第十六話 Black box M & Way out. About me 後編

 ◐


 村に戻ると、たくさんの仕事が待っていた。

 一晩振り続けた大雨が土砂崩れを起こし、山の上と下を繋ぐ道路が分断されたのだ。しかもそれに、村人が巻き込まれていた。

 下まで降りる道で、車が通ることができるのはあの道だけだった。分断された道路の復旧、死んだやつの葬儀、のこされた遺族への慰めの言葉……。ここのやつらは毎月人殺しを見ているくせして、神事以外の人死にには耐性が無い。

 目まぐるしい中で、ふと、おれは自分を保っていることに気が付いた。

 何がきっかけだったかは分からない。けれど、おれの中にあいつはもういないのだ。

 何十代目かの村長を務める弥百合は、おれが最初に出会ったあの老女の、孫の孫の婿の弟の娘あたりの血筋である。これら一族の姓を葦児といい、玖三帆本人が分かっていたかは知らないが、玖三帆の祖母にあたる。

 つまりは村長を務める血筋であり、この集落のもともとの神官の家系でもあった。

 ……といっても、この集落では三分の二が『葦児』を名乗るので、弥百合の家が宗家という扱いだ。

 葦児の宗家の家には、村で唯一、蔵が存在する。

 詰っているのは、葦児の祖先たちが遺した神事を行うためのあらゆる神具や子孫へ向けた指南書であり、おれが神事を執り行うようになってからは、ほとんど無用の産物となってしまった無数の道具たちであった。

 神をたおすためには、相応の手順がいるのではないか。そのためには、名前のみならず姿かたちや成り立ちを知りたい。

 古来の神事の様を知りたいと言えば、弥百合は喜んで頷いた。

 ……実を言うと、過去におれは、この蔵を暴いたことが一度だけある。

 まだ巽の口が利かず、おれがまだ人魚呪いから逃れることを諦めていなかったころだ。

 そのころはまだ、村長は龗神社の神官であり、この集落の統治者であった。

 蔵は、山に面した葦児宗家の裏手にあり、おれはわざわざ山から迂回して、この蔵に忍び込んでは夜な夜な資料を漁ったのであるが、当時は書物を読み進めるにも余裕が足らず、いちど危うく小火を起こしてばれそうになってからは、鍵を変えられ踏み入ることが不可能になっていた場所であった。

 百年近くぶりに、堂々と鍵を開けて踏み入った蔵は、遠い記憶と同じ匂いがする。

 書物は、歴代の村長の日誌のようなものから、先祖伝来の家系図のようなもの、神事の子細についてのもの、どうでも良さような物語まで。蔵の一角に無造作に置かれていた行李の中に、みっちりと混在して詰まっていた。

 おれは葦児家に半ば無理やり滞在し、行李の中身を読みふけった。

 それによれば、龗神社の正式な名を闇龗くらおかみ神社といい、名前の通り祀っているのは闇龗神という水神である。いわく、闇龗神は、母であるイザナミを死に追いやったカグツチを斬り殺した際に、その滴る血液より生まれた神の一柱で、ともに生まれた片割れに、貴船神社でなじみ深い高龗神がいる。

 そしてこれは、黒き龍神である、と締めくくられていた。

(……おかしいな)

 おれはその文に、奇妙さを覚えた。

 まるで日本書紀の抜粋のような、説明じみた文体であったからだ。

 ふつう自分たちが祀る神のことを、『これ』などと表すか?

 村の連中は、その三分の二が『葦児』という名だ。これは、彼らが元を正せば血を同じくする神官の家系だということだと思う。

 現に、『おかみ様』について村連中が話すとき『この集落で守らなければならない神だ』と口を揃えていう。

 葦児家の系譜を記したらしい本には、この村にやってきてからの記述しかない。

 ここは平家の落人が拓いた村と聞いた。書物が書かれたのは幕末ごろ。

 家系図の最初は、『玉依夜叉タマヨリヤシャ』とある。

 平家の夜叉といえば、浮かぶのは平将門の娘である滝夜叉姫。

 これは父の仇を討つために妖術を用いて夜叉のごとく鬼となった姫の名であるが、この娘が夜な夜な怨念を募らせた舞台というのが、高龗神ゆかりの貴船神社である。これは能楽の題になるくらいに有名な話だ。

 家系図には添えられるように『姫御前一門 葦児アシゴアラタメ あしぶねニアリシ御子みこもりつとメン』とある。

 葦船の上の尊い人を守るためにいる、とでも読めば良いのだろうか。よくわからない。この本には、実が大きいわりに果肉の少ない情報しか載っていない。

 その点、神事の本のほうには、いくらか収穫があった。

 これによると、神事は三度、変化している。

 一つは、もともとこの地にいた闇龗神の神事のやり方。

 二つ目は、ここにやってきた『葦児』が行っていた神事のやり方。

 三つめは、それら二つを混在させた神事のやり方。

 四つ目は、おれがやっている、巽に餌をやるために変容した神事のやり方。

 そう、これで納得がいった。この瀧川の集落は、『平家の落人である葦児家』と、もともと瀧側にいた『原住民である矢又家』と、ふたつの血が混ざった土地ということだ。

 闇龗神は、矢又が信仰していた神だ。だから葦児の書物には、辞書のようなそっけない説明文しかない。葦児は侵略者だ。敗残兵ってのは、逃げ出した先で野党に身を落とすこともざらって話だもの。

