第11話


 ヤガンは、笑顔で抱擁を交わすと、取引相手と別れた。


 取引に満足して上機嫌なヤガンは、両手を強く叩き合わせる。そして、そのまま両手を摺り合わせた。


「うまくいったようですね」


 戻って来たデワムナが、ヤガンに声をかけた。


「まあな。今倉庫にある分の香辛料が、ほとんど売れたよ」


 ヤガンは、懐から証文を出して見せる。デワムナは驚きの表情を浮かべた。


「ほとんど?そりゃまた珍しい。我らの香辛料は、東方の香辛料ほど需要は無かったと思っていましたが」

「イールム王国の東方で大きな戦があったらしいな。それでしばらくの間、あっちから香辛料が入ってこなくなったんだと。おかげで、こっちの香辛料が倍近い値で売れたよ」

「それはまた、幸運の風がこちらに吹いてきたものだ」

「まあ、いつまで吹く風なのか分からんがな」 


 ヤガンは肩をすくめる。


「その戦について、調べておきましょうか」

「そうだな。どれだけこちらの香辛料を売り込めるか、見極めておこう。残りの備蓄分を、アシス・ルーからどれだけ持ってくるのか、考えないとならん。引き際を間違えると、倉庫に売れない香辛料が山積みになることになる」 

「いずれにしても、沙海での戦が長引けば、ウル・ヤークスに備蓄してある香辛料は底をついてしまいますね」


 沙海の南の地で産する香辛料は、カラデアを経てウル・ヤークスへと運ばれる。しかし、東の地で産する香辛料と比べてウル・ヤークスでは需要が少なく、ウル・ヤークスの西の都アシス・ルーにある程度の量を備蓄して留め置いている状況だった。


「そうだな。在庫を少しずつ出すのか、一気に売り払うのか、よく考える必要がある。あっちもこっちも、戦で商売の流れが変わる。面倒な話だ」


 ヤガンは、そう言うと手に持った証文を軽くはたいた。


「しかし、この儲けも全部、戦費に消えるのかと思うと、憂鬱だな」


 ヤガンは溜息をつく。出した利益の大部分を、カラデアの支援のために使う。これも、兄からの命令だ。


「他所の戦で儲けた金ですよ。もしカラデアが戦で負ければ、違うやつらが我らの戦で儲けるでしょうね。そうならないためにも、我らの戦にぎ込まないと」


 デワムナは証文を見て、ヤガンを見る。


「ああ、分かってる。分かってるよ。だがな、手にした金を右から左に放り投げているような気がして、空しくなってくるんだ」

「まあ、気持ちは分かりますがね。それが戦というものですよ」

「無駄遣いにも程があるな」


 ヤガンは顔をしかめて頭をふった。 


「それを何とか儲けに繋げましょう」


 デワムナはそう言って笑う。ヤガンも、苦笑して頷いた。


「ヤガンさん、ヤガンさん」  


 ヤガンは、自分を呼ぶ声に振り返った。


「おお、ナフナーンさん。お久しぶりですね」


 ヤガンが向き直ったのは、小柄な男だった。手入れされた口髭をたくわえ、独特の衣装を着ている。ウルス人はゆったりとした服装を好むが、ナフナーンの服は体の線が出る細身のものだ。頭には白く低い帽子をかぶっている。ナフナーンは、ハトゥシィ人だった。ハトゥシィ人は、イールム王国のさらに彼方を故地とした民だ。交易を生業としており、北の草原の遊牧民や“砂漠の回廊”を越えてはるか東方の地までも赴き、取引をしているという。同じ交易を生業とする民として、ヤガンは彼らに畏敬の念を抱いている。カラデアからアタミラまでの旅でさえ、とてつもない苦労だったというのに、はるか北や東の地への旅など想像もつかない。たとえ兄に行けと言われても、嫌だと即答するだろう。


 軽く抱擁して挨拶をかわすと、二人は笑顔で向き合う。


「本当に久しぶりだ。三月みつきはお会いしていませんでしたね?」

「ええ、ちょっとイールムの方へ旅していましてね。久しぶりにアタミラに戻ってきました」

「おお、それはお疲れでしょうね」

「まあ、大変でしたが、得る物も多かったので、良い旅でしたよ。しっかり休みましたしね」


 事も無げに言うナフナーンに、ヤガンは感心する。事実、溌溂はつらつとした彼に疲れなど見えない。ナフナーンにとって、イールムに旅することなど、少し近所に出かけるようなものなのだろう。 


