第53話エリーゼ
「いえいえ。大した事はありませんでしたから」
シドは笑いながら答えた。
「ママ~。これぇ。お兄ちゃんと一緒に取ったの」
とシンシアは籠に入った山菜を母親の前に差し出した。
それを受け取った母親は嬉しそうに「ありがとうね」と言いながらシンシアを抱きしめた。
「それでは」
シドは別れを告げて立ち去ろうとしたが
「今日はどちらにお泊りですか?」
と母親に聞かれた。
「いえ。まだ決めていませんが、ここに宿屋とかありますかな?」
「はい、どうぞ我が宿にお泊り下さい。」
と母親は言った。
別に断る理由も無かったのでシドはそこに泊まる事にした。
母親の名前はエリーゼと言った。
エリーゼの兄がこの辺一帯の宿場の責任者だった。
「ここは私の兄が管理している宿場です。なのでごゆっくりとお寛ぎください。」
エリーゼはシドを部屋に案内するとそう言った。
シドが案内された部屋はちょうど良い広さの個室で一番奥の窓際に左壁を頭にベッド置かれてありその足元に小さなデスクが窓に向かって備え付けられていた。手紙でも書くにはちょうど良さげなデスクだった。
ベッドの手前には2脚の木製のアームチェアとその前にティーカップを置くにはちょうど良いトライポッドテーブルがさり気なく置いてあった。
アームチェアには程よい厚みのクッションが敷いてあり、シドはそこへいつもその椅子に座ているかのように自然に座った。
「お茶をお持ちしますわ。」そういうとエリーゼは部屋を一旦出て行った。
1人になったシドは部屋を見回して、
「なかなか良い趣味しているな」
と独り言を言った。
一通り部屋の造作を眺めているとノックの音がして扉が開いた。
ポットを持って戻ってきたエリーゼだった。
それをボビンレッグが特徴のカップテーブルに置くと、棚からティーカップを取り出しお茶を入れ始めた。
紅茶の良い香りが部屋に薄く漂った。
「お砂糖は?」
「いや、結構です」
シドはそう答えた。暫くはこの香りだけを楽しんでいたい気持ちだった。
トライポッドテーブルに置かれたティーカップを皿を左手に持ち上げてシドはもう一度香りを楽しんでからお茶を飲んだ。
「ありがとう。美味しいお茶ですね。」
シドは満足げにエリーゼに言った。
そして
「私はシドと申します。今は気ままに旅をしております。あ、どうぞお座りください。」
とエリーゼに椅子を勧めた。
「そのお姿は賢者様ですね。」
エリーゼは座るとそう聞いてきた。
この国の職業は服装によって大体分かるようになっているが、賢者とかイツキのようにコンサルタント職はあまり馴染みが無い分、庶民階級には服装だけでは分かり難かった。
しかしエリーゼは一目見てシドが賢者である事が分かっていた。
「エリーゼさんは貴族かな?」
シドは聞いた。
「元は……と言った方が良いかもしれません。」
エリーゼは元々この地方を治める伯爵の娘だったが、村の狩人の男と恋に落ち結婚した。
エリーゼの父親は貴族であったが肩書や生まれで人を区別する人ではなかったようで、この結婚を素直に許してくれた。
コーエンが生まれ、そしてシンシアが生まれ幸せな家庭を築いていた矢先に、夫はモンスターに遭遇してしまった。
それは伯爵の狩りに狩人の夫が随行した時の事だった。
護衛の剣士も白魔導士も居たが一瞬の隙をついてモンスターが現れた。
その時に伯爵が襲われて怪我を負ったが咄嗟(とっさ)に飛び出して、モンスターと戦ったのが夫だった。
狩人は弓が主な武器なので近接戦はあまり得意ではない。その上に、義父を守るためにこの場から動けなかった。
そして他の剣士達がやって来るのを確かめるように夫は地面に倒れた。
白魔導士達はけがを負って意識を無くしていた伯爵に対して集中的に魔法で治療したが、単なる狩人と思われた夫の方は後回しにされた。
後で伯爵が気が付いてこの狩人が伯爵の義理の息子である事が分かった時にはすでに遅く、フェニックスのしっぽでも復活できなかった。
まさか伯爵の義理とは言え息子が狩人とは誰も思わなかった事が災いした。
エリーゼは今、この宿場は伯爵の息子である実の兄が領主の代理として管理を任されていたので手伝いも兼ねてここに来ていた。
