第18話
「東より、大いなる災いが迫っている」
独特の韻律を帯びたマスマの声が響き渡る。彼女の横には、ウァンデ、アシャン、エイセン、そしてカナムーンが控えていた。彼らは、小高い丘の上から、大勢のキシュガナンたちを見回す。社の御使いによって呼ばれた諸族の戦士やラハシたち。辺境の小さな一族はともかく、大きな一族の代表者のほとんどはここにいる。ここまで様々な一族の者たちが一堂に会したのは、かつてないことだろう。
ウァンデは、傍らのアシャンを横目で見た。うつむき、体は細かく震えている。緊張しているのだろう。無理もない。ウァンデは思った
「『大いなる母』と『社を司る者』は、その形を受け取り、キシュガナンの未来を危惧した。そして、社の御使いを一族の元へ送った。我らの声を聞き、皆がここに集ったことを嬉しく思う」
マスマは言いながら、手招きした。意を決したように顔を上げたアシャンが、マスマの隣に立つ。
「この者はアシャン。キセの塚のラハシ。そして、ニウガドの客人。『大いなる母』と『社を司る者』は、この者に名を授けた。『導く者』。それがこの者の名」
野に満ちる者たちがざわめいた。ニウガドの一族に名を授けられることは滅多にない。それも、こんな少女に名を授けるとは聞いたことがないのだろう。
「この者は闇に閉ざされた道を照らす
妹が評価されていることを誇りに思う。高揚したウァンデはアシャンを見た。アシャンは蒼ざめており、強張った表情で前を見つめていた。それは緊張などではない。恐怖に縛られ、泣き出しそうになるのをこらえている。ウァンデは少し混乱してアシャンを見詰めた。彼女はその視線に気付いていない。思わず駆け寄りそうになるが、この流れを止めるわけにはいかない。ウァンデは衝動を抑え込んでアシャンを見つめた。
マスマは、手にしていた杖をアシャンへと差し出す。
「導く者、この者にニウガドの信頼の証を与える。この杖と、導く者に従うが良い」
アシャンは、マスマを見つめ、震える手で杖を受け取った。マスマは大きく頷くと、人々に向き直る。
「大いなる災いに立ち向かうには何が必要なのか。それを知る者たちの言葉を聞こう。ここに……」
マスマに目で促されたウァンデは、頷くと一歩進み出た。カナムーンもそれに続く。
胸を張り、厳しい表情で人々を見回した後、ウァンデは口を開いた。
「我が名はウァンデ! カデウとクファンの子。キセの塚の一族の戦士。大槍を持って敵を屠る者だ!」
ウァンデの朗々たる声が野に響き渡る。
「皆、それぞれの一族のラハシとキシュから聞いたはずだ。彼らが語ったことは、あまりに途方もなく、ホラ話だと思ったことだろう」
ウァンデは手にした大槍を地面に突き刺すと、言う。アシャンを指し示しながらひときわ声を張り上げた。
「だが、違う!! 我らは、交易のために沙海へ向かい、そこでウル・ヤークスという東からの災いに会った。その災いは、我が一族のラハシをさらい意のままに操ろうとした。幸い、外つ国の友に力を借りることで、逃れることができたのだ。そのことを語るために、ニウガドの一族に招かれ、ここに立つことを許されている。……奴らは言った。この地を劫略し、我々を服従させると。我らがこのままここに座していれば、災いはこの地を襲い、キシュガナンは散り散りに吹き飛ばされ、踏み潰されるだろう!」
「なぜ外つ国の民がキシュガナンを狙う」
一人の戦士が声を上げた。ニウガドの一族であるマスマに問いかけることは躊躇われる。しかし、キセの一族であるウァンデならば、遠慮なく声を上げることができる。それは、マスマたちも良く分かっており、この場において、ウァンデはいわば諸族の矢面に立つ役割を担っていた。
「キシュガナンが恵まれているからだ。奴らは、キシュガナンとキシュが産するアムカム銅やその他の産物を欲している」
「我々から貴きキシュの恵みを奪おうとするのか」
皆が口々に怒りの声を発する。ウァンデは怒れる人々を見て、おもむろに言葉を続けた。
「そして、ウル・ヤークスはキシュを支配するつもりだ」
その言葉に、皆が一斉に沈黙した。その表情には困惑が浮かんでいる。彼らにはキシュを支配するという意味が理解できなかったのだ
「奴らは恐ろしいまじないを使う。そして、その禍々しいまじないでラハシの魂を縛り、キシュを奴隷のように従えるつもりだ」
人々は顔を見合わせ、険しい表情で言葉を交わす。ウァンデの言ったまじないという言葉に不安を感じているようだった。
「カラデアの民と、鱗の民も今、ウル・ヤークスの脅威にさらされている。彼らが滅ぼされれば、次は我々だろう。だから、彼らはキシュガナンの諸族と手を組んで、共にウル・ヤークスと戦うことを望んでいる。今こそ、我らは共に手を取り、外つ国の民とともに敵に立ち向かわなくてはならない。キシュは決断した。次は、キシュガナンが決断する時だ!」
