第十八話 雲がちぎれる時 後編
◐克巳十一歳/冬
二年ほど前にまで、時を巻き戻そうかと思う。
その夜は冬の終わり、良く晴れて星の見える、新月の夜だった。
わたしの鼻先にあった、吹けば飛ぶような禿げ頭が言った。
「……こんなことになるンなら……籍をいれておきゃあ良かったんだ……」
へえ、ふうん。と、わたしは思う。
この人、そんなこと言うのか。
冴え冴えとした頭で一言、そう思った。
通夜と、明日に行う葬式のために借りた会場の、奥の座敷でのことだった。喪主としてお花のところに書かれた名前はわたしだったが、なにぶん見てくれ通りの子供だったので、全部やってくれたのはこのおじさんだ。
この人は、ついおとといまで同じ屋根の下で「お父さん」と呼んでいた男で、死んだ妹の父親で、母の愛する人だった。
襖を隔てて六畳の座敷が二つ。襖を開け放ってしまえば、ちょっとした宴会場になるという寸法で、向こうの半開きの襖からは、親に追いやられた五つくらいの女の子と、三つくらいの男の子が、着慣れない喪服の袖を引っ張りながら、退屈そうにごろごろしているのが見える。あの子たちは、わたしたちがどんな話をしているのか、ちっとも分かっていやしないのだろう。
この人は、よく『父親』というものを頑張ったんじゃあないだろうか。
覚えている限りでは、土曜の夜と日曜の朝に、彼を我が家で見なかった日はない。その我が家だって、この人がわたしたちに与えたもので、母はパートこそ行っていたけれど、生活費の何割かはこの人が出していたんだろうし(じゃなけりゃうちは生活できないってことは、わたしにだって分かる)、妹だけじゃあなくわたしの学校行事でだって、カメラのシャッターを切ったのはこの人だった。
わたしが、あそこにいる女の子くらいのちっちゃな五歳の時、まさしく降って湧いたかのように現れたこの人は、それからずっと父親になってくれた人だった。世間では、もっとすごいドラマの中みたいな絶望的な家族があるのだろう。うちは関係性だけを見れば、それこそドラマのような関係性だったけれど、それでも形だけは幸せな家庭だった。この人が降って湧いた父親だったとすれば、今回のこれは、いきなり底なし沼が足元に出来て、母と妹を飲み込んだようなものだった。
この人と母は、もろもろの都合で、籍を入れていなかった。“籍を入れていない”の意味は、本当の意味で結婚したわけじゃあない、ってこと。わたしがいつのまにか知っていた
だからこの人は、わたしを引き取れはしないし、わたしにこうして頭を下げているし、わたしは学校を転校しなきゃいけないっていう、そういうことになるんだそうだ。
へえ、ふうん。そうだったの。
わたしはちょろちょろした縮れた髪の毛と、産毛のような縮れ毛の下でつやつや光る肌色を見ながら、何も言わなかった。
なんで籍入れないの、って、わたしは母に尋ねなかった。確実に母の顔が曇る話題だったし、わたしの現状に支障が無かったからだ。問題はこの男の方にあるんだということも、なんとなく分かっていた。
昨日聞きかじったところ、もう父親でもないこの人は、どうやら奥さんがいるらしい。そんで子供もいるんだって。
それを聞いた時、すうぅ~……っと胸の中で何かが冷たくなっていって、わたしの腹ン中は、この三日でマグロ漁船の冷凍庫みたいにかちかちになっている。
もし、もしこの人が、「君の面倒はおれが見る! 」と、無理でも無茶でもいいから、そう強引にでも言い切ったのなら、わたしはわずかにでも解凍されて、目から雫でも溢したのだろう。
それでもやっぱり、わたしは「NO」と拒絶する。それでもこの男が「あ、そう? じゃあよかった」なんて言わずに、もう少しわたしを解凍出来たのなら、そうしたらわたしは子供らしく、『苦労』という文字がドンブラ流れる人生に、流されてやったんだと思う。「あとはお好きにどうぞ」と言って、まな板の上で刺身にされても煮物にされても文句は言わなかっただろうし、もういない母の代わりに、この男を幸せにしてやろうと決めたのだろうと思う。
