間話 『猫の遊び場亭』改め『キャット・テイル』にて⑤

 そんな母親の様子に、やれやれと肩をすくめ、



 「全くもう、お母さんは。油断も隙もないんだから。ごめんね、シュリ。久しぶり」



 ジャズは改めて腕の中のシュリに目を落とす。

 そして、自分の方を見上げている菫色の瞳を見て、ふんわり嬉しそうに笑った。



 「うん、久しぶり、ジャズ。元気そうで良かった。新しく出来た兄弟達とは仲良くしてる?」


 「うん、みんな可愛いよ? 年が離れてるからみんな良く懐いてくれてて。シュリと年の近い子もいるし、今度、シュリにも紹介するね?」


 「そっか。良かったね、ジャズ。ハクレンはちょっと可哀相だけど」



 ナーザ、ドライだからなぁ、とシュリが苦笑すると、



 「まあ、お父さんはある意味自業自得だし。でも、そろそろ私も面倒だから、お母さんもちょっとは会ってあげればいいのにって思うけど、リランさんの事を考えると、無責任にそうも言えないし」



 ジャズもつられたように苦笑いを浮かべた。



 「リランさん?」


 「あ、お父さんの新しい奥さん。良い人だよ? 私も時々お邪魔してご飯をごちそうになったりするんだ」


 「へえ? 仲良くしてるんだね」


 「うん。リランさんはお母さんとも仲良くできればって言ってるんだけど……」



 そこで言葉を切り、ジャズはちらりとナーザの方を見る。

 それに気づいたナーザは、ふんと鼻をならし、



 「元妻は元妻らしく、大人しく引っ込んでるさ。そんなわけであちらの家に邪魔するのは遠慮するが、夫婦喧嘩や親子喧嘩で家出したい時はいつでも来て良いぞ、と女とチビ共に伝えておけ。私はハクレンではなく、お前達の味方をする、とな」



 そういってニヤリと笑った。

 男前である。

 元妻に会えなくてメソメソしているハクレンより余程。



 (うーん。ハクレンがナーザに会って貰える可能性は限りなく低そうだなぁ……)



 思いながらシュリはジャズを見上げ、



 「ハクレンに、もう諦めた方がいいよって言っちゃえば?」



 そう提案すると、



 「そうだねぇ。私もその方がいいとは思うんだけど。でも、お父さんも可哀相だし、もう少しだけ頑張ってみるよ」



 ジャズは苦笑混じりにそう返してきた。

 妻からはサックリ切り捨てられてしまったが、娘はまだお父さんの味方をしてくれるようだ。



 (ほんと、ジャズって優しいよねぇ)



 と思いつつ、この場にいないハクレンに思いを馳せた。



 (ハクレンも、いい加減にしないとジャズからも愛想を尽かされちゃうよ?)



 今もきっとこっそりメソメソしているであろう男に心の中で話しかける。

 もし機会があったら、優しいジャズの代わりにきちんと伝えてあげようと思いつつ。



 「リランさんには内緒で?」



 当然、今の奥さんには内緒だろうと思い、何気なくそう問いかける。

 が、ジャズは何とも言えない顔で再び苦笑して言った。



 「ううん。リランさんももう知ってるよ。でも、お父さんのしたいようにさせてあげて欲しいって言うんだよ。お父さんから元の居場所を奪ったのは自分だからって」


 「そっか。良い人だね」


 「うん、すごく良い人。お父さんには、ちょっともったいないくらい」



 流石に、そうだね、とは返しづらく、シュリは曖昧に頷く。

 リランという人は、ハクレンの居場所を奪った、と言う。

 だが、そもそも彼女の居場所も用意せずに、ずっと甘えてきたのはハクレンの方なのだ。

 優しい彼女が自ら動かねばならぬほど、長い、長い間。


 この国の婚姻制度では、一夫多妻が認められているという。

 なのに、ハクレンはなぜリランという女性を2人目の妻に迎えなかったのだろう。

 長い間、それこそ5人もの子供を設けるだけの間、共に過ごしていながら。

 なぜ、と思いながら、シュリにはその理由が分かるような気がした。


 多分、ハクレンはナーザを失いたくなかったのだ。

 彼はナーザの性格を良く知っていたから、もう一人妻を迎えるなどと言ったが最後、彼女が何の未練もなく自分から離れてしまう事を知っていたのかもしれない。

 だから、ハクレンは己の不貞をひた隠しにした。

 ナーザを、愛していたから。


 でも、だとしたら。

 どうしてもナーザを手放したくなかったのなら、別の女性に手を出すべきじゃなかった。


 ハクレンがルール違反をしなければ、ナーザは恐らくハクレンの妻のままでいたんじゃないだろうか。

 いくらシュリに心を移していたとはいえ、長年共に暮らした情は確かなものだっただろうから。

 そんなナーザとの絆を、ハクレンは自ら壊してしまったのだ。



 (とはいえ、僕も他人事じゃないよね。失いたくないなら、間違えないようにしないと)



