第10話

 頭上を、翼人空兵たちが飛んでいく。


 デソエに突入する兵たちを援護するためだ。城壁の一部が崩れてしまっても、城壁の上からは矢や石が降り注いでくる。空兵部隊は、減ってはいるが相変わらず脅威となる城壁上の守備兵を相手取ることになる。


 大盾と槍をかまえた歩兵を先頭に、重装歩兵たちが崩れた城壁の間隙から踏み込んでいった。後ろに待機している紅旗衣の騎士団は、歩兵を露払いとして突入する。彼らの任務は、デソエ太守の館へと一気に駆けることだ。騎士たちは、空兵の偵察によって作成された街の地図を頭に叩き込んでいる。幸い複雑な道程ではなく、恐鳥の機動力を遺憾なく発揮できるだろう。


 城壁の間隙には、城内から守備兵たちが駆けつけたらしい。進入しようとする歩兵と守備兵の間で、半ば押し合いにも似た攻防が繰り広げられている。楕円形の盾と革製の鎧を着けた軽装のデソエ守備兵は、大盾と鱗札の鎧に身を固めた重装歩兵の圧力に圧倒されて、徐々に後退していく。


 そして、ついに守備兵たちによる堰が決壊した。倒れた守備兵を踏み潰し、突き刺し、切り伏せながら、歩兵は城内へと踏み込んでいく。彼らの発する喚声と犠牲者たちの悲鳴が徐々に遠ざかっていった。


 エンティノは時折大きく身体を揺らす恐鳥の鞍上で、城壁の攻防を見ている。渇きに苛まれて、恐鳥はひどく苛立っていた。なだめる為に時折首を撫でてやる。


 早くサラハラーンに帰りたい。エンティノは、乾ききった唇をなめた。いつもの酒場で麦酒を飲み干す。束の間の酔いを楽しみ、美味しい料理を食べる。仲間とくだらない話や愚痴を言い合う。


 しかし、その風景の中で、卓を囲む椅子の一つは空いている。どうして彼はいないのか。給仕娘は聞くだろう。それに答えることができるのか。エンティノは自信がなかった。


 紅旗衣の騎士たちは、号令を待ち構えている。ここまでの行軍で強いられた苛立ちや苦痛をここで解き放つために、槍を握り締めていた。


 マウダウが一歩進み出た。長身の彼が跨れば、恐鳥もその大きさを感じさせない。他の騎士たちが槍と盾を携えている中、槍と大刀という二本の長柄の武器を鞍に預けている。 


「兄弟たちよ!」


 マウダウは槍を手にすると穂先を城壁に向けた。城壁の切れ目には、邪魔する者はもういない。


「突入せよ!」


 紅旗衣の騎士たちは、雄叫びで応じると一斉に駆け出した。滑らかな動きで合流していくと二列となり、城壁の切れ目へと恐鳥を駆る。


 先頭を、エンティノは駆けていた。


 すぐに終わらせる。そして、この忌まわしき地を立ち去る。エンティノはそう決意していた。


 紅旗衣の騎士団はデソエに突入した。城壁の向こうは広くなっていた。遠い道の先には槍を掲げて進む歩兵たちの後ろ姿が見える。太守の館へは、このまま駆けていけばよい。


 土壁の背の低い家屋が立ち並ぶ中で、街路は広く平らに整備されている。デソエは沙海の只中にある水場を中心に、交易の中継地として発展した街だ。都市の設計も計画的に行われたようで、整然とした町並みだった。道のそこかしこに、デソエ守備兵の死体が転がっている。


 騎士たちが駆け抜けたその先は、広場になっていた。歩兵たちの歩みが遅くなっている。騎士たちは歩兵たちに追いついてしまった。


 広場に響き渡る兵達の喚声や怒号。歩兵たちの進攻を食い止めている者たちがいる。十重二十重とえはたえと連なる兵たちの向こうで、人が宙を舞った。一人、そして、また一人。波となって押し寄せていた兵たちの歩みが止まる。


 背の高い恐鳥の鞍上から、歩兵を迎え撃つ鱗の民の姿が見えた。十人の鱗の民は、板金鎧に身を包み、長大な鉄の棒や長柄の戦斧を振り回している。鱗の民の膂力によって振るわれるそれらの武器は、恐るべき死の暴風となって歩兵たちを薙ぎ倒した。何人もの犠牲者を出した後、歩兵たちは鱗の民を取り囲むが、攻めあぐねている。


「邪魔しないでよ……」


 エンティノは苛立ちを小さな呟きとして吐き出すと、恐鳥を進めた。


「紅旗衣の騎士が通る!道を開けよ!」


 エンティノは叫ぶ。振り返った兵たちは慌てて左右に分かれて道を開けた。まるで兵たちを掻き分けるようにして恐鳥は駆けるが、鱗の民を取り囲む最前列では、立ちはだかる目前の脅威のために、背後から来るエンティノの通り道を作ることができない。その板挟みの様子を見て取ったエンティノは、鞍上に槍を預けるとあぶみで腹を強く打つと同時に手綱を引く。


「跳べ!」


 恐鳥は深く身を沈めると跳び上がった。エンティノは、その瞬間に合わせて両足で強く鞍を挟むと、中腰となる。


「カカカカカカッ」


 恐鳥が弾けるような鳴き声ととも人の壁の上を跳び越える。眼下には、驚きの表情で見上げる兵たち、そして、その先には同じように、しかし歩兵たちとは対照的な無表情で見上げる鱗の民たちがいる。


