第41話待ち人

イツキは待っていた。

ギルドの自分の部屋でデスクに両肘をつき顔の前で両手を組み、まっすぐ出入り口の扉を見ていた。

そしてイツキは扉を凝視しながら考えていた。

ヘンリーに言った懸念材料が本当は単なる思い過ごしであるという理由を探していたが、それが本当に起こりうるという理由が見つからないように、起こらないという理由も見つからなかった。

イツキは焦った。


――早くこの目で確かめなくては――


そしてこの国の軍制を再構築しなくてはならない。それができるのはこの異世界にただ1人しかいない。


その時、ノックの音がした。

その音はイツキが待ちに待った音だった。人生でこの音をこれ程待ち望んだことは無かったしこれからも無いだろう。

「どうぞ」

それでもイツキはいつもの調子で応えた。

扉が静かに開いて一人の男が入ってきた。


「師匠!!」

イツキが絞り出すような声で叫んで立ち上がった。

入ってきたのはイツキが唯一「師匠」と呼ぶ老師シドであった。


「なんじゃ?死にそうな声を出して。悪い病気でも貰ったか?」

老師シドはイツキにそう言うとイツキの脇を通り抜けて応接セットのソファーにドンと腰を下ろした。


「そんな病気を貰うような事はしてないですよ。」

イツキは笑いながら応えた。


「そうか。それよりも喉が渇いたのぞ。フレッシュジュースが飲みたいのぉ」


「はい。」

イツキはそう答えると部屋を飛び出して受付にいたマーサに飲み物を注文した。

マーサはイツキのいつもにない表情を見て驚いたが、それは口に出さずに

「分かりました。お二つ用意しますね。」

と答えた。

その返事もまともに聞かずにイツキは部屋に戻った。


「少しお待ちください。すぐに持ってきてくれるでしょうから」

緊張感と来てくれたという安堵が入り混じった顔でイツキはシドにそう言った。


「ほぉほほ。早くするのじゃ」

シドは笑いながらそう言った。


「それにしてもなんじゃ?急に呼び出しおって。何かあったのかのぉ?」

シドはイツキに柔らかい表情で尋ねた。

イツキとシドはテレパスのように言葉を使わずに他人と通信する能力を持つ。

それには白魔導士を極める必要があるが、2人ともそれはマイスターとなっていた。

思念のやり取りはよほどの事でなければやらないが、今回イツキは焦っていた。



「はい。実は……」

イツキは今日のヘンリー達と話し合った内容を話した。

それをシドは黙って聞いていた。

勿論、目玉焼きの件は話をしなかったが……。


その間にマーサがフレッシュジュースを持ってきてくれたのでイツキが受け取った。

「ありがとう。後は僕がやるから大丈夫だ」

「はい。分かりました。」

そういうとマーサは出て行った。

 マーサは不用意な一言で皇太子を怒らせたりする事はたまにあるが、基本的にはその場の空気を敏感に読めるタイプの女性だ。

今日もイツキの表情から緊張した空気を読み取っていた。


「師匠。ジュースをお持ちしました。」


「おお、有難い。さっきから喉が渇いて仕方なかったんじゃ」

そういうとシドは美味しそうにジュースを飲んだ。

飲み終わると

「さっき、これを運んできた女の子はマーサだったのぉ?」

とイツキに聞いた。


「はい。そうです。覚えてましたか?」


「ワシは可愛い子は忘れん。」

シドは笑いながら応えた。それを聞いてイツキも笑った。


「それで、私が思うのは……」

とイツキが続きを話そうとするとシドが手を挙げてそれを制した。


「話は大体分かった。長話を聞くのは苦手じゃ。要するにワシにその軍事訓練をやれという事じゃな。」


「はい。そうです。」


「うむ。分かった。でもやらん」


「え?」

イツキは我が耳を疑った。


「わしゃ、そんな事はやりとうない。」


「は、はい……。」

イツキは呆然としていた。シドを説得する自信があったのを間髪おかずに断られたので、イツキは頭が真っ白になってどう切り返して良いか分からなかった。


「軍事訓練なんか、お主がやれ。そんな面白くもない事をわしにやらすのではない!わしゃアルポリの状況を見にアウトロ大陸に渡る方が良い。」

シドはそう言った。

 得た情報からイツキが予想した状況に関してはシドも同意見だった。その上、その対応方法に関しても同意見だった。

シドにとってイツキなら朝飯前に片付けるような些細な事に関して、意見を述べる事自体、時間の無駄に思えていた。

なのでイツキと話をする時のシドの会話は驚く程短い。


「安心しろ。しばらくはお前の横で軍事訓練を見てやる。その上でわしゃアルポリに向かう。のぉイツキよ。これなら良いじゃろう?」


「はい。ありがとうございます。」

一瞬目の前が真っ暗になった気分だったが、シドが一緒に見てくれると聞いて安心した。


「ワシがおらんでもお主一人でもできるとは思うがのぉ……。わしも直ぐには動けないのでのぉ。最初だけは見てやるとしよう。最初だけはワシがやった方が良いかもしれんから。」


