第435話 ただいまの翌日⑧

 「キキ。やっぱりちょっと無理があるような気がするんだけど」


 「大丈夫です。余裕です。シュリ様のお顔が近いのは、ちょっと恥ずかしいですけど」



 キキはそう言って頬を赤らめ、シュリをよいしょっと揺すり上げる。

 他のみんなよりシュリとの身長差が無いためか、抱っこ袋(仮)で固定されるシュリの顔の位置は、キキより少し低い程度。

 キスしようと思えば出来ちゃう距離で、何となく気恥ずかしい。

 それはキキも同じだったようで、彼女も何となくシュリを直視出来ずに目を泳がせていた。



 「でもさ、さすがに動き回って仕事をするのは大変だろうし、そこのベンチでちょっとのんびりしようよ」


 「でも私だけのんびり座ってるわけには。みなさん、お仕事をされてますし」


 「僕がそうして欲しいんだよ。なんだか今日はすごく疲れちゃった」


 「それは大変です!! すぐに座りますね!!」



 シュリの疲れた発言に、キキは慌てて花壇の側のベンチに腰を下ろす。

 必然的に、シュリはキキの膝に抱き合って座るような形になり、2人の間の空気は更になんだか微妙なものになる。



 「な、なんだか恥ずかしいね、コレ」


 「そ、そうですね。確かにちょっと照れちゃいますね」



 2人でもじもじしていると、甘酸っぱい空気は更に甘酸っぱさを増し。

 気がつけば、キキが潤んだような瞳でシュリを見つめていた。



 「シュリ、様」



 キキの手のひらが、そっとシュリの頬に触れる。

 あ、キスされるな。

 シュリがそう思ったちょうどその時。



 「な、な、な……てめぇ!! キキになにするんりゃ~!!」



 振られてもなお、キキに恋する少年が駆け込んできた。



 (なにするんだ、って言われても。何かされそうになってたのは僕の方なんだけどなぁ)



 冤罪だ、と思いつつ、はあはあと肩で息をする少年の方へと顔を向ける。

 そこには顔を真っ赤にして目をつり上げてる門番見習いの少年、タントがいた。



 「あ。タント、久しぶりだね。帝国のおみやげがあるから、後で僕の部屋に取りにおいで?」


 「土産? 帝国の!? やったぁ……じゃねえ!! 俺はキキに変なことすんなって言ってるんだよ。お前なぁ。いい加減俺を餌付けしようとするのやめろよな!!」


 「餌付け? いやだなぁ。僕はただタントと仲良くできたらいいなぁって思ってるだけで」


 「仲良くなんかするかっ。お前と俺は恋のライバルなんだぞ!?」


 「恋の、ライバル?」



 というには、タントはきっぱりはっきり振られていると思うのだが、あえて否定するのも可哀想なので、シュリは大人しく口をつぐんだ。

 しかし。



 「もう、タントってば。私はシュリ様が好きなんだから邪魔しないで。それに、その、ライバル発言もどうかと思うよ? 私がシュリ様以外を好きになるなんて事、絶対にあり得ないことだから」


 「で、でも。キキがシュリの恋の対象になるかなんて分からないだろ?」


 「こら! シュリ様を呼び捨てはダメだよ。ちゃんとシュリ様って呼ぶのよ? シュリ様はお優しいから怒らないけど、普通のお貴族様ならお手うちにされちゃうんだから」


 「う。ごめん」


 「分かったならいいけど、謝るならシュリ様にね?」


 「うん」


 「それから、私はシュリ様がたとえ私を好きになってくれても好きだからいいの。もし他のお方とご結婚されても、側にお仕え出来るだけで幸せなのよ」



 キキの言葉が胸に痛い。

 彼女の言うとおり、シュリはいずれキキじゃない女性と結婚するだろう。

 でも。



 「キキ? 僕はキキが好きだよ? キキの好きとは少し違うかもしれないけど、君が大切だし、大切にしたいって思っ……んっ」



 キキに向けた正直な気持ちは、全てを言葉にすることが出来なかった。

 キキが先輩仕込みの強引なキスを仕掛けてきたからだ。

 若干歯がぶつかったがそれもご愛敬。

 ふだん優しいくらいに優しいキキから想像できないくらい、強引で情熱的なキスだった。

 シュリとしては、



 (キキも大人になっちゃったんだなぁ)



 と感慨深いような、ちょっと寂しいような複雑な気持ちだったが、目の前で恋する少女と(彼的には)恋敵な少年のキスシーンを見せられたタントの心の内は乱れに乱れまくっているに違いない。

 そう思いながら、恐る恐る少年の方を伺えば、彼は顔を真っ赤にしたままわなわな震えていた。

 その鼻からつつぅぅ~っと赤い液体が流れ落ち。



 「ば……」


 「ば??」


 「ばっかやろぉぉぉぉぉ~~~~!!」



 彼はそんな叫びを残して走り去ってしまった。

 シュリはその後ろ姿を何とも言えない気持ちで見送る。

 申し訳ないような、若干微笑ましいような。

 そこには、僕もいつかあんな風に少年らしい恋心を抱くことはできるんだろうか、という淡い羨望の気持ちも混じっていた。



 「タントってば。またシュリ様に乱暴な言葉を」



 困った子、と言わんばかりにキキが眉を寄せる。

 そんなキキの顔を見てシュリは微笑んだ。

 タントの名を口にするキキは弟の世話焼きをするお姉さんのようで、さっきシュリにキスを仕掛けてきたのと同一人物とは思えなかった。


 きっとキキはキキなりにタントを可愛がっているのだろう。

 その好きがタントの好きと同じではないだけで。

 それから後は、



 「シュリ様を抱っこし続ける体力づくりをしないと」



 というキキの希望もあり、ゆっくりと庭を散策して歩いた。



 (いや、抱っこは今回が特殊な例だし。別にそんな体力必要ないんだけどなぁ)



 と思いはしたものの、キキのやる気に水を差すのも悪いし、体力をつけるのも悪い事じゃない。

 そう考えて、シュリは大人しくキキのお散歩につき合った。

 まあ、つき合うほかなかった、というのが正しいだろうけど。


 でも、ゆっくり歩くリズムにあわせてキキの話す声を聞いているのは、なんだかすごく心地よかった。

 心地よすぎてなんだか眠くなり。

 落ちる瞼と必死に戦い、でも眠気には勝てずに、半ば寝落ちしかけたシュリの耳に、



 「……シュリ様? お休みですか?」



 キキの声が密やかに滑り込む。

 起きてるよ、と答えようとしたが声にならず。

 端から見たら寝ているとしか思えないシュリの様子に、キキはほのかに微笑んで。



 「今もこれからも。シュリ様が大好きです。ずっとずっと、シュリ様のお側に置いて下さい。そして……」



 ささやくようなキキの声が耳を通して眠りかけた頭に響く。



 「いつか、キキの初めてを全て、シュリ様に捧げます。その時は嫌がらずに、もらって、下さいね?」



 眠りに落ちる寸前、届いた言葉。

 その言葉に、「うん」とも「いいや」とも答える暇もなく。

 シュリの意識かほの暗い眠りの中へと落ちていったのだった。

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