第64話温泉

 レストランを出たシドは「今日はここに泊まる」と言いだした。

食事が終わったらすぐにでも飛び立つのかと思っていたイツキは不思議に思いシドに聞いた。


「直ぐに向かわないのですか?」


「ダークエルフや森の民には手土産が必要だろう。手ぶらで行くと時間が掛かる」

 シドはこれまでの経験から見知らぬ村や土地の人間に会う時に、贈り物が人間関係をスムーズにする潤滑油になる事を知っていた。特にこの時代は土地によって文化や情報に大きな差があった。驚きは興味関心を抱かせる。


理論だけでは人は動かない事をシドは経験から分かっていた。


 

なによりシドはここで旅の汗を流したかった。

「イツキ、ここに温泉があるのを知っているか?」


「え?あるんですか?」


「ああ、お前と来た時はなかったが、あれから暫くして湧いた。なかなかいい湯だぞ」


「師匠、お供します」

 イツキも何の文句もなく賛成した。

この日二人はのんびりと温泉に浸かりゆっくりとする事にした。


「宿屋の当てはあるんですか?」

イツキはシドに聞いた。


「あるぞ。あそこの小高い丘のふもとにあるホテルだ。あそこは温泉がある」

シドはそういうとスタスタと歩き出した。イツキは慌ててシドの後をついて行った。



 そこはレンガ造りの建物だった。

シドは躊躇なく入って行った。

フロントの前に来ると大柄の女性が「老師様」と声を掛けてきた。


「おお、女将さんか。今日は泊まりに来ましたぞ」

とシドは嬉しそうに言った。

「師匠、ここは旅館じゃないんだから女将さんはないでしょう?」

イツキはシドにそう言ったが、その女性は

「いいえ。女将で良いんですよ。このホテルもこの温泉も全て老師のお陰で、オーナーの事を女将というのも老師様から教えていただきました」

と言った。


 シドはイツキをドヤ顔で見下し鼻でふふんと笑った。

「僕の知らないところで何をやっているんですか? 」

イツキは聞いた。


「ふん!」シドはそれ以上は何も言わなかったが女将が代わりに話してくれた。

「簡単に説明しますと、このオアシスに数年前魔獣が現れました。それをこの老師が倒してくれたのです。その場所が今このホテルが立っているここです。

魔獣を倒した後、その後に窪地ができて温泉が湧いたのですが、老師が『これを元に温泉旅館を開いたらいい』と勧めてくれたのでここにホテルを作る事にしました。」


「本当に簡単に説明してくれたなぁ……でも、とても良く分かりました」

とイツキは笑いながら言った。


シドはイツキの耳元で

「イフリートだよ。現れたのは」

と言った。イフリートはこれでシドの召喚獣になった。


「ああ、それで温泉ですか?」


「そういう事。奴は火焔の魔人だからのぉ。まあ、温泉が湧いたのは偶然じゃがな」

そういうとシドはさっさと中へ入って行った。

女将はシドとイツキを部屋に案内した。


「何!ここ和室じゃないですか?」

イツキは驚いて叫んだ。


「だろう?ここの女将に作らせたんじゃよ。やはり温泉宿はこうでなくてはな」


「この造りの部屋はあと一部屋ございます。これは老師様が自ら作らせたお部屋です」

と女将が説明した。

 言ってみればシドはこのオアシスを救ったヒーローである。これぐらいの頼みはなんでもない。

その上この温泉旅館……いや、ホテルはそれなりに儲かっているようだった。


「イツキ、温泉に行くぞ」

とまたイツキを置いて出て行った。

慌ててついて行ったイツキだが、大浴場を見てまた驚いた。

 昔……そう、イツキが転生してくる前に、家族で行った温泉旅行で見たような大浴場が目の前にあった。

イツキは感激していた。

「この風呂桶は……」


そこには昔風呂屋で見慣れた黄色い風呂桶が……お約束に文字まで書いてあった。


「芸が細かいです……」


「ほほほぉ」

シドはドヤ顔で笑った。



湯船に肩まで浸かったイツキはふぅとため息をついた。

気持ち良かった。


「なかなかいいもんだろう?」

シドは湯船のへりに頭を乗せて天井を見ながらイツキに言った。


「ええ、天国です。まさかこの世界でこんな温泉に入れるとは……」


「外には露天風呂もあるぞ」


「師匠もやりますね」


「そうだ。ワシはやる時はやる奴なんじゃ。誰も言ってくれはせぬが……」


「そんな事はないと思いますよ」

