第438話 ミフィーの楽しい王都の一日①

 「あれ? ここどこ??」



 目が覚めて最初の言葉がそれだった。

 部屋は薄暗い。朝と呼ぶにはまだ早い時間なのだろう。

 自分の部屋とは違う天井を眺めながらミフィーは寝ぼけた頭で静かに混乱する。

 朝目を覚ますと見知らぬ天井だった、なんてやんちゃは、ここ何年も経験していない。

 結婚前の若かりし頃は、まあ、無いではなかったけれど。


 夫を亡くした未亡人な訳だし、誰とそうなっても責める人はいないと思うのだが、ミフィーの貞操観念は意外に真面目だった。

 亡き夫を今でも愛していたし、彼との子供であるシュリも愛している。

 そんな状況で別の男性と、という気分になれなかった。

 ミフィーは可愛いし美人だし気だてがいいし、彼女を好きになる男性はそれなりにいたが、息子が大人になるまでは、といつだってにっこり断り続けていた……のだが。



 (え、えっとぉ。だ、誰にお持ち帰りされちゃったんだろう。昨日って、誰かと飲んだりしたかなぁ?? シュリに会えないストレスでうっかり飲み過ぎちゃった??)



 内心冷や汗をかきつつも自分の体をなで回し、衣類を身につけている事にほっと安堵の息をもらす。

 だが、次の瞬間、背中側で誰かが身動きをし、背中にぎゅうっとくっついてきたので、ミフィーはぎくりと固まった。


 だが、すぐに首を傾げる。

 背中に感じる温もりが、どう考えても成人男性のものではなかったから。

 あれぇ、と思いながらそろりと寝返りをして自分にくっついてきた熱源の正体を確かめる。



 「あれ? シュリ??」



 そこに、すよすよと気持ちが良さそうな寝息をたてる息子の姿を見つけ、ミフィーは更に首を傾げる角度を深くした。

 なんでここに息子がいるんだろうか、と考えてミフィーは昨夜の事を思い出す。


 部屋にシュリが迎えにくる夢を見た気がしたが、アレは夢ではなかったと言うことだろうか。

 それとも、今のこの状態が夢のその続きなのか。

 ぼんやり考えながら、息子の柔らかな銀色の髪を撫でる。


 愛息子を王都に送り出してから数ヶ月。久しぶりに見た息子は、ずいぶんと大きく……なってなかった。

 送り出したときとあまり変わらない、ちんまりとした愛らしい姿に胸がほっこりする。

 シュリに言ったら絶対にショックを受けるから、大きくなっていなくても、大きくなったね、と声をかけてあげるつもりだったが。



 「夢、なのかなぁ。これ」



 小さく呟きながら、温もりを求めてくっついてくる息子を抱きしめる。

 こうしてシュリを抱っこできるなら、夢でも嬉しい、と思いながら。

 お腹を温めてくれる温もりが嬉しくて愛しくて心地よくて。

 ミフィーは再びうとうととまどろみ始める。

 それが本格的な眠りになるまで、そう時間は必要なかった。

 次に目が覚めたのはすっかり明るくなってから。



 「ミフィー? 母様?? 朝だよ? 朝食の準備が出来たけど、起きれそう??」



 愛おしい息子の声にぼんやりと目を開けたミフィーは、シュリの顔を見て甘く微笑んだ。



 「ん~? シュリがいるぅ。これ、夢?」


 「夢じゃないよ、母様」



 寝ぼけた声に、シュリも甘々な微笑みを返し、寝起き顔の母親の頭を撫でる。

 息子の手に頭を撫でられ、ミフィーは気持ちよさそうに目を細め。



 「夢、じゃない? じゃあ、ここ、どこ??」


 「王都だよ。王都の、ルバーノ家のお屋敷」


 「ふぅん。王都かぁ。王都……おうとぉぉ!?」



 驚きと共にがばりと起きあがったミフィーを、シュリがびっくりしたようにまん丸の目で見上げる。

