第375話 サシャ先生は王都へ帰りたい①

 シルバと昼食を共にした翌日、日替わりの従者としてシャイナを伴っていたシュリは、今度は帝国貴族の双子に声をかけられていた。



 「おい、シュリ」


 「ん? ああ、アズラン。おはよう」


 「ずいぶん学校に来ていなかったようだが、体調でも崩してたのか?」


 「えっと、別にそういう訳じゃ……って、アズラン! もしかして僕のこと心配してくれたの?」


 「ばっ! ちがっ! そ、そういうんじゃなくてだな。僕はただ、お前と同じ教室じゃなくて情報が入ってこないし、ただ純粋に何で休んでるのか気になって……」


 「そっかそっか。アズランは僕のことを気にしてくれたんだね」


 「だから、そういうんじゃないって言ってるだろ!? ただ単に知り合いの姿があんまり見えないから、しんぱ……いや、そうじゃなくて、気に……じゃなくぅ。その、なんというか」



 心配、という単語も、気になっている、という単語も使いたくないアズランは言葉につまる。

 そんなアズランをシュリは胸をほっこりさせて眺めた。



 「うんうん。大丈夫だよ。何をいいたいかは大体伝わってるから。アズランは優しいねぇ」


 「そうなの。アズランは優しい子なのよ」



 シュリの言葉に同意するように、自分の友人と挨拶を交わしてから合流してきたファランが優雅に相づちを打つ。



 「あ、ファラン。おはよう」


 「兄に向かって優しい子ってのはなんだよ、ファラン!!」


 「ええ、おはよう、シュリ。元気そうね?」



 双子の兄の言葉はまるっと無視して、ファランはシュリに挨拶を返し、そのさわり心地のいいほっぺをするりと撫でた。



 「元気だよ。ファランも心配してくれたの?」


 「も、ってのはなんだよ!? も、ってのは! 僕は心配なんかしてないからな!!」


 「ええ。少しだけ、ね。まあ、シュリの事だし大事はないと思っていたから、アズランほどは気にしてなかったけどね?」



 シュリの言葉に、再びファランが言葉を返す。

 双子の兄の言葉はここでも黙殺された。



 「そっか。ありがと。見ての通り、僕は元気だよ。それにしても、アズランはそんなに僕のことを心配してくれてたの?」


 「アズランほどは……って。違うからな!? 僕はシュリの心配なんかしてないから!!」


 「そうなのよ。シュリはどうしたんだろう。病気かもしれないぞ。見舞いに行ってみたらどうだ、とか。ちょっと心配しすぎよね。たかが数日のお休みくらいで」



 またしても文句をスルーされたアズランは、



 「う、うるさいぞ、ファラン。そんなんだから婚約者が決まらないんだぞ!?」



 苦し紛れにそう言った。

 その言葉に、シュリは思わず首を傾げる。



 「婚約者? 2人ともまだそんな年じゃないでしょ?」


 「僕たちくらいの年になれば、婚約者くらいいるのが当たり前だろ? 貴族なんてそんなものさ。シュリにだっているだろう? 婚約者」



 言われてみれば確かに。シュリにも当然の事ながら婚約者はいる。

 正確には、婚約者候補、といったところだろうが。

 幼い頃から共に育った年上の従姉妹達は、シュリにとってはまだ、婚約者と言うよりは姉と呼ぶ方がしっくりきた。



 「まあ、候補ならいるかな。そういうアズランはいるの?」


 「当然だ。僕よりだいぶ年下だけどな。でも、まあ、どこもそんなものだろう? 貴族の婚約ってやつは、貴族同士のつながりや利益の為にする意味合いが強いからな」


 「で、ファランにはまだ婚約者がいないの?」


 「婚約話が無い訳じゃ無いけど、ファランが性格の悪いとこばっか見せるから、あっという間に破談になるんだよ。このままじゃ嫁の貰い手がなくなるぞ」


 「いいのよ、それで。私が売れ残ったら、お兄様がもらって下さるっておっしゃってたもの」



 双子の兄の言葉にファランはそう答え、うっとりと目を細めた。

 その表情はすっかり恋する乙女のもので、お兄様、と呼ぶ人物をよほど慕っているに違いない。



 「あに上……じゃなくてあの方の言葉を本気にするのはやめろよ。いくら僕やファランを可愛がってくれてるとはいえ、流石に身分が違うだろ。年も離れてるし、冗談に決まってるさ」