「ありがとうございます。久しぶりに師匠の教えを受けられると思うと嬉しくて仕方ありません」

イツキは本当に嬉しそうだった。



 イツキがこの異世界に来て2年ぐらい経った頃。

魔王を倒して勇者として誉めそやされ讃えられ有頂天になっていた時にシドは現れ、棒きれ一本でイツキは弄(もてあそ)ばれ、叩き潰され、天狗の鼻を折られた。

いくら攻めてもシドにはカスリもしなかった。

 どんな聖剣を持とうが、どんな名刀を振り回そうが、相手にその攻撃が届かなければ意味はない。

糸の切れた操り人形の舞踊りよりも悲惨だ。

シドはイツキの攻撃を最初から流していた。いくら攻めても半身をひねるだけで見切っていた。


 イツキは大地にだらしなく何度も転がった。

そして息も絶えだえとなって、動くこともできなくなった。

シドは呼吸一つ乱れていなかった。猫じゃらしで飼い猫と遊ぶようにシドはイツキを翻弄した。

そんなイツキを見下ろしてシドは言った。 


「なんだ。人間相手は大した事ねえのぉ。このヒノキの棒を振り下ろしたらお前はもう終わりだが、どうするね?この世から消えて無くなるか?」

シドは右手に持ったヒノキの棒の先をイツキの喉元にあてた。

イツキは身じろぎ一つ出来なかった。

その様子を見てからシドはヒノキの棒を引いた。


「まあ、こんなもんだな」

シドはそう言うと回復薬の薬を取り出してイツキに飲ませた。


「何故、この世界に来たばかりのオッサンに俺が負けなきゃならんのだ?どうして……」

薬を飲み終えたイツキは体を半分起こして、シドに言った。


「それが分からぬような愚か者だから負けるのじゃ。」

さらにシドはイツキに言った。


「お前にあるのは技だけだ。力だけだ。だからワシに負ける。知識もなければ智慧もない。周りを冷静に見ようともしない。力には力だけで戦おうとする。だからわしに負ける。今のままのお前では一生ワシには勝てん。」


「お前はここに来て何を学んだ?経験だけは積んだようだが、それだけじゃ!今のお前を見ればわかる。」


イツキは血が滲むほど唇を噛んだ。

本当に悔しかった。これまでの5年間を全否定された気分だった。

言い返したいがこれほど無様に完敗していてはそれもない。


「賢者は歴史に学び愚か者は経験だけから学ぼうとする……愚か者とはお前の事じゃ。ほぉほほほ」

シドは散々イツキを罵倒したと思ったら、最後は楽しそうに笑い始めた。

イツキは悔しかったが、日頃から自分が感じていた虚しさと物足りなさを思い出していた。


――この人ならそれを教えてくれるかも――


イツキは最後の力を振り絞り大地に正座するとシドに

「弟子にしてください。これから私に智慧を教えてください」と大地に額を押し付けて頼んだ。


「そうか。素直じゃな。でも嫌じゃ!」


「え?」


「そんな面倒な事を何故ワシがやらねばならんのだ?それに第一ワシはお前に教える前に冒険をせねばならん。それに智慧とは教わるものではない。」


「お供します。冒険だけはやってますので、色々と道案内できます。なんでもします。ボディーガードもできます。」

イツキは必死に取りすがった。


「ふむ。そうじゃのぉ。それなら連れて行ってやるか。しっかりわしの為に励めよ。この愚か者。」

シドは少し考えてからイツキの同行を許した。


「はい。」


「返事だけはまともにできるようになったのぉ。ほぉほほほ」

そう言うとシドは歩き始めた。

 その後をイツキは慌てて追いかけたが、ボロボロのイツキはよたよたしながらついていくのが精一杯だった。


イツキがヒノキの棒を持ったシドに対等に勝負ができるよになるのはこの数ヶ月後だった。




 

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