沈黙するキシュガナンたち。ある者はウァンデを睨むように凝視し、ある者は隣にいる者と顔を見合わせる。そこには、恐れと躊躇があった。やがて、一人の男が立ち上がる。
「お前の話を信じたとしよう。俺も一族のラハシから敵の話は聞いた。その話によれば、敵は恐ろしい力を持っている。我々だけでは敵うはずがない」
「そうだ。我々、キシュガナンだけでは勝てない。カラデアだけでは勝てない。鱗の民だけでも、勝てない。だからこそ、皆で力を合わせることが必要だ」
ウァンデは、カナムーンに顔を向けた。カナムーンは右手を上げ、口を開く。
「鱗の民とカラデアの民は、キシュガナンの力を必要としている。大いなるキシュと、勇猛なるキシュガナンの戦士がいれば、大きな力となるだろう。私は、あなた達が勝利を得るための最後の一手であると確信している」
鱗の民の賛辞に、戦士たちは満足げな表情で頷く。カナムーンは言葉を続けた。
「沙海への過酷な旅。そして、強大な敵との戦。我らは、この危機に駆けつけた友をもてなし、大いなる賞賛と敬意、そして何より財貨をもって報いるだろう」
報酬を確約したその言葉に、人々はざわめいた。そこに大きな期待の色を感じ取って、ウァンデは機を逃すまいと声を上げる。
「我々は、外つ国の人々と力を合わせなければならない。そして、何より、敵を知らなければならないんだ。獲物の足跡すら知らずに狩りをする者はいない。奴らの戦い方を知り、我々もそれに立ち向かう
ウァンデは背後を振り返ると、右手で示した。
「今から呼ぶ者は、その大戦を知る者! 我らを勝利へと導く者だ!」
その叫びに応えるように、丘の向こうから巨大な何かが浮かび上がってきた。
キシュガナンの度肝を抜きたい。ウァンデは、そう言ってサリカに協力を仰いだ。キシュは、形の共有によってウル・ヤークスの脅威を実感し、納得した。当然、ラハシもそれを共有している。しかし、人の身であるキシュガナン、特に誇り高く、そして頑迷である
人は、目前に破滅がやってくるまでは何の危機感も感じない。彼らは、少し大きな一族同士の争いとしか考えないだろう。それは仕方がないことだ。実感を伴わない危機は、人々に何の影響力を持たない。だからこそ、彼らに目に見える形で脅威を演出する必要があった。それが、サリカの魔術だ。キシュガナンには存在しない高度な魔術。それが、ウル・ヤークスの脅威に説得力を与えてくれる。
諸族の戦士やラハシがニウガドの社に集まる中、アシャンはキセの塚に一族の
呪毯。
それは、ウル・ヤークスの魔術を端的に形にしたものだ。空を飛ぶ絨毯など、キシュガナンの人々にとっては御伽噺でしかあり得ない物だった。だからこそ、それを目の前で見せ付けられることで、ウァンデの言葉は説得力を増す。
丘を越えて、ウァンデの頭上に呪毯が浮かぶ。
その上に座り、操っているサリカは、同時に低位の魔術も使っていた。それは、炎の羽毛が呪毯から舞い散るように見える幻術だ。ウァンデの要望に応えたサリカが、少し派手な演出を、と提案したものだった。
呪毯の上に立ったシアタカ、エンティノ、ハサラト、ウィト、ラゴは、呆気にとられてこちらを見上げるキシュガナンの人々を見ていた。
「ははは、最高の眺めじゃねえか、シアタカ」
ハサラトが愉快そうに笑う。
「……これじゃあ、俺たちはただの見世物じゃないか」
シアタカは思わず呟いた。
「役者になったと思えばいいんだよ! せいぜい大物みたいに振舞うとしようぜ!」
その言葉に、シアタカは溜息をつく。
威厳がある風に装ってくれ。ここに来る前に、ウァンデはからかうように言った。生まれてこの方、威厳などというものと無縁だったシアタカにとって、どうすべきなのか見当もつかない。ヴァウラ将軍や、これまで見てきたウル・ヤークスの要人の所作を思い出しながら再現してみようと試みるシアタカを見て、エンティノとハサラトは笑った。旅芸人のやっている操り人形のようだとハサラトは評したものだ。
今の自分は、キシュガナンの戦士たちにどう見えるのか。少なくとも、戦士たちを束ねる
「シアタカはそのままで良いんじゃない? 今更大物ぶっても仕方ないでしょ」
エンティノが首を傾げた。
「そうです。自然に立っている騎士シアタカの佇まいが、説得力を増すんです」
ウィトが力をこめて言う。シアタカは困惑してウィトを見た。
「佇まい……? ウィト、何を言ってるんだ?」
「お前が立ってるだけで、怯えて泣き出すってことだよ」
ハサラトがくつくつと笑う。
「違います! 騎士シアタカを化け物みたいに言わないでください!!」
