第29話

「力になれる? どういう意味だ?」


 アシャンが口を開く前に、シアタカがサリカに聞いた。サリカは頷くと言う。


「アシャンの魂を繋ぎ止めて、キシュの元から戻ってくるための術法があるんです」

「サリカ、本当にアシャンが戻ってこれるのか?」


 ウァンデがサリカに駆け寄るようにして、その肩を掴んだ。サリカは微笑むと頷く。


「アシャン!」 


 アシャンは、自分を呼ぶ女の声に振り向いた。


 息を切らしたマスマが、こちらに駆けてくる。


「マスマ」

「アシャン、キセの塚のキシュは大丈夫?」

「はい。でも、長くはもたないかも」


 アシャンは、マスマの問いに答えるとキシュに目をやった。アシャンの傍らのキシュも、動きが鈍くなり、アシャンの呼びかけに対する反応も遅い。羽翅カーナトゥの議論に引きずられかけているのだ。


「他の一族でも、完全に同調してしまったキシュが出始めているようね。お社様が何とかしようとしたけれど、駄目だったわ……」


 マスマは厳しい表情で言う。


「お社様でさえも、止められないのですか?」


 それは半ば予感していたことだったが、それでも聞きたくはない言葉だった。


「マイサイ様が、大いなる母に呼びかけたのだけど……、遅かった。マイサイ様も、大いなる母の影響を受けて、何の反応も示さないの。このままでは、キシュの中に溶けてしまうかもしれないわ……」


 マスマは、悲痛な表情を浮かべた。このままでは、遅かれ早かれ近隣のキシュは議論に巻き込まれて動きを止めてしまうだろう。アシャンは決意とともにマスマを見つめる。


「私が行きます」

「行く? キシュの元に行くというの?」

「はい。私があの議論に繋がります。そして、私の形を示します。お社様に、大いなる母にしたように」

「止めなさい。あなたは優れたラハシだけど……、大きな力を持っているとは言えないわ。お社様でさえ無理だったのに、あなたが行ってもただ取り込まれてしまうだけよ」


 マスマは、アシャンの肩に手を置くと頭を振る。アシャンは決意に満ちた表情で答えた。


「大丈夫です。仲間が助けてくれます」

「仲間が? 彼らが何をしてくれるというの?」


 困惑した表情のマスマに、アシャンはサリカを見る。


「サリカが、まじないの力で助けてくれるんです」

「サリカ……、ウル・ヤークスのまじない師……」


 マスマは、サリカに視線を移す。しかし、その目は不審の色に満ちていた。キシュが感じたサリカの魔術への脅威が、マスマに影響を与えているのだろう。キシュはアシャンがサリカに感じる親愛の情を伝えることはないのだから、警戒するのも無理はない。


「アシャン。あなたの特別な願いだったから、外つ国の彼らをここに招いた。だけど、さすがにこの女をキシュの深奥に触れさせるわけにはいかないわ。彼女はウル・ヤークスの人間。しかも、恐ろしい力を持ったまじない師なのよ」

「ご心配なく。アシャンを助けるための術法は、キシュに触れるための術ではありません。あくまで、アシャンが消え去らないように助けるための術なのです」


 サリカは、ほとんど滞りのないキシュガナンの言葉で言った。マスマは驚きの表情でサリカを見つめる。


「あ、あなたは私たちの言葉が話せるの?」

「はい。この地で、これまでの旅で覚えました」


 頷くサリカを見て、マスマは露骨に警戒の表情を浮かべる。


「アシャンを助ける術、と言ったわね? それは、どういう意味なの?」

「はい。アシャンの魂の形が失われないように傍らで支える術法です。彼らにも私が何をするつもりなのか説明したいので、ルェキア語で話すことを許していただけますか?」

「それは……、ええ、分かったわ」


 マスマが頷く。サリカは微笑むと、仲間たちを見回した。そして、ルェキア語で話し始める。


「さて、皆さん。私は、アシャンがキシュと繋がっても消え去ることなく帰ってくるために、ある術法を使いたいと思います。我々魔術師は、その術法を“共鏡ともかがみの間”と呼んでいます」


 仲間たちは真剣な眼差しをサリカに向ける。サリカは彼らの視線に頷いてみせると、言葉を続けた。


「この術法は、幽界のような異界に幽体や魂が向かう時に使われます。異界は、現世とは法則の異なる場所であり、その影響で術者の魂や幽体が消え去ってしまう恐れがあります。“共鏡の間”は、それを防ぐために異界に赴く者を補佐する術者が使う、いわば命綱のようなものなのです」

