第320話 シュリの考え、サシャ先生の気持ち

 お尻の下が温かくて柔らかい。

 アズベルグの初等学校に通っていた頃、サシャ先生は真面目なしっかり者だと思っていた。


 けど、最近気がついた。

 サシャ先生は、意外と甘えんぼなんだという事実に。


 入学式の日はまだ以前の印象のままだった。

 というか、そこまで長く話してもいられなかったけど。

 しかし、学校が始まったら少しずつ様子が変わってきた。


 最初の数日は、まあ、そこまでじゃ無かったかもしれない。

 適度な距離感で見守っていてくれたような気がする。


 だが、ある日、サシャ先生が1人でお昼を食べていたシュリの前に座った。

 貴重な友人であるシルバや双子のファランとアズランは同じクラスではなく、彼らは彼らでそれなりにクラスでの付き合いもあった為、連日1人で持参したお弁当を食べていたシュリを見かねたのだろう。


 しかも、シュリはちょっと遠慮して、食堂ではなく教室でぽつんと1人で食べていたので、流石に哀れさを誘ったのかもしれない。

 自身のお弁当を持ってシュリの前に座った彼女は、黙々とお弁当を食べ、食べ終わった後に言った。



 「シュリ君には先生がついてますから大丈夫です」



 そんな風に。

 その辺りからだった。サシャ先生の様子が少し変わってきたのは。

 授業中も、休み時間も。

 シュリの近くにいるときは、とにかくべたべたしたがる。

 シュリも最初は流石にどうだろうと思って距離をとろうとしたのだが、そうすると、



 「シュリ君は先生が嫌いですか?」



 と、ものすごくしょんぼりされてしまう。

 ここで嫌いです、と言えればいいのだろうが、シュリはサシャ先生を嫌ってなどいないし、むしろ大好きな先生だから困る。

 どうしても強く出れず、うやむやのうちにサシャ先生の太股にお尻を乗せられてしまう日々をどうしたものか、とシュリは最近とっても悩んでいた。


 でも、シュリは気づいてしまった。


 そうやってサシャ先生がさながら子熊を守る母熊のようにシュリにべったりしているおかげで、更に周囲から距離を置かれているという事実に。



 (なぁんだ。サシャ先生の膝にいればサシャ先生はしょんぼりしないし、クラスメイトとはより距離を置けるし、なんにも問題ないや)



 その事に気がついた日から、シュリはサシャ先生の太股に座っての授業を半ば受け入れた。

 サシャ先生が一般の先生であれば、彼女の立場を心配するところだが、幸いなことに彼女はこの学校の学院長の孫娘という立場であり、シュリのサポート教員であるという建前もあった。


 故に、サシャ先生がこの学校で受け持っている授業は無く、その時間をすべてシュリの為に消費しても非難を受けない立場なのだ。

 周囲と適度な距離を保ちたいシュリとしても都合が良く、サシャ先生の迷惑にもならないとなれば、彼女の抱っこを頑なに拒否する理由もない。

 ちょっと恥ずかしいなぁとは思うものの、それはまあ、シュリが我慢すればすむことである。


 そんな訳で。


 今日も今日とて、シュリのお尻はサシャ先生の太股に守られ、背後には柔らかくてとってもすてきなクッションが配置されている。

 恥ずかしくはあるものの、そんな快適な状態で授業を受けながらシュリは思う。



 (学校でぼっちになることは覚悟してたけど、こうしてサシャ先生は僕を心配して構ってくれるし、出来ないって思ってたけど、シルバやファラン、アズランっていう立派な友達も出来たし。想定通り、新たな被害者も出してないし。まあ、新たな学校生活の滑り出しとしては悪くないよね?)



 そんな風に。

 だが、シュリは気づいていなかった。

 美人なサシャ先生に過剰に可愛がられ、それぞれのクラスで人気者と言える立場をすでに確立しているシルバやファラン、アズランと友人でいるという己の立場が非常に危ういということに。


 己の後頭部や側頭部に刺さる、ちょっとどろどろした嫉妬のまなざしに全く気づくことなく。

 シュリはちょっぴりほくほくしながら、脳天気に授業を受けるのだった。


◆◇◆


 王立学院での新たな学校生活がスタートして数日。

 シュリのサポート教員という自由な立場を大いに活用して、愛しい少年を見つめる日々を過ごしていたサシャは、ある日ふと気がついてしまった。


 シュリがクラスの中で孤立しているという事実に。


 その事に気がついたサシャは驚愕した。

 あのシュリがどうして、と。

 アズベルグの初等学校では、親しい友人こそ少ないようではあったが、それでも学校内のシュリの人気はかなりのものだった。


 しかし、この王立学院ではどうだろう?