 「うるさいわね、アズランは。もうこの話題はやめましょ。それよりシュリ、今日のお昼は誰かと約束があるかしら?」



 昨日はシルバと食べたが、今日は特に約束していない。

 もとより、同じ教室の生徒とは一緒にお弁当を食べる関係性など築いていないし、つまり、今日もぼっちでお昼を食べる予定だ。

 まあ、シャイナは側にいてくれるだろうけど。


 そのことを正直に伝えると、アズランはちょっと可哀想な子を見るようなまなざしをシュリに注いだ。

 ファランはにっこり笑って頷いて、



 「そう。ちょうど良かったわ。なら今日の昼食は私達と一緒にとりましょう」



 そんな風に誘ってくれた。

 そんなわけで、今日のお昼もにぎやかになりそうだった。

 

◆◇◆


 お昼の時間になり、待ち合わせ場所の食堂へと向かう。

 平民の使うごちゃっとした辺りではなく、食堂2階の貴族が使うゆったりしたゾーンへと。


 シュリも貴族の端くれではあるが、いつもは食堂の1階を利用しているので、2階の貴族ゾーンへ来るのは初めてだった。

 出迎えてくれた給仕にファラン達と約束している事を告げると、少し奥まったところの、広い席へと案内された。

 給仕の人が引いてくれたイスにちょこんと座って待っていると、すぐにファランとアズランがやってきた。



 「シュリの方が早かったのね。待たせちゃった?」


 「ううん。僕も今来たところ」


 「そ? 良かった」


 言いながらにっこり笑ったファランも席に着き、若干仏頂面のアズランも妹に続いてイスに座った。

 ファランがあらかじめ手配しておいてくれたのだろう。

 3人が席に着くのを見計らったかのように料理が運ばれてくる。

 香辛料のよく効いたガツンとした味付けの料理はどれも美味しかった。

 素直にそう告げると、



 「でしょう? 今日はシュリとご飯を食べるから、うちの料理人を呼んで作らせたの。この学院の料理人も悪くは無いけど、帝国風の味付けは帝国の料理人じゃないとなかなか難しいみたいだから」



 そう言って、ファランはうれしそうに笑った。

 ファランの言葉に、



 (そうかぁ。帝国風の味付けってこんな感じなんだ)



 初めて食べたなぁ、と思いつつ、気持ちを改めて目の前の料理を味わう。

 少し辛めだが、どの料理も味に深みがあっておいしかった。

 帝国はドリスティアよりも北に広がる分、夏はさわやかだが冬の寒さは厳しい。

 その厳しい寒さに打ち勝つために、香辛料を効かせた少し辛めの味付けが、帝国風の味付けとなっているのだろう。


 そんなことを考えながらまんべんなく料理を味わっていたシュリは、自分やファランと違って、アズランの選ぶ料理に偏りがあることに気がついた。

 しばらくその様子をながめた後、



 「あれ? アズランって辛いの苦手??」



 小首を傾げてその疑問を口にした。



 「ち、違うぞ? 別に苦手ってわけじゃ……」


 「そうなのよ、シュリ。アズランの舌はいつまでたっても子供のままなの。辛さの奥にうま味があるのよって教えてあげても全然わからないんだから。ほんと、お子ちゃまよね~」



 あわてて否定しようとするアズランの言葉にかぶせるように響く、からかい混じりのファランの声。



 「僕は、辛いのが苦手なんじゃなくて、あんまり辛くない味付けの方が好みなだけだからな!? べ、別に、辛いのが食べられないとか、そう言うんじゃないんだから!!」



 双子の妹にからかわれ、必死で言い募るアズランがなんとも微笑ましい。

 ファランはきっと、こんなアズランをみたくて辛い料理をメニューに組み込んだに違いない。

 双子のファランなら、アズランの好みを知らないなんて事は無いだろうし。



 (ほんと、ファランってアズランが大好きだよね~。愛情表現がちょっとアレだけど)