「つまり、消えてしまいそうになる人間を綱を引いて引きずり上げるのね?」 


 マスマの問いに、サリカは首を振った。


「いえ、正確には……、その術者の傍らでずっと名前を呼びかける。そう想像してもらった方が良いかも知れません。それによって、術者は己が何者か認識し、自分というものを保ち続けることができる。その為に、補佐する者は、術者と親しい者が望ましいのです。人は、他者と認識しあうことで己を作り上げています。そのため、より自分を認識し、自分に対してより多くの印象を積み重ねている者の力が、自己を保つことに役立つからです。幽体や魂を形作るのは何よりも意思の力ですからね。もともと、この世界はもっと単純で殺風景だったといわれています。しかし、精霊と生命が互いを認識したことで、互いに影響を与え合って、世界はここまで多様で複雑になった。我々魔術師の間では、その仮説が有力視されています。名のある精霊も、人が認識したことで誕生したという説もあるのです。東方の賢人ナータンジャは、そもそも世界は意識の積層であるという説を唱えました。さすがにこの説は極端ですが、大きな真実が含まれると考えられます。なぜなら……」

「ちょっと待って! 難しくて分かんないよ」


 アシャンは勢いよく右手を上げると、早口になり、熱を帯び始めたサリカの言葉を遮る。アシャンには、彼女の言葉が半分以上理解できなかった。本来ならば発言する者の心の動きである程度意味が理解できるのだが、サリカからは心の動きが感じられない。そのため、いかに感情をこめて話していても、ただの言葉の羅列としか聞こえないのだ。


「ああ、こんな時にごめんなさい。つい……」


 サリカは頬を赤らめるとうつむく。咳払いをすると、改めて口を開いた。


「たとえば……」


 サリカは自分の胸に手を当てる


「私はサリカ。それを自分で知っています。アシャン、そして他の皆さんも私をサリカだと知っている。キシュも、人とは異なる感覚で私をサリカだと認識しているでしょう。その全てで、私はこの現世にサリカとして存在しているのです。私だけの認識ではなく、他の人々の認識がサリカを存在させている。それは、もちろんアシャンも同じです。そして、そうですね……、ウィト」


 突然名指しされたウィトは、驚き目を見開く。


「これまでにあなたがアシャンに感じた怒りや憎しみも、アシャンであることを形作っているのです」

「私はもうアシャンを憎んではいません!」


 ウィトは憤然として答える。サリカは微笑むと頷いた。


「勿論、分かっていますよ。しかし、そうやって過去にあなたがアシャンを憎み、ここまでの旅でアシャンの様々なことを知ったこと、感じたこと。そして、アシャンがあなたに憎まれたと感じたことが大事なんです。その、アシャンという存在に深く刻み込まれた様々な認識が、ウィト、あなたの中でアシャンであることを確固としたものにしている」

「ウィトが私に色々なことを思って考えたから、私を身近に感じてくれているということ?」 

「ええ、その通りです。簡単に言えば、そうやって身近に思っている者が補佐するほど、アシャンの魂を手助けすることができる、ということなんです。異界に赴いたとして、この術法を使うことで私はあなたは認識し、あなたも私を認識する。いわば、お互いに手を触れ合っているようなものです。そうすることで、自分というものが今だここに存在するということを確認して、異なる世界で自分を保ち続けることができる。“共鏡の間”は、そういう術法なのです。そして、その親しき者は多ければ多いほうがいい。補佐をする術者と共に、異界へ赴く術者を認識する者が共にいれば、より大きな力になります」

「それは……、つまり、我々もアシャンの力になれるということかね?」

「はい。私だけではなく、あなた達もアシャンの為に力を貸して欲しいのです」


 サリカはカナムーンの問いに頷いてみせると、マスマに顔を向けた。口元から笑みは消え、真剣な表情で彼女を見つめる。


「マスマ。外つ国の、しかもウル・ヤークスの人間である私が、偉大なるキシュの一端に触れようとしている。それを疑うことは分かります。でも、信じてください。私は、アシャンを救いたい。彼女を失いたくないのです」