 その様子があんまりに可愛らしくて、ミフィーはシュリを膝に乗せてぎゅうっと抱きしめながら、



 「王都、って遠いわよね? 私、どうやってここまで来たの?」



 至極当然の疑問を投げかけた。

 シュリはその質問に、あらかじめ用意しておいた答えを返す。



 「詳しくは秘密だけど、とあるスキルで僕が母様をお迎えに行ったんだ。だけど、アズベルグの、他のみんなには秘密だよ? そうじゃないと、みんなが王都に入り浸りそうで怖いし。それに、そんなに頻繁に使えるスキルでもないんだ。1往復したら、数ヶ月は休まないと使えないから、大事に使わないとね」



 オーギュストにお願いさえすれば、いつだってどこにだって連れて行ってくれるのだが、それがバレると色々面倒くさいことになりそうなので隠しておく。

 シュリに会いたいと言うだけで、どこでも○○のように使われたのでは、オーギュストだって疲れちゃうだろうし。

 ミフィーはシュリの説明で納得してくれたようで、



 「そっかぁ。そんなに貴重なスキルを母様の為に使ってくれてありがとう。シュリに会えなくて寂しかったから、こうして元気な姿を見られて本当に嬉しいわ」



 ミフィーは嬉しそうに笑って、シュリをむぎゅ~っと抱きしめた。

 その全力の包容を受け止めつつ、



 「僕も母様に会いたかったからいいんだよ。母様が元気そうで、僕も嬉しい」



 シュリもまた、甘えるようにミフィーの華奢な体に身を預ける。

 久々に感じる母親の体温は、幸福な気持ちと安らぎを与えてくれた。



 (よし、今日はミフィーを思いっきり楽しませてみせるぞ!!)



 シュリは心の中でそう思いつつ、ジュディスがたててくれた「ミフィー王都初体験計画」を脳裏に浮かべて反芻するのだった。 


◆◇◆


 デートの基本は街歩き、と言うことで、街へ繰り出そう、と言うことになったがその前に。

 寝る直前にさらって来てしまったため、ミフィーの服装は寝るためのもの。

 流石にそんな姿で街へ連れ出す訳にもいかないという訳で、まずはミフィーを馬車に押し込んで、知り合いのお洋服屋さんに行くことにした。


 といっても、この王都でシュリが個人的に知り合いのお洋服屋さんは1つだけ。

 昔はセバスチャンのやっている服屋さんもあったが、今の彼はルバーノ屋敷の執事長である。

 お洋服屋さんをやる暇はなく、彼の店はもう人手に渡っていた。


 なので、唯一知る服屋さんの前で馬車をとめてもらったシュリは、ミフィーの手をとり、そそくさと店の中へと移動する。

 店の商品のラインナップがかなり可愛い系に傾いている事は心配だが、ミフィーは可愛いし、何とか着こなせるはずだ。

 そう思いつつ、シュリは店の奥へと声をかけた。



 「すみませ~ん。お洋服下さい」


 「はぁぁぁぁい。少々お待ち下さいねぇ。ほら、バーニィ。メイク、急いで」


 「でもアグネスお姉さま。まだ開店時間には早いですよぉ? 少しくらいお客様に待ってもらっても」


 「おだまりなさい! 私はあなたになんて教えたかしら? お客様は……?」


 「神様ですぅぅ!! メイク、すぐ終わらせまっす」



 奥から聞こえてくるそんなやりとりに胸をほっこりさせつつ、シュリは店の商品を見ながら首をめぐらせる。

 前世でいうところのロリータ系な可愛い服が主流だが、その中に混ざって、レースを上手に使った少々大人向けの繊細な服もちらほら見える。最近はアグネスがオーギュストの元にレース作りの修行に来ているとは聞いていたが、本当の事だったらしい。

 レースを使った服を近くで見てみたが、オーギュストのレースに比べると少々荒さは目立つものの、十分にきれいな出来だった。



 (アグネスは頑張りやさんだなぁ)