でもこいつが開口一番に言ったのは、スリーアウト以前に、レッドカード。退場の宣言だ。わたしはさっそく自分自身を冷凍庫にすることにして、もくもくドライアイスみたいな煙が出ないよう口をピッタリ閉じて鍵をかけ、酸っぱい唾を飲み下した。
もともとお父さんは、口だけは元気にベラベラ喋る人だった。
例にもれず、前提としてわたしが引っ越しして転校するのは当然で、この男の懐からは『気持ちだけのお金』しか出せないこと、まだどこに行くかは未定であるが、きっと住民票だとかも移す必要になるだろう、それはこっちがやっておくから、きみは自分の服や家財の準備だけしたらいい。手紙を書こうね。美しい思い出はプライスレスで永遠なんだぜ……みたいなことを、息つく暇もないほどいっぱい喋った。わたしは矢次に告げられる決定事項を飲み込むのに頭を回してしまって、終盤は馬の耳に念仏。馬は悟りを開いて畳の目を数えていた。
気付いたら、いつのまにか男はいなくなっていた。相変わらずちびが遊んでいる。
ちいさなフリフリのついた靴下を履いた足が、トテトテ寄ってきて言った。
「なにしてるの」
「なんにもしてないよ。あっち行きなよ」
「あそぼ」
「あそばない」
「おかーさァーん……」彼女は叫びながら、トテトテ来た道を戻って襖の向こうに消えた。
僅かに開いた窓から、ざわめきが聞こえてくる。ぼんやりとしていると、それらに交じってあの女の子らしき嬌声が耳に入った。
「静かになさい。ほら……シイッ」母親らしき声がたしなめる。わたしは頭の上半分、ちょっとだけ窓から出して、外を窺ってみた。
黒、黒、黒。夜闇に喪服の集団が浮かび上がる。女はみんな髪を結い上げた似たような髪型である。わたしはその中から、白いブラウスに紺のスカートを着せられたあの子を見つけ出した。
側らで、その細い手首をぎゅっと握る女もまた、例にもれず頭を結い上げネットに纏めている。
女が振り返り、こちらを一瞥したように思ったので、わたしは驚いて、ぎゅっと目をつむった。
壁を見ていると、嬉しそうに女の子が言う。
「……ねえ、ねえ、お母さん。パパ、これでもう、おうちに帰ってこられるんでしょう? 」
「シイィッ……もう黙ンなさい……」
エッ、と、わたしはもう一度外を覗き込んでは、すぐに蹲った。
女の顔は覚えていない。
ただ、こっちを向いた女の、夜道で目が合った野良猫みたいに鋭い目の形だけが、黒い中に、くっきり浮かび上がって見えた。
どこで訃報を聞きつけたのか。母の縁戚と云う人たちがわたしを引き取りに来たのは、翌日の葬式から三日もたたない頃のことだったので、わたしはトントン拍子に、とてつもない山奥の田舎に引っ越すことに決まっていた。
自分の部屋でぼんやりしているところ、顔合わせを口実に我が城を特攻してきた男は、もっさりと古臭い似合わない背広を着、座ったわたしの頭を跨ぐほどに近くに立った。肌はよく焼けてやけに黄色く濁った目玉をしているが、肌艶を見るに,意外に若いってことが否がおうにも分かる距離だ。
男はじっ……とわたしの顔を見下ろし、淡々とその決定事項を告げると、ウン、と勝手に頷いて、帰って行ったのだった。
さて、わたしの記憶というものは、ここらへんから著しく精彩を欠く。この身に起こったこれらの事態が、わたしの記憶に修正を重ねたのかもしれないし、ただ単に、コレといって記憶に残るようなことが無かったのかもしれない。今のわたしの目からしてみれば、後者の方かと思われる。だってアイツに出会ってからは、本当に色鮮やかに、笑ったり泣いたりした記憶が残っているのだから。
