第21話

 静寂の街路がにわかに騒がしくなった。


 遠くから、大きな音が聞こえてくる。よく聞いてみれば、それは羊の鳴き声や驢馬のいななき、無数の蹄が街路を蹴るが渾然となったものだ。


「何かしら……」


 不安げな表情でアティエナが外を見やる。


 何が起きているのか、すぐに分かった。


 無数の羊や騾馬が、まるで濁流が流れるように街路を駆けてくるのだ。


 馬が、恐怖と驚きのためかいなないた。御者や騎兵たちは必死で馬たちをなだめるが、まるで言うことを聞こうとしない。駆け出さないだけましというものだが、馬車はまるで嵐で揺れる小船のようになった。


 ユハたちは、慌てて馬車から降りる。危険だからと兵士に促されて、街路の端まで避難した。


 僅かに遅れて、押し寄せた家畜の群れが街路を占領した。その歩みはここに来て勢いを失い、この場が俄かに家畜市場のようになってしまう。驢馬や羊が思うままに鳴き、その騒音は凄まじいものだ。


「どうしてこうなってるの?」 


 アティエナは驚き、ユハを見る。事態が呑み込めないのは彼女も同様だ。ユハは首を傾げた。


「さあ……、誰かが、間違えて逃がしちゃったんでしょうか?」

「それにしては……、多くない?」

「そうですね」


 騒ぎを眺めている間に、馬も落ち着いてきたようだ。しかし、街路を家畜で埋め尽くされていては身動きが取れない。羊や驢馬たちは群れという形すら成さずに入り混じっているために、たとえここに牧童がいたとしても、統率を取って導くのはひどく苦労するだろう。


 シェリウは、緊張した面持ちで辺りを見回している。何かを警戒している様子だ。  


 騒音の響く中、鳴き声が聞こえた。


 声の主を探して路地を覗き込むと、縞柄の猫がユハを見上げている。


「あれ、あなた、どうしてここに……」


 ユハは現れた猫に驚いた。その猫は、先日ナタヴ邸の裏庭で出会った猫だった。猫は、鳴きながら路地から表通りへとゆっくりと出てくる。シェリウとアティエナに知らせようとユハは振り返った。


「この前の……」


 言葉を発した瞬間、違和感がユハを襲った。どうして自分はこの猫が、あの時膝の上で眠っていた猫と同じだと思ったのだろう。同じ縞柄の猫だというだけで? 先日、長い時間を共に過ごした為似た柄の猫を見てに勘違いしてしまったのか? この違和感を解決しようと、ユハは再び猫に顔を向ける。 

 

 そこには、一人の娘が立っていた。


「え……」


 呆然として声が漏れる。猫の姿はどこにも見えない。


 満面の笑みを浮かべたその娘は、口を開いた。


「おはよう」

「え、あの、あなたは……?」

「私のことを覚えていてくれて、とても嬉しいわ」


 褐色の肌の娘は、どこかウルス人とは異なる風貌の持ち主だった。その服も、少し見慣れないものだ。長い黒髪には、初めて見る意匠の美しい髪飾りを付けている。突如現れたその娘に驚き、思わず後退った。警戒心と、そして、なぜか彼女に対して強烈な郷愁を感じて戸惑う。

 