 みんなが何故かシュリを忌避しているように見えるのは、きっと気のせいではあるまい。

 アズベルグにいた時のシュリも今のシュリも、何ら変わりなく愛らしいと言うのになぜ!?

 サシャはどこまでも真剣にそんな風に思う。

 王立学院へ来てからのシュリの姿が、一般的な人達の目には奇異に映るという事実など、欠片も気づかずに。


 少ない数ながら友人は出来たようだが、その友人ともクラスが離れ、いつも1人で昼食をとっているシュリをこっそり見つめながら、サシャは胸を痛め、そして決意する。

 自分が。自分こそが、シュリを守らねば、と。

 それこそ、子熊を守る母熊のように。


 その為には、自分の評判など二の次だ。

 1人の生徒を贔屓しすぎだと非難されようと、生徒と不適切な関係なのではと邪推されようと、そんなの知ったことではない。

 幸い、祖父である王立学院長から与えられた、シュリのサポート教員であるという大義名分がある以上、そこそこな無理は押し通せるはずだ。

 否、押し通してみせる!


 そんな強い決意の元、サシャは行動を起こした。


 こうして彼女の、シュリにくっついて過ごす日々が始まったのだった。

 だが、そんな日々が始まって、シュリを堂々と己の膝に乗せて抱きしめながらサシャは思う。

 こんな幸せな時間を過ごせるなら、自分の評判などどぶに捨てても構わない、と。

 どこまでも真剣に、心の底から。


◆◇◆


 サシャが学校で件の少年から離れないらしい。

 そんな情報を受け、普段はサシャの愛を巡りいがみ合っている兄2人、弟1人は珍しくも顔を付き合わせて相談していた。



 「ある情報筋から仕入れた情報によると、サシャは連日、件の少年を膝に乗せて授業を受けているらしい。なんともうらやま……ごほん。ゆゆしき問題だな。下手したらサシャの教師人生に関わるぞ」


 「僕も、自分の目でしっかり確認……いえ、知り合いから情報を得ています。授業中も、昼食の時も、サシャは件の少年から片時も離れない勢いのようですね。僕もあやかりたい……いえ、困ったことです」


 「どうにか件の少年から姉さんの興味を少しでも削ごうと思って、あの少年の格好を真似て姉さんの気を引こうと思ったんだけど、ゴミをみるような眼差しで、冷たく無視されちゃってさ。なんか、ちょっと目覚めそう……じゃなくって、もうこうなったら、どうにかして件の少年から強制的に距離をおかせるしかないんじゃないかな?」



 末の弟からの提案に、長男も深々と頷く。



 「ああ。俺もそう思った。そこでじーさんに話を通してみたら、意外ともの分かりよく色々手配してくれてな。サシャはしばらく、アズベルグの初等学校に戻ることになった。まあ、と言っても1、2週間程度の事だろうけどな。サシャが急に抜けたから手が足りなくなったって理由をどうにかこじつけたって感じみたいだ」


 「十分とは言えませんが仕方ありませんね。サシャには少し頭を冷やして貰わないと。落ち着いて冷静になれば、今の熱病のような気持ちも、気の迷いだった、と思えるようになるかもしれません。なんと言っても、相手はアレ、ですし」


 「だね。どんな男が来ても姉さんを渡す気は無いけど、アレは流石に。サシャ姉さんは完璧な人だと思うけど、ちょっと趣味を疑っちゃうよ。アレはないでしょ、アレは」



 3兄弟はそれぞれに勝手なことを言いあい頷きあう。

 普段の彼らをよく知る両親が、束の間とは言えしっかり手を取り合った彼らの様子を見たらきっと喜んだだろうが、この場にその姿はもちろんなく。

 物珍しい彼らの協調する姿を目撃する者は誰もいなかった。


 こうして誰にも知られることなく秘密裏に、シュリからサシャを引き離そう作戦は滞りなく進行していく。

 とはいえ、彼らの祖父であるシュタインバーグは知っていたが、今回の企みにより引き起こされる騒動を事前に察知することは、流石の彼にも不可能だった。

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