 好きすぎてついついアズランに意地悪しちゃうファランの姿に、アズベルグにいるちょっと意地悪な幼なじみの事を思い出す。



 (ファランとリアってちょっと似てるのかもなぁ。まあ、ファランが口で追いつめるタイプだとすると、リアはがっつり手がでるタイプだから、正確には少し違うのかもしれないけど)



 なつかしいなぁ、アズベルグのみんなは元気かなぁ、と故郷に想いをはせ、シュリは柔らかく目を細める。

 同時に思い出したのは、アズベルグへ手伝いで一時呼び戻されたサシャ先生のこと。

 なんだか色々バタバタ忙しかったので、正直彼女の不在を寂しく思う暇も無かったが、確か1ヶ月くらいで戻ってくるようなことを言っていた気がする。

 その1ヶ月はもうすでに過ぎているような気がするのだがどうだっただろうか。

 と、そんな風にサシャ先生の事を考えていたら、



 「そう言えば、シュリにべったりだった美人の先生、最近見かけないわね?」



 タイミング良くファランの口からサシャ先生の話題が飛び出した。



 「シュリにべったりの先生って、あのなぁ。サシャ先生だよ、ファラン。先生の名前くらいちゃんと覚えておけよ」


 「え~? 私だって関わりのある先生の名前くらい覚えてるわよ。ただ、その、サシャ先生? って、シュリにくっついているだけだったし、特定の授業も担当してなかったわよね? 確か」


 「まあ、確かにな。でも何か理由があったんだろ、きっと」


 「まったく、アズランってば相変わらず美人には甘いんだから困るわよね~」


 「なっ、なにいうんだよ。確かにあの先生は美人だけど、僕はただ、客観的な事実を……」


 「えっと、サシャ先生は、今年いっぱいは僕のサポート担当の先生って事になってるんだ。だから、他の授業を受け持ってないんだよ」



 きゃんきゃん騒ぎ始めたアズランを微笑ましく見つめつつ、シュリはサシャ先生の名誉を守るために口を開いた。



 「サポート担当?」


 「なんだそれ??」



 ファランとアズランは、流石は双子といったシンクロ率でそろって首を傾げる。

 その疑問にシュリは丁寧に答えた。



 「ほら、僕って王立学院に進学するには群を抜いて年齢が低いらしくてさ。だから、スカウトに来たバーグさ……じゃなくて、シュタインバーグ学院長が、サシャ先生に僕のサポートを頼んでくれたんだ。サシャ先生はアズベルグの学校でもお世話になってた先生だし、なじんだ先生の方が僕のストレスも少ないだろうから、って」