 書物によると、龍が啼くこの地において、かつての矢又の民は、秋の新月の夜に人柱を用いて闇龗神を鎮めたという。

 それは滝の上から河口に人柱を流す方法で、あの河口を龍の口に見立て、飲み込まれるまでを見届けることで完遂とされた。

 葦児の民の神事は、玩具の船を用いて供物を詰め、河口に流す方法を取る。

 河口は地下を通り、海へ通じると信じられている。

 これは彼らが信仰する『葦の御子』とやらが、海に由来する神であるからして、その『御子』に届けるための行為であるらしい。

 供物にするのは、稲穂などの作物や、網などの漁の道具。豊穣を司る神なのかと思えば、これは『御子』を慰め、食うに困らないための行為だという。

 おれは読み進めるうち、思い出してきた。

 おれはこれを、確かに読んだことがある。

 蔵に忍び込んだ時か、それとも神事を引き受けるときか。何にしろ、おれが後々に変容させるうち、これらの知識を無意識に引き出していたのは間違いない。

 最初の村長は言った。

 ―――――――……龍女には、治水の力がある。のみならず、水を肥やし、それを吸った地を肥やし、地で育った実を肥やす。自在に雨を降らすこともできようという。龗はお眠りあそばされ、久しく二十年。そろそろ地の根が緩み始めろう……

 おれが来る前の瀧川は、この二つの神事を混在させて行っていた。

 つまり、船に縄で縛った人柱を詰め、河口に流す。『補陀落ふだらくの滝』ってあったな? 『補陀落』という単語は、もともと仏教用語だ。観音様おわす山の名前らしい。

 おまえも聞いたことがあるはずだ。乙子のおやじは、あれで一応修験僧だからな。空船が覗いた蔵書ン中に、それを書いたやつがあった。

 空船あいつはわりとあのへんが好きでよォ、よく拝借していたかんな。それでようやく、おれの積年の謎が解けたってわけだ。

 さて、そん本の中に『補陀落』と名の付いた、船を使う修行があった。

補陀落ふだらく渡海とかい』……行者が帆も櫂もない船に乗り込んで、場合によっては体に重石もつけて、海の果てにある補陀落へ、死出の旅に出るというやつさ。

 即身仏ってあるだろう? 経を上げながら生き埋めになって、静かになったころにぁ、座禅組んだ坊主の干物が出来上がるっちゅう修行だ。あれを海でやろうってンだよ。馬鹿だねえ。おれを見てみろよ。死んで徳がつくか?

 あいつらが行う神事と補陀落渡海がごっちゃになって、『ふだらく』なんちゅう縁もゆかりも無い名前を、神聖な滝につけたって考えると、おかしな話やいに。

 ますます可笑しいことに、なんでも補陀落渡海ってやつは、日本独自の奇習らしい。日本神話の神様が、船に乗って海の果て、常世へ行ったっていう伝説をもとにしてんだってさ。面白いだろう? 常世に行きたいのか、補陀落に行きたいのか、分かったもんじゃあない。

 龗さまとやらと同じだ。ドッチがコッチか分からない。

 さて、おれは龗さまというもんの正体に、こういった仮説をつけたわけだ。

 しかしおれは、この仮説に動揺した。でも『龗さま』が二通りいると考えれば、だいたい説明がつくんだから、仕方ない。

 なぜ動揺したかって? だって、敵さんの正体は二つあるんだ。

 人間ってやつは勝手だねえ。何百年も『龗さま』を祀っていたってえのに、その本当の姿は、だあれも知りやない。

 闇龗くらおかみあし御子みこ、おれの本当の敵はどっちなんだ?

 それともどっちもか? ええ?

 けっきょくおれは、あいつに負けたんだ。勝負にならないまんま、オダブツさ。

 集落はもう無い。奴はまんまと『柳』の体を手に入れた。巽はあの嘘つきに気づいてンのか気づいていないのか、あれから数十年を共に暮らしたんだってなァ……。




 ……と、ここまで三割くらいが嘘だ。




 エ? 何を呆けた顔してやがる。

 へへへ……そうだよ。ホントウにウソだ。ホラが混じってるよ。

 ……具体的に? そうだなぁ……蔵で本を見つけたあたりは重点的に嘘だな。実を言うと、弥百合はあんなに馬鹿親切な女じゃない。賢しくて狡くてヤなやつだった。葦児の婆アどもは、みーんなそうなんだ。

 ……いやいや、これはホントウだって……必要以上に疑り深いと損するぜ。

 そらなんでって、自分の事をイチからジュウまで話すなんて、こっぱずかしいこと出来るかよ……。

 っていうのも方便だ。話が長くなるから端折って継ぎ足ししただけサァ。

 おまえらに馬鹿正直に話すのも癪だろう? どっからどこまでがホントウかは、自分で思い出すんだな。

 でも、柳とやらが気になるのはホントウだぜ。

 その『柳』とは誰だ?

 おれにはいまだに分からないし、知らンのだ。おれはそれが気になって気になって、おちおち死んでもいられねえ。

 船頭さんよお……早いとこ思い出して教えてくれよォ。

 おまえはそれも知っているはずなんだぜ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る