 ナーザとハクレンの、壊れてしまった婚姻関係に思いを馳せながら、シュリは考える。


 今はまだ良い。


 まだ幼く、結婚を考えるにはまだ早いと、みんながそう思ってくれている。

 だが、これから後、シュリが順調に成長して適齢期になったらそうはいかないだろう。


 いつか、シュリが結婚できるお年頃になるまでに、[年上キラー]の効力をどうにか出来なかった場合。

 そのときは潔く心を決めて責任をとるしかない。


 責任を持たなければいけないほど惚れさせてしまった相手、全てを嫁にし、かつ幸せにする。

 1人は正妻を決めなければならないだろうが、それでも妻にして貰えなかったという不満よりはましに違いない。

 ……たぶん。


 いつか来るであろう将来の、過酷なミッションを思い、シュリは小さな吐息をこぼす。

 そして思う。

 そうならないように、お年頃になるリミットまでにどうにか例のスキルを己の思うままにしなければならない、と。


 とはいえ、そのためにはまず、愛の奴隷を更に5人も増やさねばならず、最近2人増やしたばかりのシュリにはハードルが高い。

 しかも、そこで目標が達せられるか分からない、というのがみそだ。



 (まあ、僕が結婚を考えなきゃいけない年になるまではまだ時間があるし。いずれは考えなきゃならない事だけど、まだ焦る必要はないか。まずはアビスとルビスの事からだ)