イツキも湯船のへりに頭を乗せて目をつぶっていた。

これまで疲れが湯の中に溶けていくような感じがした。


「今日は純和風で行くぞ」


「えぇ。もしかして料理もですか?」


「当たり前じゃ。刺身が待っておるわ」


「ええ?そうなんですか?」


「ここの調理人は転生者だ。それも転生前は板前だった奴だ」


「よくそんな人を見つけましたね」


「ああ、たまたま一緒にパーティを組んだ転生者の過去の話を聞いていたら板前だって分かってな。こんな貴重な人材をおめおめモンスターなんぞの餌食にしてはならんと、さっさと冒険者を辞めさせてここに転職させた」


「あ、酷い……」


「酷いもんか。人助けじゃ」

笑いながらそういうとシドは湯船から出た。


「さて土産物でも買いに行くか?」


「はい」

イツキも湯船から上がった。


 シドは明日からケンウッドの森の部族を説得し、アルポリとの一戦を交えさせなければならないというのに全く緊張感も見せずに温泉街での買い物を楽しんでいた。

 ワザとらしく温泉街の風情を出そうと敷いたのがみえみえの石畳の上を歩きながらシドは言った。

「やっぱり温泉街にはピンボールとか射的とか欲しいもんだのぉ。イツキ、そうは思わんか?」

シドは相変わらず楽しそうだ。


「ピンボールですか?今どき元居た世界でもないでしょう……そんなものは」

イツキはそもそもピンボールを打ったことが無かった。


「そうかのぉ。面白いのに……」

しどはつまらなそうに呟いた。

「僕はそれよりも卓球台が欲しいですわ」


「おお!それじゃ!それを忘れておったわ。旅館に帰ったら女将に言おう!」


「いえ。ここは異世界ですから……旅館ではなくホテルですから……」

 と言ったもののイツキもシドもやはり温泉と言えば卓球台だった。

これは外せなかった。

 しかしこんなにのんびりしていても良いのだろうか?イツキは考えなくもなかったが、シドに何か考えでもあるのだろうと思い黙っていた。


 シドとイツキはオタ村の四方を歩き廻り見物した。

「本当にここは観光地というか避暑地というか昔のイメージはなくなりましたね」


「そうじゃのぉ。あのひなびた村のイメージはどこにもないのぉ」

そういうとシドは街道沿いの大木の陰で何やら独り言を呟いていた。そういえばさっきからシドが同じような事をしているなと思ったイツキはシドに聞いた。


「まあ、気休めじゃよ。式神を見張り代わりに置いただけじゃ」


「言ってくれれば僕がやったのに……何者かに付けられていますか?」


「いや、その気配はない。もしやと思って観光客を装ってはみたが杞憂だったようじゃ」


「では、ワザと緊張感のないくそジジイを装っていたわけですね」


「イツキよ。なんか言い方に悪意を感じるが気のせいか?」


「間違いなく気のせいです」

とイツキは笑った。イツキもそれぐらいの事は考えていた。しかしシドが余りにもイツキが何も考えていないような口ぶりで言うので嫌味の一つも言いたくなったようだ。


「ふん!まあ良い。兎に角、用は済んだ。それでは旅館に戻るとするか」


「いえ、だからここはホテルですから……」

イツキは師匠のシドとこうやっていられることが楽しかった。昔を思い出していた。


 部屋に戻りくつろいていると女将が食事の用意が出来たと呼びに来た。

案内のままついて行くと、座敷の部屋で料理が並べられていた。部屋も純和風だった。

そして座卓の上にはシドの言った通り見事な和食が並んでいた。


「な、言った通りじゃろう」

シドがイツキにドヤ顔で言った。ここに来て何度シドはイツキにこのドヤ顔を見せた事か。


「はいはい、分かりましたよ。師匠。それよりもさっさと食べましょう。」

イツキは久しく食べていない和食が目の前に並んでいる事に気持ちを持っていかれていてシドのドヤ顔が目に入らなかった。


 オーフェンの宮殿で食った饅頭も美味かったが、やはりご飯は美味しいと真剣にイツキは思った。

この醤油も自家製何だろうか?とイツキは感動しながら食べていた。

ほとんど2人は無言で食事をしていた。あまりにも感動して言葉を発する事を忘れてしまったようだ。


イツキはふと入り口の襖に人の気配を感じた。


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