「ユハ、そいつから離れて!!」


 シェリウが叫んだ。


 その声に、ユハはその場から跳ぶように離れた。シェリウと娘の間に、遮るものが無くなった瞬間。


 シェリウが短く鋭い聖句を唱えながら、人差し指と中指を娘に向けた。


 娘が何かを受け止めるように掌を突き出す。乾いた弾けるような音が響いた。


「うーん、聖鎚の術かぁ。反応は速いけど、力の練り具合が足りないな。そんなことじゃあ、鼠も殺せないぞ」


 人差し指を左右に振ると、娘は片目をつむって見せた。


 シェリウは、驚愕の表情で娘を見つめる。


「誰か! 誰か助けて!」


 アティエナが声を上げた。近くにいた大柄な女兵士がその声を聞きつける。女兵士は、羊の川を渡りながら駆けつけた。抜き身の剣を突きつけると、娘を睨み付ける。


「慮外者! お嬢様から離れろ!」

「そんな物振り回して、物騒ねぇ……」


 娘は、顔をしかめると兵士に歩み寄る。ためらうことなく切っ先に近付く娘に、兵士は驚いた様子で一歩退いた。


「邪魔しないでちょうだい」


 娘が言葉を発した次の瞬間、その体はすでに兵士の眼前にあった。


 全く気付くことなく接近を許してしまった兵士は、咄嗟に後ろに飛び退こうとする。しかし、遅かった。


 娘は、手を伸ばすと兵士の襟首を掴む。そして、袋か何かを振り回すように、無造作に兵士の体を宙に持ち上げ、背中から地面へと叩きつけた。


 背中を強打した兵士は大きく息を吐き出し、一瞬のうちに意識を失う。


 アティエナが悲鳴をあげた。


「何をしている!!」


 次々と護衛の女兵士たちが駆けつけてくる。


 娘は笑いながら倒れた兵士の体を片手で持ち上げると、仲間たちの方へと放り投げた。


 二人の兵士が、その大きな体を慌てて受け止める。残り三人の兵士が、怒声を上げながら、何とか娘へ近付こうとした。


 彼女たちは、その時、自分たちの背後に忍び寄る者に気付いていない。ウルス人の庶民の服を着た彼らは、しかし、その顔を覆面で隠していた。


 バチン、と弾けるような音がして、兵士が二人、転がりながら倒れた。仲間を受け止めた二人の兵士は、それぞれ首を縄のような物で締め付けられて失神している。最後の一人は、顎に棒の一撃を受けてその場で崩れ落ちた。