 次の愛の奴隷の事を考えるのは、新人の2人がシュリと共にあることに慣れて、いろいろ余裕が出来てからでも遅くない。

 ただ、今までは愛の奴隷を増やすことを避けてきたが、今後は機会があれば増やしていくことにしようとは思っていた。


 一気に5人も増やすのは、流石にちょっと大変そうだ。

 主に受け入れる側が。


 などと、ハクレンの事からついつい深々と考え込んでしまった。



 「シュリ?」



 反応のないシュリにジャズが首を傾げてその名を呼び、その声にはっとしたシュリは、慌ててジャズの顔を見上げた。



 「なっ、なぁに?」


 「考え事? もうすぐ学校が始まるし、学校の事、とか?」


 「えーっと、うん、まあ……」



 全然別の考え事をしていた訳だが正直にそう伝える訳にもいかず、ジャズの誤解をいいことにシュリは曖昧に頷いた。

 そんなシュリの返事に疑問を抱くこともなく、



 「そっか。そうだよね。大変な時に、わざわざ会いに来てくれてありがとね、シュリ」



 ジャズが素直に納得してくれる。



 「じゃあ、そろそろ帰る? いろいろ、忙しいよね?」



 名残惜しそうなジャズの提案に頷きかけ、思わずはっとする。

 ジャズが熱に浮かされたような顔で、シュリの顔を……正確にはその唇をじっと見つめていた。

 これは、まさか、と思って彼女の顔を見上げていると、



 「え、えっちな事はまだダメってお母さんには言ったけど……キ、キスくらいならいいよね? お母さんともしてたし。キスって健全な男女交際の基本だと思うし」



 ナーザとしてたからいいとか、そういう理屈じゃないだろう、とは思うのだが、ではなんと言ってお断りするべきか。


 もう問答無用でナーザとしちゃった後なのでなんだかダメだとは言いにくい。

 かといって、僕とジャズはまだお付き合いしてないよね、と事実を突きつけちゃうのも、ジャズの純粋な心を傷つけてしまいそうで怖かった。


 とか考えている内に、もはや断るとか言ってる場合じゃないくらいにジャズの顔が近づいていて。

 観念したシュリは、そっと目を閉じる。

 遠慮がちに触れてくる唇が、熟練のナーザのキスとは違って初々しい。


 ついついいつもの癖で、そろりと舌をのばしてジャズの唇に触れれば、彼女は驚いたようにびくっと体を震わせ、だがすぐにその唇の継ぎ目を緩めてシュリに応えた。

 シュリしか知らないのであろうジャスのキスはぎこちなかったけれど、だからこそ新鮮で。

 ついついキスに熱が入ってしまった結果、ジャズは腰砕けになってへなへなとその場に座り込んでしまった。



 「う、うわぁ……。ぜ、絶対子供がしていいキスじゃないよね」



 真っ赤な顔で指の隙間からこっちを見ているサギリがそんな声を上げ、やっちまった感満載の顔をしているシュリをナーザの手がジャズの腕の中から奪い取る。



 「やっぱりシュリは男前だな」



 そう言って彼女は笑い、彼女の娘とのキスで濡れたシュリの唇を、親指の腹できゅっと拭った。



 「まだ子作りは早いとジャズは言うが、準備が出来たらいつでも言うんだぞ? 私もジャズも、準備万端整えて待ってるからな。ジャズはともかく、私は結婚してほしいなんて面倒な事は言い出すつもりはないから、遠慮なく好きなようにしていいからな! 子供をもう1人で育てるだけの経済力もあるし、いくらでもお前の都合のいい女になってやる」


 「都合のいい女って……」



 人聞き悪いなぁ、と思いつつ、シュリは唇を尖らせてナーザを見上げる。

 自分と関わりあった女性を都合のいい女として扱うつもりなんて無い。

 もしいたすなら、きちんと覚悟を持っていたすつもりだった。

 とはいえ、それはまだまだ先のことになるだろうけれど。


 そんなシュリの、言葉にしていない声が聞こえたかのように、



 「私がお前を欲しいんだよ。他よりも、少しでも多く、な。それだけは、ジャズにもゆずれんな」



 そんな言葉と共に肉食獣の顔でナーザは笑い、



 「待ってるから、早く大人になれよ」



 シュリの頬にキスを落とす。

 困った顔で見上げるシュリを見て愉快そうに笑い、それから隣で固まっているサギリをからかうように見た。



 「サギリも参加するつもりがあるなら意思表明はしっかりとな? シュリは鈍感だから言わないと伝わらんし、もたもたしてると出遅れるぞ? 年頃になった頃のシュリ待ちの女の列はもの凄いことになっているだろうからな」


 「ええぇっ!? 出遅れるって……でも、確かに」



 ナーザの言葉に、サギリは迷うように目をさまよわせ、だがすぐに心を決めたようにシュリをまっすぐ見つめた。

 その目元をほんの少し赤く色づかせ。



 「え、えっと、そのぉ……よっ、よろしくお願いします!!」


 「え、えええぇ~?」



 がばりと頭を下げたサギリの頭頂部をシュリは何とも言えない表情で見た。

 頭を下げた勢いで天然のうさ耳が揺れてて可愛いが、それとこれとは話が別である。

 ちょっと流されすぎじゃあないかと呆れた眼差しを注いでいると、



 「私も、結婚とかなくていいよ? 元々結婚願望ないし。でも、子供は責任をもってきっちり育て上げるからそこは安心して!!」



 まだ仕込んでもいない子供の育成について話されても、とシュリが若干引き気味に構えていると、なぜかナーザが前のめりになった。



 「おおっ! シュリそっくりの顔にうさ耳がついていると思うとたまらないな! 丸い尻尾のついた尻もさぞかし可愛いに違いない。その血筋は残した方がいい。頑張るんだぞ、サギリ!! 3人は欲しいところだ」



 己の子供の話でもないのに興奮したように鼻息までも荒くするナーザを、シュリはやれやれと見上げる。

 困った人だなぁ、というように。


 だが、そんなシュリはまだ知らない。

 愛の奴隷達の一部による、シュリの子孫繁栄計画がこっそり進行している事を。


 首謀者は後に、シュリの素晴らしい遺伝子を後世に残していく為の偉大な計画なのです、と語っていたのだが、その実、シュリのミニチュア達がいろんな種族の特長を受け継いだ姿が見たいというのが主な理由なことは明らかだった。

 その計画を知ったシュリは、何の躊躇もなくその計画をぶち壊す事になるのだが、今のシュリはその計画の片鱗すら知らず。



 「うさ耳にうさ尻尾のシュリ様のミニチュア……す、素晴らしいですね。猫耳に猫尻尾もいい。出来れば色違いを並べて愛でたいところです」



 うっかり念話で妄想をダダ漏れにさせている某ダメ執事に、



 (色違いを並べてって……フィギュアのコレクションじゃないんだから。ったく、僕の子供をなんだと思って……って、まだ影も形もないのか。っていうか、僕に何人子供を作れと!?)



 声に出さず……というか念話にも出さず、心の中でひっそりとつっこみを入れるのだった。


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