第4話

 このままここにいても負ける。 


 それは確実なことだ。


 ダカホルは、敵の規模がどれだけのものなか、告げることなく意識を失った。しかし、あのシューカという化け物をここに潜り込ませていた以上、自分たちの戦力は完全に把握されたと考えるべきだろう。敵は、それを分析した上で、こちらを叩き潰すために軍を編成しているはずだ。『砦』に駐留する敵の兵力はまだ少ない。しかし、自分たちカラデア軍よりも上であることは確かだった。


 負ける戦をするのはキエサの本意ではない。しかし、この洞窟を明け渡すわけにもいかない。


 敵にこの洞窟を奪われてしまうと、カラデアまでの格好の足場を与えることになる。『砦』、そしてこの洞窟と、完璧な補給路が完成してしまうのだ。そうなれば、デソエからカラデアまで、ウル・ヤークスの大軍があっという間に押し寄せてくるだろう。そうならないためにも、なんとしてでもここを守らなければならない。


 本当ならば逃げ出したいところだが、それは出来ない。ここですぐに逃げ去るということは、これまでの抵抗を無にしてしまうことになる。カラデアからは、援軍が出発したという。それがいつになるのか分からないが、援軍の到着を信じてここに踏みとどまるしかない。


 ダカホルは、他の傷病者とともに南へと送り出した。


 彼の傷は深く、癒し手の治療も完璧なものとはいえなかった。意識が戻ることはなく、予断を許さない容態だ。援軍とうまく合流して、手厚い治療が受けられることを祈るのみだ。あるいは、カラデアまで戻って黒石の祝福を受けることが出来れば良いが、そこまでダカホルの体力が持つのか楽観はできない。


 自分たちは今、『耳』を奪われてしまった。


 キエサは、岩塊ガノンの頂上から北の砂原を見ながら溜息をつく。


 いかに自分たちがダカホルに頼り切っていたのか、彼がいなくなってから痛感させられる。


 ここから見える景色には、白い大地とそこから顔を出した岩塊群以外、何も見えない。洞窟にいながらにして敵の動向を掴むことは不可能になったのだ。この状況に対応するために、キエサは斥候部隊を送り出している。敵がどの方向から、どの程度の規模で攻めてくるのかそれを知るために、これまでダカホルに任せていたことを全て自分たちで行わなければならない。


 まるで甘やかされていた子供だな。


 キエサは自嘲とともに口の端を歪める。突然一人で放り出された子供は、水を汲むための水場の場所や、乾燥させた燃料に火を点ける方法も分からない。それと同じように、自分たちも敵の動向を探るために右往左往している。ウル・ヤークスの兵たちは、これを当然の仕事としてこなしてきたのだ。何度となく戦った斥候部隊の奮迅振りを思い出す。 


「隊長、斥候が戻ってきたぞ!」


 傍らで同じように沙海を見ていたルェキア族の男が叫んだ。遊牧の民は目の良さが違う。キエサにはどこにいるのか見当もつかない。頷くと、彼らを迎えるために岩塊ガノンの上から地上へと降りる。


 程なくして、斥候部隊は洞窟のある岩塊ガノンへと戻ってきた。


 彼らの姿を見て、キエサは眉を寄せる。傷を負ったものが多くいたからだ。


「敵の待ち伏せをくらったのか?」


 ワザンデが厳しい表情で問う。


「ああ。あのでかい鳥と翼人だ。奴らに見つかって、追い立てられた」


 そして、斥候部隊の隊長は奮戦の様子を語った。おそらく、空兵は騎射が巧みなルェキア騎兵に逆襲されることを恐れたのだろう。必死の応戦の前に追撃をすることなく、遠巻きに威嚇することになった。自分たちが矢を当てることのできる距離は、敵の距離でもあるからだ。いくら上空という有利な立場であろうとも、ルェキア族の強弓の前では危険であることは間違いない。


 しかし、斥候部隊もただ怪我をして帰ってきたわけではなかった。敵の進軍についてかなり詳しい情報を彼らにもたらしたのである。


「くそっ、厄介な奴らだ」


 キエサは舌打ちした。


 自分たちの潜む岩塊ガノンの上空に現れた巨大な鳥。その姿は衝撃的だった。敵は、翼人どころか、鳥を使って空も支配しようとしている。そして、その巨大な鳥が投入された理由が、自分たち、何より黒石の守り手であることは間違いないだろう。


 全てにおいて敵が上回っている。今や自分たちは洞窟に潜む哀れな敗残兵に過ぎないのだ。そして、その隠れ場所も、見つけ出されてしまった。


「どうするキエサ」


 キエサは、問うワザンデの声に、弱気を感じ取った。この圧倒的に不利な状況では無理もない。このまま戦っても多くの犠牲が出る。しかし、踏みとどまらなければならない。キエサは、心を決めた。