 棒を手にした一人が、娘に歩み寄ると言う。


「月瞳の君、お戯れは程々に……」

「ごめんねぇ。嬉しくて、はしゃいじゃった」


 娘は、笑顔で答えた。


 目の前でおきた一瞬の暴力に、ユハは呆然と立ち尽くす。シェリウが駆け寄り、その手を掴んだ。


「ユハ! 逃げるわよ!」

「だめ。逃がさない」


 娘の声。息が届くほどに間近にある彼女の顔。


 いつ近付いたのか気付かなかった。悲鳴のような驚きの声を上げた二人の前に、娘は笑顔で立つ。


「邪魔しちゃだめ、って言ったでしょ」


 娘は、シェリウに顔を近づける。ほとんど肌が触れ合うほどに近い。鼻を微かに動かすと、目を細めた。


「あなたが、魔術でこのを隠してきたのねぇ。まったく、余計なことをしてくれたんだから」


 シェリウは、顔を強張らせると、娘から目を逸らした。


「意地悪な子には……、お仕置き」


 娘はそう言うと同時に、シェリウの首を掴んだ。


 そのままその体を吊り上げる。シェリウの表情が苦しげに歪み、喘ぐように呻いた。


「シェリウ! やめて! やめて!」


 ユハは叫びながら娘の手を掴む。しかし、まるで巨木を押すように微動だにしない。その間にも、シェリウの顔色は見る見る青くなっていく。


 シェリウが死んでしまう。


 凄まじい恐怖と絶望、そして怒りが、ユハの頭の芯をいた。


 魂の扉が開く。


 力が、溢れ出す。


 駄目だ。


 冷めた自分が止める。


 このまま溢れ出してしまえば、全てが壊れる。シェリウも、アティエナも、愛しい人たちを巻き込み、壊してしまう。


 怒りに満ちた自分が答える。


 構うものか。敵は、滅ぼされなければならない。愚か者に、罰を与えるのだ。


 解き放て。


 抑え込め。


 相反する命令が魂の奥で相克する。


「離しなさい!」


 ユハが言った。掴んでいる右手が眩く光る。流れ込む激しい力。


 娘は、手を開いた。シェリウの体が解き放たれ、地面に落ちる。倒れこんだシェリウは、空気を求めて大きく喘ぎ、身をよじった。 


「痛いなぁ、もう……」


 娘は顔をしかめると右手をぶらぶらと振りながらユハに顔を向けた。


「この痛み、久しぶりだなぁ」


 娘は笑みを浮かべると、ユハの腕を握る。そしてユハの顔を覗き込んだ。朝日を受けた彼女の瞳孔が、まるで針のように細くなる。


「ずっと探していたのよ。……本当に、心配したんだから」

「わ、私は……、あなたが探しているような人間じゃありません!!」


 ユハは、娘を睨み付けながら答えた。


「まったく、我侭なのは直ってないようねぇ」


 娘は溜息をつくと、ユハを引き寄せる。


「ムアムが待ってるわ。さあ、行きましょう」


 ムアム。娘はあの尼僧の名を告げた。突然現れた彼女たちは、教会の者なのだ。自分たちは、愚かにも教会の罠にかかってしまった。そう悟る。


「嫌! 嫌です!」


 ユハは、叫びながら掴んだ腕を振り払おうとするが、人を投げ飛ばすような怪力に敵うはずもない。


「何言ってるのよ。ずっとその体に閉じこもっているつもりなの?」


 娘は呆れた表情で首を傾げると、軽々とユハの体を持ち上げた。ユハは思わず悲鳴をあげる。


「さあ、帰ろうか」


 娘はユハに微笑み、そして覆面の一団に顔を向けた。彼らは一斉に頷くと、素早く路地裏へと姿を消す。


 ユハを抱えたまま、娘は跳躍した。






 呆然と立ち尽くしているシェリウとアティエナ。家畜の姿がまばらになった街路には、兵士たちが倒れている。何があったんだ。この只ならぬ状況に驚き、ヤガンは辺りを見回す。そして、ユハの姿が見えないことに気付いた。


「シェリウ」 


 先を歩いていたラハトが、シェリウに声をかける。シェリウは二人に気付き、駆け寄ってくる。そして、ラハトの腕に縋り付いた。


「ヤガンさん! ラハトさん!」

「お前、なんでアティエナお嬢様と一緒にこんな所にいるんだ?」

  

 シェリウは、ヤガンの問いに顔を歪めた。


「どうしよう、ユハが、ユハが、あいつらに、さ、さらわれた!!」


 狼狽したシェリウの体は細かく震えている。しきりに二人に顔を向けて訴える声は、悲鳴のようだった。その目からは涙が溢れ出し、頬を伝っている。この娘もこんな顔をするんだな。ヤガンは思った。


「落ち着け」


 強く、シェリウの肩を叩く。シェリウは目を大きく見開くと、ヤガンを見つめた。そして、大きく息を吸い、深く頷く。 


「まずは、何があったのか教えろ」

「私が、私が二人を逃がそうとして、屋敷の外に連れ出したの。それがこんなことに……。私のせいだ。また、私のせいでユハが酷いめに……」


 そう言って、アティエナは泣き出した。シェリウはその肩を抱きしめる。


「アティエナ様のせいじゃありません。油断していたあたしが悪いんです。教会の監視の目があることを警戒しておくべきだったんです」


 泣きじゃくるアティエナの髪を撫でながら、シェリウは言った。アティエナを抱いたまま、ヤガンに顔を向ける。


「ユハと一緒にここまで来たんですが、襲撃をうけました。護衛の人たちは皆、倒されて……、ユハが連れて行かれたんです」

「誰に、どこに連れて行かれたか、分かるか?」

「連れて行ったのは、きっと、教会の人間。どこに連れて行かれたのかは……、分かりません。だけど、最後には大聖堂に向かうはず……」


 シェリウは、顔を歪めると唇を噛む。


「大聖堂か……。そこに入られてしまうともう助けられんな」


 ヤガンは、円城の中心に位置する壮麗な建物を思い出す。三つの運河と城壁を越えてユハを追うことは、シェリウには不可能だろう。勿論、ヤガン程度の商人にも無理な話だ。あるいはナタヴなら可能かもしれないが、ここから屋敷まで戻ってナタヴの助力をあおいでいては、全てが手遅れになる。


「シェリウ、お前はユハに“紐”を結んでいるな」


 ラハトがシェリウを指差し、その指先で宙に線を描いた。シェリウは驚き、その指先を目で追った。


「どうしてそれを?」


 ラハトの黒い瞳がまるで水面のように揺らめいた。その色が、金色に変わる。ヤガンも滅多に見たことのないラハトの呪眼。


「虎の瞳!」


 シェリウは息を呑む。ラハトは、自分の目を指差した。


「こいつで、お前の指から伸びた“紐”を観ることができる」

「それじゃあ……、ユハの跡を追うことができる……」


 希望の滲んだシェリウの声。ラハトは小さく頷いた。

 