 マスマは、小さく溜息をつくと、頭を振った。


「あなたは何らかのまじないで心を隠している。残念ながら、私の力ではそれを破れない。その術で己を守り、偽っている限り、あなたを信じることはできないわ」


 彼女の答えに、サリカは目を見開いた。


「ああ……、ラハシは人の心の動きを感じることができるのでしたね。それで、私に不信感を抱いた……」

「ラハシが皆、そうとは言わないわ。私やアシャンは特に心を感じる力に優れていると思う。ただ、他のラハシもあなたを見ると違和感を覚えるでしょうね」

「私の秘密も知らせなければ公平とはいえませんね」


 サリカは頷くと懐から銀の鎖に繋がれた小さな黒い石を取り出した。


「これが私の守り石です。この石が私を守り、助けてくれているんです。私の心を読み取れないのも、この石によるものでしょう」

「強い力を持った呪物なのね……」


 マスマがその石を見つめた。サリカは石をそっと地面に置きながら答える。


「この石は呪物ではありません。この石は、生きています」

「生きている?」

「はい。人とは全く違う存在ですが、生きているのです。そして、私と繋がり、共に世界を感じることを望んでいる。いわば、キシュのようにね」

「黒石か!」


 シアタカが叫んだ。サリカは深く頷く。


「はい。その持っている力は全く比べ物になりませんが、この守り石も、カラデアに在る黒石と同じ世界を観ている存在です。この“石”は、我々人とは全く異なる時を見ている者。黒石も、守り石も……、“石”たちは、人のもたらす世界を糧としている」


 サリカの言葉に、シアタカは何かを考えるように顎に手を当てた。あの時、シアタカはカラデアで黒石の心に触れたという。サリカの言うことに、何か思い当たることがあるのだろう。アシャンはそう察した。


 そして、サリカに顔を向ける。黒い石を身から離したサリカからは、確かに心の動きが感じ取れる。揺れ動く、しかし真剣な想い。それがどれだけ嬉しく心強いものか。アシャンはサリカを信じようと思った。


「もう一度言います。私は、アシャンを失いたくない。マスマ。どうか、術法を使うことを許してください」


 マスマは、サリカをじっと見詰めた。そして、おもむろに口を開く。


「外つ国より来たりし偉大なるまじない師よ……。導くものを護り、力となれ」


 美しい韻律で発せられた言葉に、サリカは恭しく一礼した。 


「ありがとうございます。必ずや、導くものを護ります」


 そして、サリカは皆が見守る中で、白墨で地面に図形を描き始めた。


 大きな円を外枠として、その中に複雑な線を何本も繋いでいく。呪文を唱えながら、図形の中に指を当てて何か力を流し込んでいるように見える。しばらく作業に勤しんだ後、そこには精緻で美しい図案のようなものが描き出されていた。


「これを法陣といいます。魔術の力を導き、留め、助けるための装置です」


 サリカは少し疲れた様子だったが、微笑みながらアシャンを手招きする。


「アシャンはここに座ってください。それに……」


 アシャンは言われるがままに、法陣の中にある小さな円の中に座り込んだ。サリカはその左右に並ぶそれぞれの円を指差す。


「こちらにはウァンデ。こちらには、アシャンに最も近しい人、影響を与えた人が」


 皆の視線は、シアタカに向けられた。逡巡の表情を見せた後、シアタカはアシャンの隣の円に座る。


「他の円に、皆、それぞれ座ってください。私は、ここです」


 サリカは、アシャンと対面することになる向かい側の円に座った。仲間たちは、次々と円の中に腰を下ろす。


「それでは、これより“共鏡の間”を執り行います。皆さんは、目を閉じてアシャンのことを考えてください。これまでに話し、触れ合ったアシャンのことを、強く想ってくださいね。それが、アシャンを救う強い力になります」


 そう言って見回すサリカ。深く頷く仲間たち。


 アシャンは、自分を囲み、支えてくれる仲間の心を強く感じながら、サリカに言った。


「サリカ。覗いてみたいと思ってるでしょ? 少しだけ見てみるのは大丈夫だと思う。だけど、覗き込んだら駄目だよ。ラハシでもない人が覗き込んでしまったら、きっと、戻って来れなくなる」


 サリカはその言葉に目を見開き、そして照れたように笑った。


「ええ、勿論気をつけます。泉にうつった無花果イチジクは食べられませんからね」


 アシャンは頷くと、傍らのシアタカに囁いた。 


「お願い、シアタカ。私の手を握っていて。迷わずここに帰ってこれるように」


 シアタカは頷くと、そっと差し伸べられた手を握る。その手は、小さく震えていた。


「ああ……。俺が道標になるよ」


 サリカの、仲間の力を信じている。それでも抑えきれない恐怖。しかし、シアタカの手のぬくもりは、その恐怖に立ち向かう勇気を与えてくれた。 

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