わたしはある日、台所に脚立をひっぱってきて、アルミの片手鍋を火にかけ、剥いた海老を煮ていた。
どうしてそういう状況になったのか、わたしは覚えていない。もしかしたら夢だったのかもしれない。母がいなくなって村に越すまで、ずっと近所に住んでいる母の職場の後輩が、泊まり込んで世話をしてくれていたはずだからだ。
ささくれてザラついた板張りの床を踏み、脚立に膝を乗り上げて、ピンク色の海老が煮立った銀色の鍋の中でプカプカ浮いたり沈んだりしていたのを眺めていた。
そういえば昔、わたしは、おままごとに古い鍋を使っていたのを思い出す。
泥水を味噌汁に見立てて遊んだものだった。わたしはそれに、蚯蚓を一掴みと水を入れ、台所で煮たてようと企てたことがあった。―――――煮詰まった鍋の蓋を開けて、母が聞いたことが無いほど恐ろしい悲鳴をあげたっけ……。
もちろん、わたしは弁解した。海老や貝が食べられるなら、蚯蚓も煮れば食えると思った、外国にはでんでん虫を食べるところもあるって聞いたから、悪気は無かった、後悔はしている、大変申し訳なく思っている、等々……。もちろん、もっと子供らしい言い方をしていたはずだけれど。……まあいい。つまりわたしは、そういう子供だったのだ。
鍋の海老を見ていると、そういう下らないことが次々と浮かんできて、少し笑った。笑っているうち、どんどん可笑しくなってきて、わたしは一人でケラケラ笑っていたと思う。傍から見れば、ついに狂ったかという光景だろうということも、わたしを笑い袋に仕立てる要素だった。この夢現を分からない記憶こそが、わたしの指針を決めたその時である。
―――――――そうだ、死のう。
唐突にプッカリと、そんな考えが頭に浮かんだ。
それは、実はずっと頭に蔓延っていた考えだった。今までは、曲がりなりにも家族がいたから、決行を諦めていたことだった。世間じゃあ、家族が死ぬということは不幸なこと、マイナスなのだ。わたしは家族を不幸にはしたくなかった。
その欲望の起因は定かではない。
命ってものが有限であると認識したのは、通学路で可愛がっていたわんこが癌になって死んでからだ。命って言うものは電池のようなもので、それのエネルギーが無くなるか、壊れるかすると、生きているものは何もしなくたって死ぬんだという。なるほどこういうことか、と思った。
なら、自分で自分を殺すということも出来るんじゃあない? それを世ではジサツと云うらしい。自らを殺すと書く。この国で脈々と受け継がれてきた伝統のひとつである。まったく人間の頭というのは、くだらないことを考えるものだ。
母が死んで、妹が死んだ。命というものが壊れてしまった。
学校の健康診断によれば、わたしは至極健康であり、あと数年は成長著しく、内臓はぴっちぴちの桃色をしているという。わたしの命は、このままだとあと五十年は問題なく稼働するのだろう。途方もないモンだ。
―――――――だから死のう。わたしは夭折すべき人間である。
そもそも、神様とやらがいるのなら、なんでわたしだけ生き残ったのかが分からない。妹とわたしがいたのなら、妹が生き残ったほうが、のちのち良いではなかろうか? 元お父さんと血は繋がっているし、社交的で天真爛漫な彼女は、あらゆることをうまくやっただろう。
母は天涯孤独同然だったから、よくわたしたちに言い聞かせたものだ。「世の中をつくるのは人の縁よ」と。
どう考えても、あいつの方があらゆる人々と縁深く、放射線状に世界が広がっていたはずである。一方で、わたしの世界は、まあるく転がり落ちそうな形をしているんだと思う。こうしたゴチャゴチャしたことを考えてばかりのわたしが、世間様でいう薄情ものであることは、明白なのだった。
いや、わたしは別に神様を信じているわけじゃあない。神様ってのはいないと思っている。もしくは、人の生死なんてのは、神様とやらのマッタクの管轄外なのだろうと考えている。
