな。あいつは常に先を見通し、考えている。そのカナムーンが、蟻の民と同盟を結ぶと言ったんだ」


 キエサの知る限り、カナムーンは五つの異なる言葉を話すことができる。当然のことながら、それは鱗の民の言葉を除いた、人の言葉だ。また博識であり、傭兵として旅してきたキエサでさえも知らないような各地の事物をよく教えてくれた。何よりカナムーンは人や物事を良く観察している。カナムーンに指摘されて初めて気付いたことも幾つかあった。


「蟻の民と? あいつらが何の役に立つって言うんだ?」

「正直言って俺にも分からない。だが、カナムーンは蟻の民が大きな戦力になると信じていた。蟻の民を援軍として沙海に戻ると俺に約束したんだ」

「……そのカナムーンとやらが、蟻の民を連れて戻って来たというのだな?」


 ガヌァナが口を開く。察しの良さに感心しつつ、キエサは頷いた。


「その通りだ。黒石の守り手たちが、カナムーンが援軍を連れて沙海に戻ったことを伝えてきた。蟻の民は、俺たちを助けるために、こちらに向かっている」 

「援軍が来るのか!」


 ワザンデが喜色を浮かべて叫ぶ。ガヌァナが右手を上げてワザンデに鋭い視線を向けた。


「気が早いぞ、ワザンデ。蟻の民がどれだけの戦力になるのか、我らには未知数だ。何より、援軍が来る前に我らはウル・ヤークスと刃を交えることになる」

「ガヌァナ殿の言う通りだ。援軍を待っている間にウル・ヤークスはここにやって来るだろう。まずは奴らの最初の一撃を凌がないといけない」

「まともにぶつかる気はない、ということだな?」


 ガヌァナの問いに、キエサは頷く。


「正直に言おう。奴らは強い。正面から戦っても俺たちは負ける」


 キエサは断言した。その言葉を聞いたルェキア族たちは、特に表情を変えることはない。彼らもこれまでの戦いでウル・ヤークス兵の精強さを身を以て理解している。自分たちとウル・ヤークスとの戦力差を理解していたのだろう。


「ここは捨てる」


 キエサは皆を見回して言う。


「ウル・ヤークスを西へ誘い込むぞ。そして、蟻の民とともに奴らを討つ」

「援軍ありきの策か……」

「不満か?」 


 呟くガヌァナを、キエサは見やった。


「我がキエサを信じるのは、その戦いぶりを知っているからだ。そなたは沙海の只中で、志を失うこともなく、皆を率いて戦った。我は、勇士であるキエサという男を信じてここにいる。だが、はたして、蟻の民は我らンランギの信義を得るに相応しい者たちなのか?」


 キエサはガヌァナを見つめ、頷く。


「ガヌァナ殿が俺を信じてくれるように、俺もカナムーンを信じている。そして、カナムーンの連れてきた援軍が我らの助けになると信じている。こんな言葉では、何の証にもならないかもしれないが……」


 ガヌァナはしばし沈黙と共にキエサを見ていたが、やがて頷いた。 


「……分かった。信義は人と人の間を行き交う糸だ。我もその糸を辿り、蟻の民を信じよう」

「ありがとう、ガヌァナ殿」


 キエサは一礼した。

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