 その説明に頷きながら、



 「ふぅん。そうなんだ。っていうか、シュリって年、いくつなの? 今まで聞いたこと無かったけど」



 ファランが今更な質問を投げかけてくる。

 そう言えば年の話したことなかったっけ、と思いつつ、隠すことでもないので、



 「ん? 今年で7歳だよ」



 正直にさらりと答えた。

 その答えに、ファランとアズランはあんぐり口を開けた。



 「な、な、ななさい?」


 「うん。そうだよ?」


 「ということは、去年は6歳で、普通に考えると初等学校に入学する年で……」


 「そうそう。だから僕、去年も今年も入学式に出たんだよね~」



 去年も今年も入学式大変だったな~、と遠い目をする少年を、ファランとアズランは驚愕の目で見つめる。

 正直、見た目的な意味での驚きはない。正直、見た目だけでいうなら、7歳という実年齢よりももっと幼い年を申告されても驚かなかっただろう。


 2人が驚いたのは、7歳という幼さで王立学院に入学を許されたというその事実。

 ファランとアズランもかなりの早さで王立学院への留学枠を射止めた神童として帝国内でも有名だが、シュリは更にその上を行っている。

 流石に自分達より少しは年下だろうと思っていたが、そこまで年下だったとは、というのが2人の正直な感想だった。



 「シュリの事、すごい子だとは思っていたけど、ここまでだとは思ってなかったわ」


 「僕も、流石に驚いた」



 2人そろって呆然と呟いた後、ファランは冷静な瞳で改めてシュリを見つめた。

 その価値を見定めるかのように。

 シュリはそんなファランの視線に気づくことなく、



 「だから、サシャ先生はズルしてるとかサボってるとか、そういうんじゃなくて、僕にべったりでもちゃんとそれはお仕事なんだよ」



 話を戻してしっかりとサシャ先生の弁護をした。

 そんなシュリに、サシャ先生の話などすっかり記憶の彼方に消しかけていたファランはきょとんとして目をしばたく。

 それから毒気を抜かれたように笑って、シュリのふくっとしたほっぺたを指先でつついた。



 「わかった。りょーかい。シュリのサシャ先生は悪くない。これでいい?」


 「ん~。僕の、って表現にはちょっと引っかかるけど、少しでもサシャ先生の汚名返上が出来たなら、まあ、いいや」


 「で? そのサシャ先生はいつ帰ってくるのよ?」


 「最初は1ヶ月くらいで戻るって言ってたんだけど。だから、そろそろ戻ってくるはずだと思うんだけどなぁ」



 そうやってファランと言葉を交わしながら、



 (サシャ先生、どうしてるかなぁ。元気にお仕事頑張ってるかなぁ)



 シュリは、遠くアズベルグの空の下、一生懸命仕事を頑張っているであろうサシャ先生へと思いを馳せるのだった。


◆◇◆


 「……校長。こちらの書類の処理は終わりました」


 「む、むぐぅ!! な、ならば次はこちらの処理を頼むぞい」


 「早く仕事が終わればそれだけ早く王都へ戻れますからね。遠慮なくどんどん持ってきて下さい」


 「そ、そう言わず、少しは休憩をしたらどうじゃ? サシャ先生のご実家からおいしいお菓子が届いておるぞい。紅茶も、王都で求めた高級な茶葉で入れるから、たまにはゆ~っくりと、じゃな~?」


 「いえ、時間が惜しいですから。お菓子もお茶も校長がどうぞ」


 「むっ、むぐぐぐぅ」



 とりつく島もないサシャ先生の様子に、校長はそれ以上休憩のごり押しも出来ずに唸ることしか出来なかった。

 サシャ先生がアズベルグへ戻って数週間。

 やる気マックスの彼女にせっせと仕事を振り続けたが、山のようにたまっていた各種の仕事ももう終わりが近い。


 仕事が終わったなら、おとなしく彼女を王都に帰してあげればいいだろうと思うのだが、実はこの校長、王都にいるサシャの兄弟達より賄賂を受け取っていた。

 王都の高名な肖像画家によるシュリの肖像画という賄賂を。


 1週間ごとに送られてくる新たな肖像画を手に入れ続ける為には、少しでも長くサシャ先生をアズベルグに引き留めておく必要がある。

 だが流石に限界を感じつつある校長は思う。

 せめて、後数日、と。そうすればもう1枚、新たなシュリの肖像画が手に入る。



 (すまんのう、サシャ先生。しかしこれも、シュリ君の新しい肖像画の為じゃ!!)



 シュリ君の肖像画の為なら、わしゃ、鬼にだってなってやるぞい、そんな決意の元、校長はサシャ先生の前に積み上げる仕事を探しに飛び出していった。

 そんな彼の後ろ姿を見送り、サシャは小さくため息をつく。


 王立学院の学院長である祖父の要請でアズベルグへ派遣され、最初の2週間ほどはそれほど疑問を持つことなく仕事をこなしていた。

 疑問を感じ始めたのは3週間目にさしかかった頃。

 校長の持ってくる仕事が、明らかに苦し紛れのどうでもいいような内容になってきたのだ。

 もちろん、中には急ぎの仕事や重要な内容のものもあったが、そのくらいの量であればサシャがいなくてもこなせる程度。


 その事実に気づいたサシャは、さりげなく校長に聞いてみた。

 このくらいの仕事量なら、もう自分は必要ないのではないか、と。


 だが、校長はがんとして首を縦に振らず、これは何か裏がある、と感じたサシャは密かに聞き込みを開始した。

 そうして浮かび上がってきたのは、校長は賄賂を受け取ってサシャをアズベルグに引き留めているのではないか、という疑い。


 サシャは最近ようやく、校長が誰かと1週間に1度、怪しい取引をしているようだという有力な情報を手に入れた。

 行われているという取引の現場を押さえて王都に戻る。

 それが今のサシャの最重要目標だ。

 その取引の日は、あと数日後に迫っていた。

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