第十六話 Black box M & Way out. About me 前編

 おまえが死んだら水に流そう。

 死んだら箱舟に乗せて、あの流れにおまえを任せよう。きっとあの海に届くだろうね。龍の背にまたがって、おれの中のおまえは、美しいままで消えていくのだ。

 墓なんていらない。石の下にあるおまえを見たくない。醜くなったおまえを見たくない。墓があったら、おまえが消えたことを、おれのこころが分かってしまう。

 同じ気持ちだから、おまえは、おれをここに導いたのだろうね。

 おれもじきに、同じ所へいくだろうさ。

 なあ、それでいいだろう。

 なあ―――――……。


 ◐


「この話は、ミステリーでもサスペンスでもありません。荒唐無稽にして奇奇怪怪、およそ現実的ではないファンタジー。けれどホントウに、ぼくとあなたの間にあった話です。ぼくが語り部としてあなたの前に存在するのは、この話をいちばん良く知っているからに他なりません。そしてあなたは、あなた自身の目でしかこの物語を知らないわけで、ぼくは、ぼく以外の目でも、この物語を見ることが出来た。語り部であるぼくは、あなたの見たものを補填する形で、この話をしているのです」

「……おれが見たもの? 」

「そう……すべての真実はこの船に乗っています。この、うつろの上を進む黄泉の船に」

 奴はそう言って、手のひらで船首を示した。

 今や行く先は霧深さを増しに増し、どろりと濃い乳の海に浸かっている。

 水面も白く霞みがかかり、本当のところ進んでいるのかすらも分からない。ただ、微かな風が水気を孕んでおれたちの顔を打っているので、おそらく進んでいるのだろうと思っている。

 しばし、口をきく気分になれなかった。向こうも同じらしく、空白ができる。

 ……やけに神妙な空気になっちまったな。

 それもこれも、こいつの語りが上手いせいだ。そうに違いない。

「くれぐれも、話に呑まれないでくださいね」

 考え事から浮上すると、吐息がかかるほど目前に奴の目玉があったので、わたしはワタワタしながらのけぞって船を大きく揺らした。お互いに慌てて縁にしがみつく。

「あっ、あぶないなぁっ」

「すまん」

 ふうっと息を吐いて、奴は船首の方を向いて座りなおす。……すると。


「あっ」

 すぐに一度おろした腰を上げ、奴は船首を越えた向こうを見つめた。そして霧で曇った向こうに大きく腕を振る。

「オーイ! オオーイ! 」

 白い幕になった行く先に、やがて染みのような影が浮かび上がった。

 くらりとした揺れとともに、船べりが男の手に捉えられ止まる。

「よお。うまくいってるか? 」

 片手を上げた男の顔には、白い……卵の殻のような、真っ白いだけの面がかけられていた。

 赤茶けた海藻のような髪を掻き回し、男はざぶざぶ霧で曇る水面を蹴り上げ、脚を上げて船に乗り込んでくる。奴は黙って、男を船に迎え入れた。


「ちょ、ちょっと、あんた、誰なんだ? 」

 わたしは再びゆらゆらする足元に、慎重に腰を持ち上げる。

「ふん」白い面がわたしの方を一瞥し、奴の方を向いた。「おい、どこまで話したんだ? 」

「ちょうど、あなたが空船と合流して……今、かくかくしかじかってところですよ。柳さん」

「へえ。じゃあ、いいところに邪魔したなぁ」

 白いのっぺらの面の上に、にやりと口が厭らしく持ち上がったのが見えた気がした。

「柳? 柳だって? 」

 目を白黒させて男の顔と同行者の顔を行き来するわたしの顔をジッと見て、柳は「ふふっ」と、今度は声を出して笑う。


「そうさぁ。おれが柳。おれこそ男面の柳さぁ。別にいいだろう? ここにいてもさ」

「いいですよ」答えたのは、わたしではなく奴のほうだった。

「柳さんの口から話してもらえるほうが、いっそ好都合かもしれません。だってこれからは、柳というニンゲンが、いかにして死を迎えたかという話になってくるわけでもあるんですから」