 二人は、しばらく世間話に興じる。


「ところでヤガンさん、ちょっとあなたに紹介したい人がいるのですよ」


 ナフナーンは、そう切り出す。 


「紹介したい人?」

「ええ。私のお得意様でね。ヤガンさんの話をすると、是非会ってみたいと仰るんです」

「ほう……」 


 ヤガンは顎に手を当てると、ナフナーンを見た。 


 ナフナーンは、ヤガンとは比べ物にならない広い世界を相手に商売をしている。しかし、ウル・ヤークス王国から西の世界、黒い人々ザダワーヒの土地は彼にとって、そして、ハトゥシィ人にとっては未知の世界だろう。だからこそ、ヤガンに声をかけてきたのだ。


「そんな顔をなさらずに。あなたの商売に嘴をつっこむつもりはありませんよ」


 ナフナーンは苦笑して手を振った。顔に出していたか。ヤガンは心中で己を罵ると、口を開いた。


「私にどうして会いたいと仰るので?」

黒い人々ザダワーヒの地に興味がおありのようでね。後学のために、あなたに話を聞きたいとのことです」

「なるほど」 

「その方々は内外に力をもっておられる。会っておいても損はないと思いますが?」


 ヤガンは、ナフナーンの笑顔に圧力を感じた。なるほど、会わないでいると損をするかもしれないということか。


「分かりました。お会いしましょう」 


 ヤガンも満面の笑みで頷く。


「よかった。それでは早速案内しましょう」


 急な話に面食らいながらも、ヤガンは同意した。ヤガンとデワムナは、ナフナーンに案内されながら市場を歩く。 


 軒を連ねる商店のうちの一軒の前で、三人は止まった。そこは絨毯をあつかう大きな店だ。


 ナフナーンは店の人々に挨拶をしながら奥へと進む。店舗を裏側の居住部分へと歩くと、廊下の奥の扉の前に二人の男が立っていた。


 二人の男はその服装からイールムの民のようだった。腰に剣を吊るした男たちは、鋭い視線をヤガンに向ける。


「おう、おっかないねぇ」


 ヤガンは口の端をゆがめて肩をすくめて見せるが、男たちは表情を変えることもない。


「お客をお連れした。中へ入れてくれるかね?」


 ナフナーンの言葉に、男たちは頷いた。扉を三度叩くと、中から応じる声がする。そして、扉が開いた。


「さあ、ヤガンさん、中へどうぞ」


 ナフナーンに促されてヤガンとデワムナは部屋に入った。

 

 広い部屋は、中庭に面していた。部屋の中央には大きな卓がある。椅子に座っているのは四人。一人は、金髪に灰色の瞳をもつ男。その横には栗色の髪に青い瞳の男が座っている。ウルス人ほど肌の色が濃くはなく、やや明るい肌の色だ。彼らの服装から、エルアエル帝国の人間だと分かった。少し離れた位置で座るのは、イールムの民の女。二十代前半に見える。黒い髪に黒い瞳であり、イールム王国にもっとも多い、ハウラン人だろう。ヤガンとしては是非親しくしたい容姿の持ち主だ。そしてその横に座るのは、ハウラン人とは全く異なる人種。背に翼をもった翼人の男だった。混じりけのない白い髪に、異様なまで大きな目は金色だ。その背にある、折りたたんでいても大きな翼は濃い茶褐色だった。彼らの背後には、影のようにハウラン人が控えていた。


「ひざまずいて」

「え?」


 聞きなれないウル・ヤークス語の言葉に、ヤガンは思わず聞き返す。ナフナーンはその横で床にひざまずいた。


「イールムの貴人、翼ある御方の前ですよ。私と同じように、ひざまずいて」


 随分とへりくだらないといけないようだ。カラデアでは太守の一族でさえそんな礼を要求することはなかったし、ウル・ヤークス王国の今まで会ったどんな大商人も同様だ。内心忌々しく思いながら、ヤガンはひざまずく。デワムナも続いた。


「ルェキアの商人、ヤガンをお連れしました」

「ご苦労。顔を上げよ」


 ハウラン人の女が言葉を発した。ナフナーンが顔を上げたのを横目で確認した後、ヤガンも顔を上げる。


「堅苦しい挨拶はこれで終わりだ。お前たちも椅子に座れ」


 翼人が鷹揚とした口調で言う。背後に控えた人々が、素早くヤガンたちのもとに椅子を運んだ。


「ありがとうございます」


 ナフナーンの言葉とともに三人は椅子に腰掛けた。


 金髪の男が、翼人とハウラン人の女に頷いてみせると、口を開いた。


「急な招きに応じてもらい、感謝する。私はディギィル。そして、こちらはイシュリーフ。我々は、エルアエル帝国の者だ」


 金髪の男はそう言って栗色の男を手で示す。ディギィルという男は、育ちの良さそうな大人しそうな風貌の持ち主だった。一方のイシュリーフという男は、ヤガンから見ても油断ならない雰囲気を持っている。迂闊なことを言えば切り捨てられてしまいそうだ。