何より、死と云うものに興味があった。いや、実はこれこそが、もっか一番の理由かもしれない。
それらを踏まえての結論だ。だからこそ、わたしは死なねばならない。夭折だ。夭折である。なるべく早く、この世とオサラバしなければならない。でもそれには、なんらかの、大きな、とても大切なものが欠けている。
眼下では、鍋の中で海老が煮えている。
外目にはわたしは、爪先すらちょっとも動かさず、目を開いて鍋を眺めていたのだ。
―――――――……これは、ほんの昨日まで海で泳いでいたのだ。
わたしの意識は、夭折への期待のまま、海老の行く末に移った。
まん丸の銀の鍋の中に、一匹だけの、まあるくなったピンクが右往左往……。―――――――それがこんな、息の苦しいところまで網ですくわれて、生きたまま冷蔵庫に入れられて、内臓をほじくられて、熱湯に湯がわれて、殻を暴かれて、そうして腹に収まって……。
もし、それが人間だったなら。これが、わたしだったなら……。海老は、下手くそのわたしの手ががこねくり廻したから、海老は頭ンところの肉がささくれている。
―――――――苦しいだろうなァ。
生物を食えるようにするっていうのは、そういうことなのだ。獲って、閉じ込めて、衰弱させて、コレという時に殺し、叩いて磨り潰して煮込んで……そうして食うんだろう。
胸の中……いや、胃袋のあたりだ。そのあたりからムクムクとガスのようなものが溜まり、わたしの血が熱く沸騰し、頭の真ん中まで巡っていく。
―――――――素敵だ。
それはなんて、素晴らしいことだろう。
ああ、それができたなら、なんて……。
そうだ、そんな死に方が良い。ぴったりと、わたしのなかで欲望どうしが嵌り込んだ。
わたしは自らを殺すということを、悪だとは思わない。悪なのは、誰かを不幸にすること。誰かに自らの不始末を被らせること。つまりは、誰かに迷惑をかけるということ。
わたしを例とするのなら、現在進行形で、母の後輩に迷惑をかけている。元お父さんにも同様に、他人の世話を焼く羽目になっている。見えないところで……たとえば母の職場なんかでは、もっと迷惑をかけているだろう。母はそのへん、駄目だったなアと思う。ただ生きているだけで、こんなにも他人様に迷惑をかけるのだ。母はもしもの時のために、元お父さんとキッチリ夫婦になっておくべきだった。人の道を惑わせるのは悪だという。ならば悲しくも悪のままで死んでしまった母をもつわたしは、善として死んでいきたかった。
骨も残さず食べられる。ほかの命の糧となり、食物連鎖の頂点に立つ人間の身をして命の連鎖に組み込まれる。
そんな命の使い方は、とっても美しく無駄のない善に見えた。
死ぬのなら、計画的にしなければ。
ふつうのジサツじゃあ駄目だ。後始末を誰かにさせるようでは、いけない。だからといって、わたしがわたしと分からないような、無意味な最期にはしたくない。
ピンクのそれを、菜箸ですくって、口に入れる。噛む。ぷちぷちと歯を押し返す弾力の海老の肉の触感と、海水のなんだか喉に張り付くあれを凝縮したような海老の味がする。当たり前だ。そもそもわたしは、あんまり海老の味が好きじゃあない。今更ながら、どうしてわたしはこんな夢をみているんだろう?
想像してみよう。わたしがそうやって、だれかに食われるところ。
わたしがわたしだって分かっているやつが、わたしを肉として口に入れる。今こうやって、わたしがしたように、こいつが生きているところを想像して食う。
華々しい幕引きはいらない。ただ、誰かの糧となるような。
誰かには確実に覚えてもらえるような。あいつの生き方は美しかったね。そう目を細めて言われるような。そんな死に方を探そう。
そのためには、生きなければ。誰よりも、まっとうに。
妹や、母のように。
わたしは一年ほど、宛がわれた高台の家で一人で暮らした。