「そうさなぁ。おまえがそこまで話したンなら、おれがどうやって人間をやめたかって話になってくるもんなァ……」

 また柳は、意味ありげにわたしの方を向いた。「……くくくっ」


「……それにしても愉快だよ。こうして、お前とおれと、こいつと……こんなふうに話をする時が来るなんてナァ。イヤア、びっくりだ。実に愉快だ。うくくくくく……おまえが、こんなところで磯臭くなってやがる。くくく……さて、どこから話してやろうかね……ほら、席を空けな」

 片手でわたしの肩を押し船首に陣取った柳は、大きく足を開いて肩を丸めた。

 そして誰に向けるでもなく、しいていうのなら船底に向かって、柳は言う。

「これでもおらァ、てめえの親だからナア。おい玖三帆よ。感謝しろよ。おまえのために、こうしてこんなところにまで足を向けてヤッてンだからよ……おれは一応、おまえのために来てやったんだ……」

 柳はおもむろに首を持ち上げると、その白い面に痩せた手をかけた。

「……おれが、おれの異変に気が付いたのはいつのころだったろうな。確か、そう、克巳が来て、玖三帆が来る前。おれはある日、浮かび上がるように気が付いたのさ……おれが『柳』と名乗る前の名前だよ……それが思い出せなかった」

 面の下にあったのは。

「……おれの本当の名前とは、ハテ……? いったいなんだったっけ? ってな」


 その下にあったのは、ただののっぺらぼうだった。


 ◐男面


 瀧川村は、山肌に沿って階段状に村が広がっている集落である。

 棚田や段々畑が山を覆うように存在し、その田畑の面倒を見ている家が同じ段上に存在している。

 村自体が巨大な雛壇になっており、あみだのような道が、家と家、田畑と田畑を繋いでいた。夏は村全体が、緑の絨毯を敷いた階段のように見える。

 そんな夏すぎて秋ともなれば、収穫間近の稲穂が黄金に輝いているのが、いっとう高台にあるこの家からはよくよく見えた。

「……おい、おまえ。こン前の春に、村に来た小僧やな」

 おれが声をかけると、その子供は緩慢な仕草で下を向いた。裸足の脚を石塀の上からぶら下げ、おれの顔を見下ろしながら、もぐもぐと口にしていた果実をもう一口含む。

「降りて来や」

 ウン、と頷いて、栗鼠のような顔のまま、子供は一度石塀の向こうに消えていった。果汁で赤く化粧をした口を拭いながら、そいつは門の奥から億劫そうに出てくる。

「顔を合わすんは初めてやな。おれの顔は知っとるか」

「知ってます。宮司さんやろ。ここでイッちゃん、エラい人……」克巳はまじまじと、おれの顔を見て言った。「お兄さんと話したンは、三回目やね」

 おれは「そんなはずはない」と返した。

 覚えている限りで、おれが克巳と顔を合わせ、話をしたのは、これが初めてのことである。

 むっとして唇を尖らせた克巳は、すぐに口をへの字に曲げ、大きくため息をついておれを下から睨む。

「嘘やぁ」

「そんなわきゃアない。じゃあおまえ、いつおれと会うた言うんや」

「それ、昨日も言いましたよ。ぼくを迎えに来たのはあんたやったやァないか。おんなじこと、ぼくは昨日も下の山の境のとこの道で会うて……」

「ふん……もうええ。おまえ、巽さまに会うとるそうやな」

 おれがそう言うと、克巳は無表情でおれの顔をジッと見つめた。

 そう。おれはこの日、こいつにその話をしに来たのだった。

「巽ちゃんは、ぼくとはお友達になったぁ、あかん人なんですか」

「……あの御方がどんな御方なんか、おまえは分かっとるんか」

 おれは上から諭すような声を出しながら、内心驚いていた。あの頃の巽は、まだ皺くちゃの小さな老婆の姿をしていた。いつからか、この集落では七つになると、親とともに巽に目通りを済ませる。あの洞窟の奥に連れてこられた子供は、まず怯えて泣き叫ぶ。

 子供ほどの背に骨と皮の体をして、半身が魚という年を取らない生き物を、「巽ちゃん」などと気安く呼ぶ奴は、ここにはいない。


 だってあいつは、化け物の娘なのだ。

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