「なあ……、俺にも分かるように話してくれねえか?」


 二人だけで進む会話に堪りかねたヤガンは、思わず口を挟む。シェリウは慌ててヤガンに顔を向けた。


「あたしは、ユハに魔術をかけているんです。あたしの力の一部がユハを守っている。だから、力を通じてユハとあたしは今も繋がっているんです。ラハトさんは、呪眼の力でそれを観ることができる」

「ああ、だから“紐”か」


 ヤガンは、光る紐がシェリウからユハに繋がっている光景を想像して頷いた。


「てことは、お前はユハを見付けることができるってことだな」

「ああ、そうだ」


 ラハトは頷く。


 シェリウは、縋る様な表情でラハトを、そしてヤガンを見た。


 そんな顔で俺を見るなよ。ヤガンは心中で溜息をつく。シェリウは気が強く誇り高い娘だった。それが、まるで別人のように、打ちひしがれ救いを求めている。その哀れを誘う表情は、彼女には似つかわしくない。


「それで旦那……。俺は仕事の途中だが……」


 ラハトがヤガンに顔を向ける。ああ、お前が自分からそんなことを言い出すのか。ヤガンは思わず顔をしかめた。そして一瞬の逡巡の後、決断する。


「ええい! しょうがねえ。ラハト、ユハを助けてやれ!」


 ヤガンは両手を強く打ち合わせた。ラハトは静かに頷き、シェリウは顔を輝かせる。


「ありがとうございます、ヤガンさん!」

「こいつは貸しだぜ、シェリウ。うちの優秀な使用人を貸すんだ。高くつくからな」

「お金なら払います! 今ここで!」


 シェリウは慌てて鞄を開こうとする。ヤガンは苦笑すると手で制した。


「そういうことじゃねえよ。全く、調子狂うな、やっぱりいつものお前じゃない」

「許しを得た。すぐに後を追う」

「ラハトさん、あたしも行きます! お願いします、一緒に連れて行ってください!」


 シェリウがラハトの前に進み出た。彼女の懇願をラハトは表情を変えることなく受け止める。


「当たり前だ。お前が側にいないと、“紐”が切れる」

「分かりました!」 


 シェリウはラハトを見つめ、強く頷く。アティエナが駆け寄ると、シェリウの手を握った。


「シェリウ! ユハを、ユハを助けてあげて!」

「はい、アティエナ様。必ず助けます!」


 シェリウはアティエナを見つめ、その手を強く握り返した。


「あの、それで……、あたしはそんなに足が速くありません。どうやって後を追いかけましょうか……あっ!!」


 シェリウは驚いて悲鳴をあげた。ラハトが素早く彼女を肩に担ぎ上げからだ。


「このまま走る。苦しいだろうが、我慢しろ」

「は、はい!」


 シェリウは必死な表情でラハトにしがみついた。


「旦那、行ってくる」

「おう、夕飯までには帰ってこいよ」

「努力する」


 ラハトは頷くと、次の瞬間駆け出した。人を一人担いでいるとは思えない速さだった。すぐに、街路の先へと姿を消す。


「さあて……」


 ヤガンは混乱しきった周囲を見回し、頭をかいた。


「アティエナ様、とりあえず兵士たちを起こしましょうか。ナタヴ様にも説明しないといけない」

「……ええ、そうね」


 涙を拭ったアティエナは、深く頷く。


「やれやれ……、今日の仕事をふいにしちまったな。後で謝りに行かねえと」


 呟いた後、ヤガンは大きく溜息をついた。








 そこは、薄暗い部屋だった。


 部屋の中央に、複雑で精緻な線で構成された図形が描かれていた。魔術の心得がある者ならば、それが高度な法陣であることに気付いただろう。法陣は、微かに白い光をはなち、まるで脈動するかのように規則的に明滅していた。


 その法陣の中心には、若い女が座っていた。そして、法陣の外に、向かい合うようにして一人の翼人が椅子に腰掛けている。白い髪と金の瞳をもつ翼人は、うつむき、目をつむっている女をじっと見ていた。