毎日朝の六時になると、村のおばさんが勝手に入ってきて、あれこれ家事をやってくれた。おばさんはわたしが学校から帰ってくる頃には、夕食を置いて帰っている。わたしはその夕食を食べ、お風呂をもらいに行き、宿題をして寝る。それの繰り返しだ。
誰もに好かれるようにした。そうして、誰が一番にわたしを覚えていてくれるかを吟味した。
風呂を貰いに行く坂の下の家には、十八になる娘がいた。彼女はわたしを大変可愛がってくれ、レースやフリルの洒落た服を好んだ彼女は、それらを率先してわたしに下賜しようとした。しかしわたしの方は、あまりそういったものに興味は無かったので、彼女はかわりにわたしの肌や髪を磨くことに興味の矛先を向け、今度は化粧品やらを押し付けてきた。
彼女の母親は派手な娘に眉をひそめつつも、見ないふりを決め込んでいるようだったが、わたしが娘のおもちゃになっているとやってきて、母娘で手を組んでわたしを着飾ろうとした。
段々になっている村の下の方に住むトシアキだかタカアキだかの名前の六年生は、坊主頭で頭も脚もはしっこいガキンチョであった。十五までの子供が四人しかいない学舎において、わたしは彼に一番年の近い子供であり、勝手に好敵手と見られたようだった。彼はとにかく目立ちたがりのお喋りで、わたしは彼に辟易することも多々あった。
先生は、灰色の頭に眼鏡と一体化したような鼻を持ち、トンボのようなお顔の人だった。三十路の半分過ぎたと聞いたが、それより十や二十ほども老けて見える。なんだか所作がナヨナヨしていて、あまり好きではなかったように思う。
あとはどれくらいいたのだろう。その他大勢、村人は百から千はいたのではなかろうか。いくらなんでも万人とは行かないと思う。わたしには、幾人かのほかは薄ぼんやりとした影のようなもので、その影が百でも千でも変わりが無かった。
あいつと出会った日のことは、よく覚えている。
なんか変な奴が来たナア……。
わたしはそう思って、そいつの頭を見下ろしていたのだった。
◐
玖三帆は、わたしが思うに、天然記念物的な保護をされるべき精神構造の人物である。もちろんこれは、わたしなりの皮肉というやつだ。
玖三帆は、面倒は嫌いだという。これはもはや口癖で、「おれは面倒が嫌いだからよぉ……云々」という感じで、ぼつぼつと言い訳じみた言葉を吐きつつ、婆さんちの屋根の修理だとか、爺さんのしょうもないお使いだとか、餓鬼の玩具をつくってやったりだとか、何かしらの面倒ごとをしている印象が強い。とにかく押しに弱くって、見ているこのわたしの方が呆れてしまう。
それでいて、坂の下の娘さんに言い寄られているが押し通されてなし崩し……ということもない。老女に向かって「お姉さん」と声をかけるくせ、自分に言い寄る若い娘には、慣れた感じに社交辞令でかわしては進んで顰蹙を買っている。ああいうのをスケコマシというのだろう。
わたしが知る『ヤナギ』よりも、柳に風というような人だった。悪人か善人かと振り分けるのならば、おそらく善人だ。
万時、事勿れで在れとは、玖三帆青年の座右の銘である。まさしく風に凪ぐように、玖三帆青年は生きている。
そいつがどうして、ぼくのことを構うのだろう。
……いや、その話はすまい。どうせ、詭弁になるのだから。
◐
認識を覆そうと思う。
玖三帆はとても悪魔的で、わたしにとっては、たぶん魅力的なひとなのだ……と、思う。
けっきょく玖三帆がこの集落を出なかったことが、やつの性質を現している。
柳に風のようとは、そういうことだ。流されるまま、千切れて消えていく空の雲と言い換えてもいいだろう。
わたしにとってのあいつは、そういうやつなのだ。そしてわたしは、そんな人間を嫌いじゃあないらしい。
認めてやろうじゃあないか。
わたしは願うならあいつの糧になりたい!