「奴らを出迎える準備をするぞ」


 キエサはワザンデに顔を向ける。 


「ここに踏みとどまって、奴らから通行料を巻き上げてやる」

「勝てると思ってるのか?」

「勝てはしない」


 即答したキエサに、ワザンデは目を丸くする。


「お前……、どういう……」

「勝てはしないが、負けもしない。ここに踏みとどまって、奴らの血を流させる。そうしている間に、援軍がかけつけてくれるはずだ」

「お前は援軍が間に合うと本気で信じてるのか?」


 ワザンデは睨みつけるようにキエサを見る。キエサは静かに頷いた。


「信じる、信じないじゃない。援軍は来るんだ、ワザンデ。必ず、援軍は来る。俺たちはそれまで、ここで奴らを苦しめるんだ。いいな」

「……ああ」


 キエサの強い言葉に、ワザンデは厳しい表情で頷いた。








 巨岩が立ち並ぶ間を、ただ風が吹き抜ける。


「静か過ぎる……」


 ウリクは呟いた。


 巨岩、奇岩が乱立するこの土地は、以前来たと時と同じように、砂原には何の生き物の動きも見えない。ただ、上空に空ノ魚が群れ飛ぶのみだ。


 斥候部隊を深追いすることなく見逃したために、『砦』を出た第三軍進軍の情報はカラデア軍にも伝わっているはずだ。迎え撃つ準備をしているのか、逃げ出している途中だと思っていたが、カラデア軍の兵士の姿は一人も見えない。


 相変わらず息を潜めて隠れているのか。あるいは、斥候部隊が報せをもたらしたあと、素早く逃げ出したのか。 


 もし逃げ出したのならば、大量の足跡がまだ残っているはずだ。地表をならすような砂嵐や“白い風”はおきていないから、兵たちの移動の痕跡を消し去ることはできないだろう。しかし、この高度からは、地上の痕跡をはっきりと確認することはできない。


 巨岩群の上空を飛ぶのは、三羽の大鳥と二人の翼人。友軍が後ろから追ってくるからこそ可能となった通常の空兵斥侯部隊の編成だ。


 立ち並ぶのはまるで尖塔や聖堂、城郭のような背の高い巨岩群。その影だけ見れば、まるでアシス・ルーやアタミラの建築のようだ。高空から眺めていても、ただ静まり返った砂原と巨岩を削りだした天然の彫刻しか見ることはできない。


 高度を下げるべきか。ウリクは迷う。自分たちは子供の使いではない。ただ上空から現場を眺めて、誰もいなかったと報告するのは誰でもできることだ。当然のことだが、斥候部隊にはそれ以上のものが要求される。


「隊長! 足跡を確認します!!」


 イェナが叫んだ。ウリクが止める間もなく、言葉をその場に残して大鳥を降下させる。

 

 前の偵察の際の功績が、彼女を必要以上にやる気にさせている。


 舌打ちをすると、ウリクもその後を追った。他の空兵も後に続く。


 巨岩群の頂を掠めるようにして斥候部隊は飛んだ。ウリクは眼下を何度も確認するが、やはり、敵の姿は見えない。


 目の良いイェナか翼人に何か見えるか聞こうとした瞬間、先頭を飛ぶイェナが振り返りながら行く先を指差した。


「隊長! 人がいます!」


 イェナが叫んだ。


 巨岩群の中でも一際巨大な台形の岩塊。カラデア軍の潜んでいるはずの場所だ。その向こうには、まるで岩塊が境界となっているように、どこまでも白い砂原が広がっている。


 そこに、人影があった。


 近付くにつれて、その姿がはっきりと見える。それは一人の黒い人ザダワフだった。砂原にたたずむその男は、飛来する自分たちに気付いたのか、顔を上げる。白い大地にたった一人で立つその姿は、まるで空中に浮かび上がっているようだった。


