昔のアニメの良さと今のアニメの良さ

 私、先日ユーチューブを適当に漁っていて、千葉繁さんがゲストのトークバラエティ番組に辿り着いたんですよ。その番組で千葉さん伝説がいくつも語られた中で、あのうる星やつらのメガネの話が出てきたんです。あのキャラは最初はただのモブの予定だったのだとか。そこで千葉さんが好き勝手に暴れたら、監督が気に入って出番が増えたのだそうです。

 そのエピソードを見て、今とは全然違うなと感じたんですよね。


 今のアニメは、原作に忠実に作る事が求められています。原作がアニメになったのですから当然と言えるでしょう。けれど、昔はそうではありませんでした。昔は原作モノがアニメになる時、どれかひとつはオリジナル要素が入っているのが当然だったんです。逆に原作を忠実にアニメにするのはつまらんという風潮があったんですね。


 私はそんな昔のアニメのアニオリ要素が苦手でした。そう言う意味で言えば、今の風潮の方が好きです。ですが、昔のアニメには昔のアニメの良さがあった。原作にとらわれない自由さがあったんですよね。


 自由さと言えば、一番自由だったのはトランスフォーマーのビーストウォーズでしょうか。海外の吹き替えアニメですけど、だからこそあんな無茶も出来たのでしょうね。話の筋さえ通っていれば、アドリブやり放題。見ている側も楽しめました。

 そう言えば、最近は海外産の吹き替えアニメ、地上波ではほぼ見かけませんよね。配信とかが豊富になったからでしょうか。少し淋しい気もします。


 最初に話したうる星やつらのメガネのように、昔は声優さんの演技が注目されると、出番が増える現象が当たり前にありました。ある意味原作無視展開です。ただ、それで視聴率が上がって作品の寿命が伸びるなら、当時の監督は喜んで原作に手を入れる方を選んだのでしょうね。


 キテレツ大百科のトンガリも、原作ではそこまで出番のあるキャラじゃなかったのだとか。それがとんがり役の三ツ矢雄二氏の演技にスタッフが感銘を受けて出番が増えていったのだそうです。

 まぁキテレツに関して言えば、原作はエピソードが少なくて、アニメはほぼアニオリ展開だったと言うおまけ付きですけどね。今だったら考えられない。


 そうそう、昔のアニメでよくあったのが人気エピソードになるまで展開を端折ると言うもの。序盤は地味で途中から人気が弾けた原作がアニメになった場合、序盤を数話で済ますと言う事も当たり前だったんです。あの幽遊白書だってそうなっていましたからね。


 昔のアニメは監督が主導して作っていた。監督の権限が強かった。それ故の制作側の自由度があったんだと思います。原作はたたき台でしかなく、アニメはアニメのお約束で作ると言うか。

 例えるなら、今の原作モノのドラマみたいな感じでアニメも作られていたと言えば分かりやすいでしょうか。ハム太郎の原作では人間キャラがほぼ出てこないとか、赤ずきんチャチャの敵を倒す流れが原作にはないと言うのもそれなんですよね。


 では、いつからアニメが原作に忠実に作られるようになったのか。多分製作委員会方式が主流になった辺りからでしょう。深夜アニメや、作品が1クール単位で作られるようになったのも大きいかな。

 それと、アニメの売上が円盤中心になったと言うのもある気がします。昔は作品のソフト販売って利益のメインではありませんでしたから。原作に忠実に作った方がファンはソフトを買ってくれます。で、スタッフが遊べなくなったと。


 昔はぶつ切り放送と言う概念がなかったので、原作に追いつくと無理やりオニオリで終わらせていました。今は人気がないと続きが作られません。どっちがいいと言うものでもありませんけど、個人的にはアニオリ終了は嫌ですね。大抵は原作レイプになってしまいますもん。


 でまあ、何が言いたいかと言うと、昔は昔の良さ、今は今の良さがあるねと。ただ、昔の原作モノはアニメと原作は別物と言う認識で見なくちゃねと言う話なのでした。

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