 やがて、女はゆっくりと目を開けた。そして、翼人を見上げ、口を開く。 


「ルアマルーウ様。目標の少女が、アティエナより離れました」


 その女、ファーラフィの言葉に、翼人、ルアマルーウは頷く。


「一人で移動しているのか?」

「いえ、精霊と共に移動しています。その仲間と思しき者たちが六名、距離を開けて同じ方向へ向かっているようです」

「精霊? その少女が呼んだのか?」

「いえ。そうではなさそうです。かなり強い力が感じ取れます。あの家畜の暴走を招いたのもあの精霊でしょう。おそらく、名を持つ精霊ではないかと……」

「ほう……。それは興味深い。何者だと思う?」


 ルアマルーウは顎に手を当てると、小さく首を傾げる。


「おそらくは……聖王教会の手の者ではないかと考えます」

「噂に聞く、使徒、という奴か」

「はい。同行しているのはスアーハの者たちのようです」

「スアーハ。あの暗殺教団か」


 ルアマルーウの声に微かに嫌悪が混じる。


 過去のイールム王国とウル・ヤークス王国との戦争において、スアーハ教派の暗殺者は時にイールムに痛手を与えてきた。何人もの要人を暗殺されたことによって、彼らの悪名は憎悪と共に語られている。


「やはり、聖王教会はあの娘を重要視しているようだな」

「はい。あの力は、凄まじいものでした。まさしく、彼らの言う聖人とはあのような者を指すのでしょう。あの力は教会にとっても見逃せないもののはずです」


 ファーラフィは、あの別荘での奇跡を思い出していた。魔術師であるファーラフィは、ユハという少女から発せられた力に圧倒された。癒しの術を使っていたはずだったが、ファーラフィにとって、ユハが周囲に影響を及ぼす力が暴力的にすら感じられた。常世とこよ幽世かくりょの境界を鳴動させるその力は、音にならない音として、ファーラフィの感覚をまるで嵐のように、奔流のように激しく揺さぶったのだ。


「お前の語ったような力の持ち主が教会に渡れば、ウル・ヤークスは再び大きな欲望と野心に支配されることになる。その醜い衝動は、必ずや我らに牙をむく。それだけは、阻まなければならない」

「はい。必ずや、奴らの野望を挫きます」


 すでに蠢動は始まっている。シアート人排除の動きがそれだ。ウル・ヤークスの中に、大それた野心を持った者たちが力を持ちつつある。未だその勢力を完全に把握したとは言い難いが、シアートの人々と手を結ぶことができた事で、その一端に近付き握ることができたと確信している。


 イールムの古い伝説では、聖王国の侵攻は忌まわしい歴史とされている。はるか昔、聖王国は偉大なる巨人族の帝国を滅ぼした。その悲劇の物語は、西の海を渡ってきた恐ろしい聖王国の蛮勇と恐怖を今に伝えている。


 その後の歴史において、西方の地と異なり、イールムとその周辺に聖王教は根付くことがなかった。ウルスやシアートの一部の人々に伝えられるだけの小さな勢力だったのだ。


 しかし、聖女王の存在とウル・ヤークス王国の建国が、全てを変えてしまった。


 イールムが軍兵をもって侵攻し、策略によって分断してきたこの地方を、聖王教徒が統一してしまった。それは、イールム王国にとって、聖王国の再来として受け止められることになる。まさしく、悪夢の再来だ。


 北から侵入する、野蛮な騎馬の民は恐ろしくない。彼らは、歴史あるイールム文明の栄光に見惚れ、受け入れ、いつしか呑み込まれてしまうからだ。しかし、聖王国は違う。彼らはイールムとは異質であり、対立する者たちだ。どちらが勝つか。どちらが相手を呑み込むか。行き着く先には、滅亡しかない。


 そして、イールムが勝利するために、ファーラフィはここにいる。


 これまで、ユハはナタヴの屋敷に閉じ篭っていた。さすがに、同盟者であるナタヴの屋敷に押し込むわけにはいかない。そして、ユハが屋敷の外に出たことを確認したが、すぐ側にナタヴの孫娘、アティエナがいたために手を出せずにいた。しかし、突如起こった混乱が、ユハをアティエナから引き離した。アティエナが側にいない今、ファーラフィは全てを試みることができる。


「使徒とスアーハが相手では、一筋縄ではいかぬだろう」


 ルアマルーウは片手を上げると、ファーラフィを指差した。


「権能位の貴族たるルアマルーウ・フェタト・ウナ・ニーレームの名において、汝が“敬虔の守護者”の力を借りることを許可する」

「ありがたき幸せ」


 ファーラフィ恭しく一礼した。ルアマルーウは冷たい声で告げる。


「必ずや、あの娘を殺せ」

 

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