第7話

 騎士シアタカは変わってしまった。


 ウィトは思う。彼の何が変わったのか。具体的に言うことは難しいが、確かに、何かが違う。この街でシアタカと再会してからというもの、違和感はウィトの中で大きくなる一方だった。


 ケルウェルツェ茶色一筋尾羽が甲高い鳴き声をあげて、ウィトは我に返った。何度も同じ場所を櫛ですいていたことに不満をあらわしたようだ。


「ごめん、ごめん」


 ウィトは小さく溜息を吐くと、体に比してとても小さな翼を軽く叩く。


 子供たちの明るい声に、ウィトは振り返った。


 ラゴが駆け、子供たちは笑い声と悲鳴の中間の叫びとともに逃げ惑っている。ラゴは土壁を蹴って跳躍すると、子供たちの前に立ちふさがった。子供たちは絶叫すると一斉に向きを変えて駆け出す。慌てすぎて転ぶ者もいて、そんな子供をラゴは立たせてやると、再び駆け出した。


 最初は、宿の主人の子供だった。暇を持て余していたウィトとラゴは、話しかけてきた少年を相手に遊び始めたが、今や近隣の子供たちが評判を聞きつけて集まってくるようになってしまった。


 ラゴは、人の言葉を話せないが、妙に愛嬌がある。それが子供にも通じるのか、彼はあっという間に人気を獲得したのだった。一方で、ウィトはすでに蚊帳の外にいる。彼自身、物心ついた時から、周囲に同世代や年下の子供がいなかったために、どう接していいのかよく分からない。愛想がよくないことも加わって、ウィトに子供たちが近寄ってくることはなくなった。


 ラゴと子供たちの狂乱を横目に、ウィトは黙々と恐鳥の毛並みを手入れしていく。ケルウェルツェ茶色一筋尾羽は気持ちがいいのだろう、喉の奥で小さく声を出しながら、目を閉じていた。


「ウィト」


 自分を呼ぶ声に再び振り返る。そこには、キシュを二匹連れたアシャンが立っていた。


「何の用だ」


 羽毛をすく手を止めることなく、ぶっきらぼうに答える。


 この女だ。ウィトは確信している。騎士シアタカが変わってしまったのは、この女のせいだ。この女とキセの一族という化け物を連れた蛮族。こいつらがシアタカを変えてしまった。


 アシャンは、ウィトの鋭い視線に少し怯んだようだったが、硬い表情のまま言葉を続ける。


「今から市場に行くんだけど、一緒に行かない?」

「市場に?」 

「そう。食料を買いに行こうと思って。シアタカも行くよ」


 アシャンはシアタカの名を言い添えた。自分が気遣われていることを感じて、ウィトは苛立ちを覚える。


「結構だ。自分はここにいる」


 ウィトは頭を振った。


 このカラデアという街にもうんざりしていた。何もかもが騒がしく、混雑している。人々が静かに暮らし、騎士たちが鍛錬に励むサラハラーンの美しい街並みが懐かしく思えてくる。遊牧の生活とサラハラーンの街しか知らないウィトにとって、この街の混沌はあまりにも異質だった。本当ならば攻め落とすべきこの街で、捕虜というにはためらわれるような曖昧な立場で時間を浪費している。今頃、同胞たちは戦場で血を流しているいるはずだ。こんな所で恐鳥の毛並みを手入れしている場合ではない。


「シアタカの決闘のこと、まだ怒ってる?」


 アシャンは、恐る恐るといった様子でウィトを見た。


 己の苛立ちの原因を勘違いされていることが腹立たしくて、思わず舌打ちをする。


「巻き込んでしまって、悪かったって思ってるんだよ。シアタカをあんな危ない目にあわせてしまったもの。怒るのも仕方がないと思う」

「それは私が怒る筋合いじゃあない。本来ならば、騎士シアタカが怒るべきなんだ。でも、騎士シアタカは気になさらなかった。だとしたら、私が怒っていいはずがない」 


 一気にまくし立てると、睨み付ける。アシャンはその視線を受けて、表情を険しくした。

 

