第268話 サシャ先生危機一髪①

 時はあっという間に過ぎていく。

 気がつけば年が明けて、シュリが王都へ行く時期が刻一刻と近づいてきたその頃には、サシャの心も己の行く先を決めていた。


 その理由の一つに、王立学院で学院長をつとめる祖父からの快い返事があったこともあげられる。

 どうあっても結婚はしたくない、そんな孫の望みを、サシャの祖父・シュタインバーグは突っぱねることはしなかった。


 もし、彼がシュリと出会ってなかったら、孫のその願いを聞き届けることはきっとなかっただろう。

 だが、彼はシュリという存在と出会い、魅力的すぎるその少年にどうしようもなく惹かれる孫娘の気持ちがよく理解出来た。


 少々年は離れているが孫娘の美貌は際だっており、結婚はまあ無理としても、上手くすればシュリとの子供をもうける事が出来るかも知れない。

 シュタインバーグ翁は、孫娘を政治の道具としてどこかの貴族の嫁にするよりも、シュリと孫娘の子供を曾孫として己が腕に抱く事に、より多くの価値を見いだしたようである。


 そんな思惑もあり。


 彼は孫娘を己の学院に招聘してシュリの担当教員をさせる事にしたし、結婚したくないという孫娘の願いも快くきいてやった。

 結果、サシャの中でシュタインバーグの祖父としての株は上がり、結婚という枷をつけられる心配の無くなった彼女はなんの憂いもなく、王立学院へ行くことを決意したのだった。


 決心さえしてしまえば、後の行動は早かった。

 校長の許可を強引にもぎ取り、その後は王都への引っ越し準備と、己の仕事の引継に努めた。


 サシャがシュリと共に王都の学校へ移るという話は瞬く間に学校中に広まり。

 その頃から、彼女の周辺でちょっとした事件が頻発する様になった。


 最初は、いつも使っている小物が見あたらなくなるといった些細な出来事。

 大したことないだろうと放置していたらそのうちに、洗濯して干していた下着が時折見あたらなくなるという事が起き始めた。


 最初はただ風にさらわれただけだろうと放置していたサシャだが、それが二枚、三枚と続くうちに、さすがにおかしいと思うようになり。

 下着類は家の中で干すという対策をとったら、下着の行方不明者はぴたりと出なくなった。


 その事に関してはほっと胸をなで下ろした訳だが、おかしな出来事はそれだけでは終わらなかった。

 下着を家の中に干すようになってからしばらくしたある日。

 学校での仕事を終え家に向かう帰路の途中、サシャは自分を背後からつけてくる怪しい足音に気がついた。


 自分が早足になれば早足になり、自分がゆっくり歩けばゆっくりに、足を止めればぴたりとその音を止めるその足音に、サシャは背筋が冷えるのを感じた。

 その日はとにかく急いで家へ戻り、ドアに鍵をかけ、朝まで落ち着かない気持ちで時間を過ごした。


 だが、サシャが恐れていたような襲撃は特になく、無事に朝を迎えた彼女はほっと胸をなで下ろしつつ、明るい日差しの中、職場である学校へと向かった。

 昨日の事は、おそらく自分の気のせいだったのだろう、と己に言い聞かせて。


 しかし、それは始まりに過ぎず、彼女の後を付ける足音は、毎晩のように仕事帰りの彼女を追いかけて来た。

 とはいえ、その足音は彼女の後を追うだけで、それ以上の出来事が起こることなく時は過ぎた。

 その日が、来るまでは。


◆◇◆


 その日。

 正体不明の追跡者に、連日付きまとわれる事に若干疲れ気味のサシャに声をかける人物が居た。



 「サシャ先生、顔色が優れませんね。貴方の美しさが台無しだ。なにか、心配事でも?」



 シュリの中等学校授業体験の際にサシャに玉砕して妙に大人しくなってしまったバッシュ先生である。

 彼は、心配そうな親切そうな顔でサシャを見つめ、いたわりの声で問いかけてきた。



 「いえ、お気になさらず。私は大丈夫ですから」


 「表情も顔色も、大丈夫と言い切れるレベルじゃ無いですよ。私じゃあ頼りないかも知れませんが、貴方の力になりたいんです」



 首を振り、彼を遠ざけようとしたが、そうすることは出来なかった。

 彼は誠実な口調でそう言い募り、真剣な眼差しでサシャを見つめる。

 最近の彼は、無駄に筋肉を主張するファッションを改め、見た目だけで言うならば少々ガタイがいいだけのごく一般的な教師に見えるようになっていた。そんな彼からどこまでも真面目に、自分を頼って欲しいと迫られ。

 サシャはついつい、最近の自分の近況を話してしまっていた。自分を取り巻く、普通とは言い難い状況について。


 本来なら。

 サシャが一番に相談すべきはシュリであるべきだった。

 しかし、心の奥底では彼に心底惚れているサシャではあるが、教師としての仮面を完全に捨て去ることは出来ておらず。

 結果、教師である己の心配事を生徒であるシュリに気軽に相談することなど、到底無理な話だった、という訳である。


 バッシュはとても親身に話を聞いてくれた。

 そして、サシャの話を最後まで真摯に聞いた彼は、大きく頷き申し出た。

 幸い自分は体をしっかり鍛えている。しばらくの間、自分がボディーガードをつとめましょう、と。


 その申し出に、サシャは正直困惑した。

 彼が自分に特別な想いを抱いているという事実は先日判明したが、自分の思いは他にありその想いに応えられない事も既に彼には伝えてある。

 これから先、彼が自分にどれだけ親切にしてくれたとしても、恐らく……いや、絶対に自分の想いが彼へ向かうことはないだろう。


 たとえこの先、己のシュリへの想いが叶わぬとしても、だからといって心がシュリから離れることはない。

 それくらいに、サシャのシュリへの想いは育ってしまっていた。


 バッシュの申し出た親切を、黙って受けても誰も責めはしないだろう。

 だが、生真面目な彼女にはそれが出来なかった。

 サシャは、自分の気持ちを正直に伝えて、一度は彼の護衛を引き受けようという申し出を断った。

 だが、バッシュも簡単には退かず。

 結果、数日ではあるが彼のボディーガードの元、家へ帰るという日々が始まることとなったのだった。

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