 男は、こちらを見上げると、まるで挨拶をするように右手を高く上げる。ゆっくりとその手を振った。ウリクは、男が笑みを浮かべているように見えた。


 悪寒がはしる。


「まずい!」


 角笛の音が鳴り響いた。それは、岩塊群の中で鳴り響き、反響のためか奇妙なまでに歪んで聞こえる。


 振り返り、何かを探そうと辺りを見る。自分が何を確認しようとしているのか、分からない。しかし、頭の中の警鐘がそれをうながした。


 視界の隅で何かが動く。


 通り過ぎた巨岩の頂上辺りに、人影が見えた。複数の人影は、その手に何かしなる紐状の物を持ち、それをこちらめがけて振るった。


 黒い点のようなものが幾つもそこから飛び出し、そしてこちらに飛来する。


「上がれ!!」


 ウリクは叫んだ。同時に、大鳥の体を斜めにしながら上昇させた。


 部下たちの反応は、ウリクから一拍遅れた。しかし、すぐに事態を悟ったのか、皆が動く。イェナを除いて。


 上昇しながら背後に目をやる。


 黒い石がウリクのそれまでいた空間を貫いていく。


 それまでウリクの右斜め後ろを飛んでいた大鳥乗りは、間に合わないと判断したのか、大鳥を急降下させる。しかし、遅かった。その胸に石は当たり、彼はその衝撃で鞍から滑り落ちる。しかし、落下防止の腰帯があるために、大鳥の体にぶら下がるようになった。さらに、並んで飛来した石は、彼が跨っていた大鳥の翼をへし折る。


 大鳥が悲鳴を上げながら落下していった。


 翼人の一人は、大きく羽ばたくと、一気に前進して逃れようとする。


 上昇するウリクの視界の隅に、別の巨岩の頂上にいる人影が目に入った。


 彼らはその手に弓を構えている。


 さらにもう一つの巨岩の岩棚からも兵士が姿を現していた。


 前方へ飛んだ翼人空兵は、イェナの横に並び、何かを叫ぶ。その瞬間、その背に矢を何本も受けた。翼人は大きく仰け反ると、その体を傾けた。そして、くるくると回転しながら地上めがけて落下する。


 残されたもう一人の翼人空兵は、飛来する矢や石をまるで曲芸のような飛行でかわしながら、反撃の矢を放つ。翼人空兵は敵と交戦する際大鳥よりはるかに小回りがきく。彼らが大鳥空兵に随伴するのは、空戦になった場合にその機動力を活かして大鳥を守るためだ。それが、まさかこんな岩の立ち並ぶ場所で射手を相手に戦うことになるとは思わなかっただろう。


 翼人空兵が奮戦する中、イェナはただ鞍上で身じろぎもしない。大鳥も、まるで遊覧飛行のようにのんびりと飛んでいるように見える。飛び交う矢や石が当たっていないことがまるで奇跡だった。


 戦の空気に呑まれた。


 ウリクは彼女の様子からそう感じ取った。イェナはこれまで殺し合いも戦も経験したことがない。それがいきなり目の前で味方が次々とやられてしまったのだ。何も考えられなくなったに違いない。突然こんな危機的状況に陥って、冷静に対処できる兵士のほうが少ないのだ。その為に彼らは繰り返し訓練し、異常な状況を平常であるかのように自らに叩き込む。ある意味で、イェナはまともな人間だったということだ。悲しいことだが、戦場ではそれが命取りになる。


 ウリクは空中で大鳥を一回転させると、降下の姿勢に入る。


 天空から一直線にイェナが跨る大鳥めがけて急降下する。


 そして、イェナのすぐ横でその落下を止めた。大鳥は大きく翼を振るって自らの体を止める。


 その風は激しい勢いでイェナの顔を打った。


「何してる! 落とされるぞ!!」


 ウリクは怒鳴る。


 イェナは我に返ったのか、ウリクを見る。その目は恐怖と動揺によって大きく見開かれていた。


「この場から逃れる!」


 ウリクは、叫ぶと、再び大鳥を上昇させる。ウリクが繰り返す無茶な要求に、大鳥は抗議の鳴き声をあげながらも従った。


 振り返ると、イェナもそれに続いている。ウリクは腰の袋を開くと、一気に宙に放り投げた。


 中身が空中に拡散し、まるで赤い霧のように広がる。


 その光景に驚いたのか、カラデア軍の攻撃が一瞬止まった。


 その隙を逃さずに、翼人空兵もその場から急上昇する。


 ウリクは僅かに上昇速度を落として、イェナを待った。イェナは速度を落としたウリクに戸惑ったようだったが、彼が手で先に上るように促しているのを見て取ると、小さく頷きそのまま飛ぶ。ウリクは上昇するイェナを見送ると、続く翼人空兵を待った。


 遅れて上昇する翼人空兵を逃すまいと、石や矢が後を追う。翼人空兵は狙いを定めさせないように渦を撒くように上昇していたが、矢の一本が右の翼に突き刺さった。翼人の体が傾く。


 ウリクはそれを見て取ると、大きく旋回しながら大鳥を降下させた。同時に、首筋を叩きながら独特の掛け声を聞かせる。


 大鳥は空中から斜めに翼人に飛びかかると、その巨大な鉤爪で落下していく体を捕まえた。そして、弧を描きながら一切の速度の遅滞もなく上昇していく。


 尾羽を矢が掠めるが、命中することはない。


 大鳥は、片足で翼人を掴んだまま、大きく翼を打ち振るって急上昇していった。

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