そう思うと、わたしは柄にもなく、少し恐ろしくなった。眠れなかった一晩で考えたが、やはりいずれは死ぬだろうと思う。
けれど、唯一小さな未練になってしまった存在は、しこりのようにわたしのうちで居座っている。
つまりは、そういうことだ。
◐
夢を見る。
わたしは鍋のようなところにいて、そこに満たされた湯の中で、ふよふよと浮かんでいる。
塔のように聳える、ひどく背の高い誰かが鍋の淵に立ち、紫色に光る不気味な瞳でわたしをジッと見下ろして、ときどき棒のようなもので鍋を掻き混ぜるので、ピンク色で、手足の捥がれたわたしは、くるくるぷよぷよと水中を右往左往する。
見上げる鍋の向こうは、コンクリートのような灰色だ。『誰か』の瞳ばかりが、鮮やかな紫色をしていた。
やがて、自身のまわりで霧が立つ。
もわもわ膨らんでは弾けていく泡に乗りながら、わたしは夢の中でまた眠りにつく。目が覚めればまた水の中……。何枚にも重なった幻の中を、わたしは夜な夜な落ちていく。
そんな夢を、三日に一度は見ている気がする。
この地に来て二年。玖三帆が来てもうすぐ季節が一巡り。わたしはなんだかんだ生きていた。
それなりに我々は互いを尊重しあい、時に喧嘩し時に励まし、日々罵りあいながら、共同生活を行っている。
わたしの欲は、いっかな萎む気配はなく、ますます膨らむばかりだった。
舞台に不満は無い。
むしろ、この場所に来るために生まれて来たのかもしれない! そんなことすら思う。
だってここでは、ヒトを喰う化け物がいる。人魚とは、ヒトを喰うのだ。
そしてそいつは極めて知的にして、感情がある。
そしてそして、わたしはその人食いと友人となることに成功しているのである! つまりわたしを喜んで食ってくれるかも!
舞台が揃いすぎて怖いくらいじゃあないか。これは神さまが段どってくれたとしか思えない。こうなってはもはや、わたし自身の境遇やら葛藤やらはどうでもいい。死ななきゃあもったいない。
わたしは神さまなんて信じていないけれど!
さあ死んでやる。いつでも死んでやる!
どんと来い死期!
しかし現実はちょっとだけ難しい。
なんでも人魚いわく、若い男を好んで喰うのだそうで、わたしでは引っ繰り返っても条件があわないのだ。その話をしてしまってから、彼女とはどうにも気まずい。
あともう一つ。わたしの目的は、わたしを誰かに殺してもらうことじゃあないとうことだ。
行動には、理由と意味と願望が伴うものだと思っている。これらの定義は似ているが、わたしの中では違うものとして処理されている。
ホワイダニット? わたしはどうして自殺を選ぶのか?
すくなくともわたしは、わたしを殺すのは自分でなくてはならないと思っている。
命とは、勝手に生まれてくるわけではない。電池を必要として仕組みを考えた人がいるように、すべからく生産する親がいる。そして人間は電池ではなくって動物だし、動物は交配によって生まれるわけで、人間はカセットにはコピーできない。つまるとこ何が謂いたいって、脈絡と続いた遺伝子の連鎖の末にわたしという人間が奇跡的に存在しているわけである。
命の価値は軽くも無いし重くもないが、しかし奇跡という必然の末にある。だから人は、それを尊ぶわけだ。そのへんの事情を逆に考える人が、この世には多すぎると思う。
不幸だろうが幸福だろうが、生物には、生きて次へ繋ぐ責がある。わたしは勝手にその責を放棄したいのだから、他者へ処理を委任するわけにはいかない。詭弁かね? これはルールだ。自身を殺すのは自分でなくてはならんのだよ。
わかるかね。想像上の玖三帆くん。
別にわからなくともよい。
さて、わたしは前述通りの夢を見るわけだが、それの様相が、ここ最近不穏に見えるのが気になるので、ちょっと聞いてほしい。
いやまあ、最初からけっこう不穏な夢ではあるのだけれど。
まず、舞台となる鍋の底が、岩の洞窟に変化した。わたしはそこで、相変わらずぷかぷかしているわけだ。そして視線を感じる。
その目がどこにあると思う。上じゃない。下だ。
わたしが浮かぶ下、尻をジッと見る視線がある。尻と言ってもあれだ。夢のわたしは、剥き海老の形をしているので、臀部というより尾っぽのほうである。
そいつは口を利く。皺がれた老人の声で、男か女かもわからない。
『わしはおまえのためなら何でもしてやるよ』
トドメに付け加えられる、『死んだらわしのところにおいで』という怪しげな文句には、有無を言わせぬドメスティックなものが語尾に漂い、目が覚めると冷たい汗が出る。
確かに、わたしは死を望む。
何も現世への未練がないわけではないけれど。別にこの世が恨めしいわけでもないけれど。
でも、死の先に何かを望んでいるわけでもないのだ。
……別にわからなくともよい。
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