 エンティノは投槍を握ると、眼下の鱗の民めがけて放った。


 投槍は、見上げた鱗の民の右肩に突き刺さった。その衝撃によって姿勢の崩れた所に恐鳥は降りてくる。巨大な脚で蹴倒すと、鱗の民は土埃をあげながら転がっていった。


 エンティノはすでに槍を手に握っている。着地して身を深く沈めた恐鳥が立ち上がる。その勢いをそのまま利用して、隣に立っていた鱗の民へ槍を突き上げた。


 鱗の民は、下から襲い来る槍の穂先に僅かに遅れて反応した。鉄の棒を跳ね上げて防ごうとするが、間に合わない。穂先が首筋に突き刺さった。手ごたえはあるが殺しきれていない。エンティノはそう判断するとすぐに槍を引き戻した。同時に、恐鳥を操る。


 恐鳥が斜め前に踏み出すと同時に、唸りを上げて鉄棒が振り下ろされた。恐鳥の首に抱きつくようにして身を伏せていたエンティノの頭上を掠めていく。攻撃をやり過ごすと、すぐさま上体を起こして槍を繰り出した。


 脇腹の板金鎧の隙間に突き刺ささる。鱗の民は、その一撃を意に介した様子もなく、再び鉄棒を振るった。


「本当に、しぶとい奴!」


 エンティノは罵りながら上体をひねる。槍を戻しながら、左手の盾を鉄棒に打ち当てるようにして受けた。激しい衝撃に左腕が痺れる。無理な姿勢で受け止めたために、全身に痛みが走った。身構えていたはずだが、それでも鞍から弾き飛ばされてしまいそうな一撃だった。


 歯を食いしばりながら耐えると、掲げた盾の下から槍を繰り出す。死角から飛び出してきた穂先は、鱗の民の顎へと突き刺さり、頭頂めがけて潜り込んだ。


 視界の端には迫り来る戦斧を持った鱗の民が見える。槍を引き戻すが、駆けてくる鱗の民は予想より速い。


 間に合わない。それでも死の一撃を防ごうと、盾を構えた。


 激しい金属音が響いた。


 エンティノと鱗の民の間を遮り、大刀の長い刃が戦斧を受け止めている。長柄を脇に挟み、左手のみで大刀を握るのは、恐鳥に跨った巨躯の男だった。


「マウダウ団長!!」

「突出しすぎだ、エンティノ」


 マウダウはエンティノを一瞥すると、右手の槍で突く。鱗の民は素早く戦斧を戻すとその突きを弾いた。


「申し訳ありません」

「この貸しは戦果であがなえ」

「はい!」


 エンティノは強く頷く。


 マウダウは、鱗の民の振りかぶってきた戦斧に大刀を打ち当てると、振り下ろした勢いを利用してそのまま右手の槍を突き出した。穂先は、姿勢を崩していた鱗の民の頭部にまともに突き刺さる。動きを止めずに、槍を引き戻す動きと連動して、大刀を切り上げた。緋色の刃が斧を持つ腕を切り飛ばし、首を半ばまで裂く。鱗の民は激しく血を噴出しながら倒れた。


 恐鳥に蹴倒された鱗の民が、右肩に槍を突き刺したままエンティノに向かってくる。


 鱗の民は、跳ねるようにしてエンティノに迫ると、左手に握った幅広の長剣を振り下ろした。


 エンティノは盾でその攻撃を受け流して槍を繰り出した。鱗の民は素早くその一撃を掻い潜ってそのまま跳び掛ってくる。凄まじい力と重い体に、恐鳥はよろめき、エンティノは鞍から引き摺り下ろされた。


 背中を強く打って息が詰まる。鱗の民の巨体を見上げる。振り上げた長剣を見て、盾を持ち上げた。

 

 激しい衝撃が左腕から全身へ響く。さらに一撃。掲げる盾の裏側に、僅かに剣の切っ先がのぞく。このままでは盾と、何より身体がもたない。エンティノは槍を放すと、腰に吊るしていた剣を抜いた。踏み込んできた鱗の民の足を切りつける。


 鱗の民は、エンティノの剣を後ろに飛び退いてかわした。その隙に、エンティノは跳ね起きる。鱗の民は、すぐに詰め寄ると剣を振り下ろした。立ち上がったばかりのエンティノは、盾で防ぐことしかできない。盾の上端に剣身が切り込んだ。その衝撃で後ろに倒れそうになるも、その勢いを利用してそのまま距離を取った。


 体格も、膂力も鱗の民が圧倒的に勝っている。まともに切りあっても勝てない。エンティノは舌打ちすると鱗の民に顔を向けたまま、視線を僅かに動かす。槍は彼女と鱗の民との間に転がっている。エンティノは、剣を逆手に持ち替えた。


 エンティノは深く息を吸い込むと、鱗の民に向かって踏み込んだ。鱗の民もエンティノに向かう。


 鱗の民が剣を振り上げ、そして振り下ろす。


 エンティノは、盾を放ると、身を低くして右斜めの方向へ転がった。


 長剣は盾に深く切り込み、止まる。エンティノは、鱗の民の左足の甲に剣を突き刺した。切っ先は、爪の生えた足を地面に縫い付ける。


 剣を手放した手が、地面に落ちている槍を探り当てた。


 鱗の民が絶叫とともによろめく。


 片膝を立てたエンティノは、槍を突き上げた。緋色の穂先は、板金鎧を下側から貫き背中へと貫通する。


 槍から伝わる肉体の震え。そして、その肉体は力を失い倒れてこようとする。


 エンティノは槍を抜くと素早く後ろに退く。今いた場所に、鱗の民が力なく倒れこんだ。


 大きく息を吐くと、立ち上がる。顔を上げると、紅旗衣の騎士たちが鱗の民と刃をまじえていた。とりあえず、先陣を切った責任は果たしたようだ。


 向こうから、怒った様子のハサラトがやって来るのを見て、エンティノは苦笑した。




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