「私はファーラフィ。こちらの御方は、ルアマルーウ様。権能の位をお持ちの、とうとき翼持つ御方だ」


 イールム人の言葉に、ヤガンは首を傾げてナフナーンに小声でたずねる。


「権能の位とはなんです?」

「イールム王国の貴人の位のことですよ。とても高い位なんです」

「ああ、そうでしたか」


 ヤガンは頷く。


「お前がヤガンか。駱駝面のヤガン。いやに自虐的な通り名だな。黒い人々ザダワーヒは皆、そんな通り名をもつのか?」


 ルアマルーウという名の翼人は、ヤガンを見据えると口を開いた。


「あなた方が黒い人々ザダワーヒと呼ぶ人間が暮らす土地はとても広いのでね。皆がどうなのか、よく知りません。少なくともルェキア族とカラデア人では少ないでしょうな。私は少し変わっているんです」


 ヤガンは肩をすくめる。それを見てファーラフィが眉根に皺を寄せたが、ルアマルーウは表情を変えることはない。


「君はルェキア族の頭領の弟と聞いたが、本当かね?」


 ディギィルが聞いた。ヤガンは頭を振ると対面する四人を見回す。


「少し誤解がありますね。私の兄は、ルェキア族全体への大きな権限は持っていない。あくまで、諸氏族の意見のまとめ役です。そこを勘違いされると話が通じなくなってくる」

「なるほど、分かった」


 ディギィルは頷く。


「それで、沙海に暮らすルェキア族とは頻繁に連絡はとっているのだろう?」

「それは勿論です。我々は何しろ沙海から商品を運んでいますからね。そこからの商品が滞ってしまえば、それで我々の商いは仕舞いです。そうならない為にも、常に連絡はしていていますよ」

「ならば、今、沙海で何が起きているのか、知っているのか?」


 ファーラフィの問いに、ヤガンは目を細めた。どうやら、自分はただ商売の話をするためだけに呼ばれたわけではないらしい。こいつらは、ウル・ヤークスがカラデアに攻め込んだことを知っているのか?


「どうした。答えろ」


 ファーラフィの鋭い声。ヤガンは笑みを浮かべると口を開く。


「先日、アシス・ルーからウル・ヤークス王国の第三軍が沙海に進軍しました。目的は、カラデアの支配。それは、私が元老院の議員から確認しています」

「やはりそうか」


 ディギィルとイシュリーフは頷きあう。ルアマルーウは特に表情を変えることもなく、無言でヤガンを見ている。


「皆様方は、その話を私に聞きたいのですか?」

「そういうことだね。我々は……、エルアエル帝国とイールム王国は、ウル・ヤークス王国の動向に注目している」


 ディギルは両手を軽く広げると言う。


「エルアエル帝国、イールム王国、そしてウル・ヤークス王国は、それぞれが領土を接した大きな国だ。長い争いの歴史の中で、今の勢力に落ち着き、幸い、しばらくの間は平穏を保っている。せっかく生まれた平和の均衡が、何かのきっかけで崩れてしまうことは望ましくない」

「そのきっかけが、カラデアへの侵攻、ですか」

「その通り。沙海の交易を支配されてしまうと、今の均衡は大きく崩れることになるだろうな」


 ディギィルは頷いた。


「確かに、カラデアから渡る品は、とても優れた物が多い。それをウル・ヤークスが直接手にしてしまえば、あなた方はとても困るでしょうね……」


 ヤガンは顎に手を当てると、深刻そうな表情を浮かべる。


「そして、私たちもとても困ります。ウル・ヤークスに支配されてしまえば、我々ルェキア族も仕事を失ってしまう」

「そうだろうな。交易は彼らが仕切るだろう」

「ええ。ですから、私は、親しくさせていただいている元老院の議員の方にお願いをしています。この戦を止めてもらうようにとね」


 ヤガンは、対面している四人の顔を、ゆっくりと見る。 


「どうでしょう、皆様方。今日、こうしてお会いしたのも運命の風の良き計らい。ルェキア族は、それにカラデアは、皆様方の国々と親しくお付き合いしたいと考えます。突然攻め込んでくるような隣人とだけ商いをしていても、安心することはできません」


 ヤガンは、手を組むと、祈るような姿勢で言葉を続ける。


「窮地にある我々沙海の民に、お力を貸してはいただけないでしょうか。そうすれば、我々は救われ、皆様はさらに繁栄できると思いますが」


 平和の均衡だと。知ったことか。ヤガンは心の中で笑みを浮かべる。こっちはその平和をとっくに崩されてしまった。ウル・ヤークスを追い返すためならば、何だってやる。こいつらを、戦に引きずり込んでやる。そう心に決めた。

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