「でも、怒ってるじゃない。何が気に喰わないのよ」

「お前に説明しても理解できないよ」


 ウィトは冷笑すると羽毛をすく手元に視線を戻す。


「そんなの、聞いてみないと分からない」

「別に、説明する気もないね」


 アシャンの荒げた声を背中で聞きながら、ウィトは答えた。


「分かったよ。勝手にすれば!」 


 アシャンは吐き捨てるように言う。荒々しい足音が遠ざかって行った。


 ウィトは大きく息を吐くと、櫛を持つ手を止めた。言い過ぎてしまったか。そんな後悔と、もっとはっきり言ってやるべきだった、という怒りが交錯する。


 ケルウェルツェ茶色一筋尾羽から離れると、手近の石に腰を下ろして一息をついた。眼前ではラゴがその身体能力を活かして子供たちを喜ばせている。彼らの飽くなき追跡劇を眺めながら、革袋の水を口に含んだ。


「こんにちは」


 男の声に、ウィトは顔を向けた。一人のルェキア商人が歩いてくる。ウィトの前に立った男は、満面の笑顔で一礼した。


「どうも」


 ウィトも軽く一礼した。


「私たちはこの宿に泊まっているものです」

「知ってる。この前、宿に来た人たちだろう」


 彼らが駱駝を中庭に連れてきて、ひどく叱られていたことはよく覚えている。


「ああ、その通りです」


 男は、笑みを浮かべたまま頷く。


「それで、何か用かな。生憎、今欲しいものは何もないけど」


 何か売りつけられるのかと警戒しつつ、言う。

 

「いえいえ、商いの話ではありません。あなた達はいつも蟻使いと一緒にいますね。仲が良いのですか?」 

「仲が良い?そんな訳がない。あんな蛮族と……」


 男の問いに、ウィトは眉根を寄せた。


「なるほど……」


 男は小さく頷くと、おもむろに口を開く。


「あなたはギェナ・ヴァン・ワ斥候部隊の生き残りですか?」


 口から出た言葉は、ウル・ヤークス語だった。ウィトは、一瞬何を言われたのか理解できずに沈黙する。


「今、何て……」

「あなたは、ギェナ・ヴァン・ワ斥候部隊に所属する者ですか?」


 ウィトに返ってきた言葉は、やはりウル・ヤークス語だ。驚きと警戒心から、ウィトは思わず立ち上がる。


「お前は何者だ」

「警戒する必要はありません」


 男は、周囲を見回すと、顔周りの布をずり下ろす。


「我々はシューカ。聖導教団より遣わされました」


 男の黒い肌から色が消えていき、顔の形も変わっていく。血の気が全くない白蝋のような肌。白目の面積が拡大し、黒い瞳孔は点のように縮小した。その異様な風貌に、ウィトは思わず後退あとずさる。


「あなたは造人なのか……?」


 ウィトは、男の正体に心当たりがあった。聖導教団の生み出した魔術を根源として造られた人間。ウィトが知るのは巨躯をほこる兵士の造人たちだったが、噂によれば、様々な能力をもった造人がいるという。


「はい。我々は聖導教団に造られし者。ヴァウラ将軍の命によって、カラデアに潜入しました」

「そうだったのか」


 ウィトは思わず拳を握る。自分たちは孤立無援ではない。ヴァウラ将軍の名が、希望の響きとなって心を奮わせる。


「確かに、私はギェナ・ヴァン・ワ斥候部隊に所属している。紅旗衣の騎士シアタカの従者ウィトだ」

「なるほど、共にいたのは、騎士シアタカですか」


 シューカは頷くと言葉を続けた。


「収集した情報によれば、ウル・ヤークスの捕虜が数人いるという話でしたが、それがあなた達なのですね」

「そうだ。私と、騎士シアタカ、それに、あの狗人ラゴ」


 ウィトは駆け回るラゴを指し示す。


「なぜ、蟻使いとともにいるのですか?」

「騎士シアタカが彼らに救われたからだそうだ。私達は、後から合流した」 

「あなた方がカラデアにいることは想定外でしたが、好都合です。我々は、ヴァウラ将軍より受けた命に協力することを要請します」


 ウィトは、その言葉に身を硬くした。自分がウル・ヤークスの軍人であることを思い出させてくれる。


「それは、騎士シアタカに報告しなければならない」


 ウィトは当然ながら命に服するつもりだが、彼の主に独断で承諾することはできなかった。


「勿論です。我々も、騎士シアタカに会う必要があります」


 シューカは言う。彼の顔は、再び黒く染まり、ルァキア族の容貌に変化していった。

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