ウィトが叫ぶように否定すると、ハサラトを睨んだ。
「まあ、そいつは冗談さ。シアタカは、どちらかというと舐められるだろうな。腕の立つ人間なら、すぐに気付くと思うが、皆が皆、そうじゃない」
ハサラトは肩をすくめるとシアタカを見た。
「シアタカ。お前も言ってたじゃねえか。力を見せねえと、人は付いて来ねえんだよ。こういう時には、ハッタリも必要なんだ」
「ああ。分かってるさ……」
もう一度溜息をつく。キシュガナンに何の繋がりもない自分たちを受け入れさせるには、こんな演出も必要だろう。納得してはいるが、どうしても気後れしてしまう。
「気持ちは分かるが、覚悟を決めろよ。もう、出番だぜ?」
「そんな情けない顔してたら、ウァンデやアシャンに迷惑よ」
ハサラトとエンティノの言葉に、シアタカは自らの頬を両手で叩いた。
「そうだな」
視線を鋭くして頷く。この場で、シアタカは喋る必要がない。キシュガナンの言葉が不自由な自分の代わりに、ウァンデが雄弁を振るってくれている。その横で厳しい顔をしておくことぐらい、簡単なことのはずだ。
ゆっくりと、呪毯は降下していく。
そして、彼らは地上に降り立った。
シアタカが一歩踏み出す度に足元から炎の羽毛が舞い上がる。その派手な演出を見て、ウァンデは笑みを浮かべた。シアタカは緊張した面持ちだ。彼のような男でも、こんな状況では緊張するらしい。
ウァンデの傍らに立ったシアタカは、こちらを向いて小さく頷いた。ウァンデも同じく頷いて応える。
「見たか! これが奴らの力の一端だ!」
ウァンデは、驚きの表情を浮かべる人々に叫ぶ。
「空を飛ぶ絨毯……」
「話は本当だったのか!」
「なんてまじないだ……」
畏怖の声がさざなみのように広がる。
「彼らはウル・ヤークスの戦士だった! しかし、キシュガナンに友誼を感じ、主に叛き、『導く者』を救ってくれた。そして、我らに助力することを決心した。彼らこそ、敵を知る者だ!」
ウァンデは、声を大きくしてシアタカを手で示す。
「この者たちは『導かれし者たち』。大いなる『導く者』によって結び付けられた勝利の運び手。彼らの掲げる旗のもとに、戦士たちは集うだろう」
マスマが声を響かせる。
「俺たちは、こいつらを
エイセンが叫んだ。その言葉に、人々がざわめく。
「キシュガナンの戦士を束ね、駒として操ることは、お前らには無理だ。
「馬鹿な! こいつは余所者だぞ!」
「余所者だからなんだ? お前に千の戦士を率いることができるのか? 何百という騎兵を相手に戦う術を知っているというのか? 一族同士の争いと同じように戦っていれば、俺たちは敵とまともに戦うこともできずに嬲り殺しになるだけだ」
怒りの声を上げた一人の戦士に、エイセンは冷笑で答えた。
「ちなみに言えば、こいつらは戦士としても強いぞ。お前たちでは相手にならん」
シアタカを一瞥した後、エイセンは言う。
「そういうわけで、文句があるなら、直接俺に言いに来い。たっぷりと、話し合ってやる」
エイセンは、大きな笑みを浮かべた。
「シアタカ。何か言葉をくれ」
ウァンデは、耳元で囁いた。
シアタカは一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに真剣な表情で頷く。そして、ウァンデに促されて一歩進み出た。
人々は、この外つ国からやって来た男に注目する。シアタカは、おもむろに口を開いた。
「これから待っている戦は、キシュガナンが知っている戦とは違う」
シアタカはルェキア語で言う。隣に立つウァンデがキシュガナンの言葉に通訳した。
「ウル・ヤークスは、キシュガナンとは全く違う。彼らに一族の掟は通じない。信じている教えも違う。そして、もしウル・ヤークスがキシュガナンを支配すれば、自らの法と教えを強いるだろう。尊いものを卑しいと貶められ、信じていたことを迷信だとして棄てるように強いられることになる。その先にあるのは、魂の隷属だ。聖王教徒になるのならば、それは幸福の道だろう。だけど、大いなるキシュと共に生きるキシュガナンには、選ぶことのできない道のはずだ」
ウァンデの堂々とした言葉、マスマの威厳に満ちた言葉とも違う、淡々とした静かな言葉。人々は、一言も発することなく、シアタカの言葉を聞いている。
「これは杞憂でも、脅しでもない。何もしないならば、確実にやって来る未来だ。『導く者』は、その未来を阻むためにここにいる。もし、この先に待つ絶望に憤り、拒むならば、力を貸してくれ。俺も、持てる力を尽くし、キシュガナンを勝利へと導く」
シアタカはそう言うと、両手を顔の前にかざして、深々と一礼した。
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