「夫に続いて子供たちも失ったら私は生きていけないところでした。本当にありがとうございました。本来なら我が兄もご挨拶させるところでしたが、生憎(あいにく)と都の方へ出払っておりまして申し訳ありません。」
エリーゼはそう言ってまたシドにお礼を言った。
「いやいや。そんなに大した事では無かったですよ。お兄ちゃんは頑張って妹を守ろうとしてましたからね。」
「やはり、モンスターに襲われたのですね。」
「あ、いえいえ。こんなじじいに一捻(ひとひね)りされるようなモンスターですから大した事無いですよ」
シドは心の中で口がすべったわと冷や汗をかいた。
「そうですか。」
エリーゼはそれ以上この話を続けなかった。
そこへまた部屋をノックする音が聞こえた。
入ってきたのはまだ何とか青年と呼べる若さを持った男だった。
「あら、お兄様。お早いお帰りだったのですね。」
と言ってエリーゼは立ち上がった。
「こちらは、コーエンとシンシアを助けて頂いた賢者のシドさんです。」
とシドを紹介した。
男は一目シドを見るなり声を発した。
「あ、シド老師ではありませんか?こんなところでお会いできるとは光栄です。甥と姪を助けてくださったようでお礼の言葉も見つかりません。本当にありがとうございました。」
と手を差し伸べシドと握手をした。
どうやら本人の知らないところで面識があったようだ。
「いえいえ。そんな大した事ではありません。それよりもどちらかでお会いしましたかな?」
――本当に今日はワシの事を知っている人間によく会うな――
シドはそう思いながら少し嫌な予感がした。
もしかしたらあの首を刎ねた現場を見られているかも知れないと思ったからだ。
「はい。本日は父の供をして教練に行っておりました。」
とその男は言った。
「お父様のお名前は?」
シドは更に嫌な予感がしながら聞いた。
「はい。父の名はアンディ・ゲールと申します。そして申し遅れましたが、私は息子のデニスと申します。」
と明るく答えた。
――やっぱりそうだったか――
嫌な予感は的中した。よりによって父親はアイゼンブルクが上軍の司令官に指名した将軍だった。デニスもシドが小隊長2人の首を刎ねた事を知っているに違いない。
「そうですか、それでは父君と一緒に教練に参加されていたんですね。」
シドは恐る恐る聞いた。
「いえ。私は父と老師が指揮台に上がるところを見届けてから帰りました。この宿場が気になっていたので帰ってきました。そもそも私は今はこの地方の自衛軍も監督しておりますので王軍との教練にはよっぽどの事が無い限り軍を率いて上る事はありませんね。」
とデニスは答えた。
その返答を聞いてシドはホッとした。
――良かった。これで今日は大人しい品の良いじじいで居られる――
「そうですか。世の中狭いですねえ……。今日はお世話になります。」
そう言ってシドは頭を下げた。
「何を言われますか!シド老師は今日はゆっくりして行ってください。何だったらいくらでも泊まっていて貰って結構ですから」
とデニスは言った。
「いえいえ。明日の朝には立ちますので。それまでよろしくお願いします。」
――こんなところに長居をしていたら、噂が伝わって来るでしょうが――
シドはさっさとここを離れるのが賢明な判断だと思っていた。
「兎に角、後で食事をご一緒しましょう。それまではごゆっくりお寛ぎください。」
そう言ってデニスとエリーゼは部屋を出て行った。
「ふぅ」
とため息をつくとシドはテーブルにティーカップを置くとベッドに横になった。
「今日は疲れた。」
そう呟くとシドは眠りに落ちた。
どれくらい寝ただろうか?
シドはドアをノックする音で目が覚めた。
「おっと、いつの間にか寝てしまったようだ」
慌てて起き上がり、顔を両手で軽くパンと叩いてからドアを開けた。
「お眠りでしたか?」
そこにはエリーゼが立っていた。
「ええ、いつの間にか寝てしまいました」
とシドは笑ってごまかした。
「済みません。お疲れのところをたたき起こしてしまったようで」
とエリーゼは謝った。
「いえいえ。食べそびれるところでした。起こして頂いて良かったです」
とシドは言った。
「それでは、兄がお待ちしております」
「分かりました。では行きましょう」
シドはそう言うとエリーゼと一緒に食事に向かった。
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