 シュリが感心している傍らで、ミフィーはミフィーで店内の様子に圧倒されたように、ほへ~っと周囲を見回していた。

 そんな2人に、カウンターの内側から声がかかる。



 「お、お待たせしましたぁ。いらっしゃいませぇ」



 その声に促されたように振り向いたシュリは、バッシュ先生……いや、バーニィの顔を見上げて思わず固まった。

 メイクを急いだせいだろう。

 目元のラインは乱れているし、口紅ははみ出ているし、髪型も整っていない。

 なにより、髭のそり残しがあって、漢女おとめと呼んであげるにしては、少々ワイルドすぎた。

 その事実を、シュリはバーニィの事を思って口にする。



 「あら、シュリきゅん。いらっしゃぁぁ……」


 「おはよう、バーニィ。急がせちゃった僕が悪いんだけど、その……髭、そり残してるよ?」


 「え”っ!!」


 「待つのは平気だから、メイク直しておいでよ」


 「い……」


 「い?」


 「いやぁぁぁぁん。はずかしいぃぃぃぃ!!」



 シュリの指摘にバーニィは大きな手でバッと顔を覆い、叫びながらバックヤードへと消えていった。

 その様子を、ミフィーは目を丸くしてみていたが、



 「変わった人だね。シュリ、お友達?」



 息子の方を見て問いかける。



 「う~ん」



 その問いかけにシュリは思わずうなった。

 正直、バーニィとシュリの関係は少々込み入っている。

 元先生で、シュリ(の眷属)が懲らしめた結果ああなって、つい最近再開して和解した。

 今の関係性は、まあ、友達、と言えないこともないのかもしれない。



 (ただの知り合いです、なんて紹介したらバーニィ泣きそうだしなぁ)



 まあ、友達でいっか、と1つうなずき、



 「うん。まあ、友達、かな」



 バーニィ友達説を肯定しておいた。



 「そうなのね~。シュリはお友達が多くて偉いわね」


 「そうかなぁ? 普通だと思うよ」


 「そんなことないわよぅ。シュリがみんなに好かれてて、母様は嬉しいわ」



 にこにこ顔のミフィーとそんな話をしていたら、奥からようやくアグネスが現れた。

 バーニィと違って、アグネスの姿にほころびはない。

 流石だなぁ、と思いつつシュリはにっこりと彼女に笑いかけた。



 「いらっしゃい、シュリ。そちらの素敵なレディはシュリの大切な人なのかしら?」


 「うん。そう。僕の母様だよ。可愛いでしょ?」


 「あら! シュリのお母様? 素敵なお母様ね」


 「でしょ!!」



 アグネスは、にこにこ笑うシュリの頭をよしよし撫でてから、改めてミフィーに向き合った。



 「初めまして、お母様。私、シュリのお友達で、アグネスと言います。シュリにはいつもお世話になってます」


 「あらあら、丁寧にありがとう。私はシュリの母親のミフィルカです。気軽にミフィーって呼んでもらえると嬉しいわ」


 「じゃあ、私の事もアグネスって呼んでもらえたら嬉しいです。さっきここにいた子もバーニィって気軽に呼んであげて下さいねぇ。きっと喜びますから」



 2人は言葉を交わし、ふふふ、と笑いあう。

 そんな2人をシュリは微笑ましく見守っていたが、



 「それで? 今日はどんなご用件かしら??」



 アグネスのその言葉に、今日この店に来た目的を思い出した。



 「今日は1日、母様と王都を見て回るつもりなんだけど、そのためのコーディネートをお願いしたいんだ」


 「なるほどぉ。ミフィーさんの全身コーデを考えればいいのね?」


 「うん。お願いできるかな?」


 「もっちろんよぉ。任せてちょうだい。バーニィちゃん、素敵なレディの全身をコーディネートするわよ。早くいらっしゃい」


 「はぁい。お姉さま。ただいま!!」



 奥からバーニィが走ってくる音がする。

 そしてシュリはアグネスにミフィーを託し、自分は少し離れたところで傍観の構えをとるのだった。


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