第二百十六話 エリザベスは見た!?⑥

 「貴方の、部屋……ということは、ここはあのタペストリーの中ですの!?」


 「うむ。ほれ、そこの窓をのぞいてみぃ。シュリの部屋が見えるのじゃ」



 イルルの言葉に、エリザベスは淑女のたしなみも忘れて窓へ駆け寄る。

 するとイルルの言うとおり、窓の外にはさっきまでいた部屋が見えた。 



 「……ほんとに、さっきまでの部屋がみえますわね」


 「そうじゃろ?」


 「ならやはり、ワタクシが今いるのは、あの壁に掛かっていたタペストリーの中……」


 「じゃから、そう言っておるじゃろーが」


 「あり得ませんわ……」


 「あり得んもなにも、実際お主はここに来ておるしの~。まったく、頭が固い奴なのじゃ」



 仕方ない奴じゃの~、とイルルは唇を尖らせ、エリザベスは窓辺を離れると改めてイルルの部屋の中を眺めた。

 正直、この部屋がさっき見たタペストリーの中にあるものだとは信じきれない。

 自分はもしかして、夢でも見ているのだろうか、とも思う。



 「イルル?」


 「ん?なんじゃ??」


 「ちょっとワタクシのほっぺたをつねって頂けるかしら?」


 「む?つねるのか?むぎゅーっといくぞ??」



 エリザベスの依頼にイルルは快く応え、言葉の通りむぎゅーっとエリザベスのほっぺたをつねった。

 一応、手加減はしたが、それでも元々の身体スペックが異様に高いイルルである。

 手加減をしようとも、そのつねりの与える痛みは、エリザベスの想像を軽く越えていた。



 「いだだだだだだだっっ!?も、も、も……」


 「も?」


 「ももも、もう結構ですわ!!おっ、おはっ、お離しになって!!!」


 「にゅ?もう離してよいのか?まだちょびっとしかつねっておらんが?」


 「じゅっ、じゅうぶん……もうっ、じゅうぶんっ、ですからぁっ……はやくっ!!一刻も早く、離して下さいましぃぃ!!!」


 「むぅ、わかったのじゃ」



 エリザベスの魂の叫びに、イルルは不満そうに彼女のほっぺから手を離した。

 その手が離れるやいなや、そのほっぺを両手で押さえてしゃがみ込んでぷるぷると震えるエリザベス。



 「ち、ち、ち……」


 「ち?」


 「ち、ちぎれるかと思いましたわ……ま、まだありますわよね?私のほっぺた……」


 「ん~?ちゃんとついておるぞ?大丈夫じゃ。ちゃんと手加減はしたんじゃから、えぐり取ってはおらんはずじゃぞ??」


 「あ、あれで手加減、してたんですのね……」


 「うむ!かなり手加減しておったのじゃ」


 「そ、そうなんですの……」



 もう二度と、貴方にほっぺたをつねってなどと、頼みませんわ……そう呟いてから、やっと痛みがおさまってきたのか、エリザベスが立ち上がる。

 立ち上がってから、もう一度窓の方を見た。正確には、窓の外に見える、シュリの部屋を。



 「あれだけ痛くても目が覚めないと言うことは、今の状況は現実ということですわね……」



 呟き、エリザベスはようやく現実を認める気になった。

 どうやら、信じたくはないが、今いるこの場所は、シュリの部屋の壁に掛かっているタペストリーの中の空間らしい。



 「……ここが貴方の部屋だということは理解しましたわ。それがさっきのタペストリーの中だということも。あんまり理解したくありませんでしたけど……」


 「まったく、くるくるはそんな攻めた髪型をしておるくせに、頭が固いのう。もっとやわらか~くしておかんと、世の中を上手く渡っていけんのじゃぞ?ほれ、もちっと妾を見習って、頭をこう、やわらかくじゃな……」


 「……」


 「んむ?なんじゃ?何か言いたいことがありそうな顔じゃの?」


 「……何でもありませんわ」



 ドヤ顔のイルルをちらりと見てから、エリザベスは小さく嘆息する。

 貴方を見習ったら、それはそれで色々終わってしまいそうな気がするんですけれど、と即座に浮かび上がった正直な気持ちを、胸の奥にそっと押し込めて。

 さすがのエリザベスもこんな訳の分からない場所で、脱出の要となる人物の機嫌を損ねようと思うほどおバカさんでは無かった。



 「ちょっと質問してもよろしいかしら?」


 「む?かまわんぞ??あれか?オススメのブラシを聞きたいのか??妾のオススメはの~」


 「いえ、ブラシのオススメは別にどうでもいいんですの。それより、この場所についてお聞きしたいですわ」



 嬉々としてブラシの説明を始めようとしたイルルは、出鼻をくじかれて、オススメのブラシはどうでもよいのか……とちょっとしょんぼりした顔をした。

 その顔を見て、ほんの少し胸が痛んだが、今はそんなことを気にしている場合ではないと、エリザベスは再び口を開く。



 「ここって一体なんなんですの?普通の空間じゃありませんわよね。もしかして、ルバーノ家に伝わる高価な魔道具かなにかですの??」



 エリザベスにはこの空間の説明がそれしか思いつかなかった。

 空間魔法というものもあるとは聞くが、希少な能力で、その魔法を使える者は滅多に居ないときく。

 そうなると、頭に浮かぶのは魔道具の類だ。

 魔道具は、職人が作るものがもちろん多いが、古い遺跡やダンジョンなどから稀に発掘される事もあるという。

 そう言った発掘品には、珍しい能力が付与された魔道具も多いのだと、両親から聞いたことがあった。


 一応貴族の端くれであるグルーミング家にもそう言った魔道具が、まあそれなりにあったりする。

 エリザベスが特に気に入っているのは、スイッチを入れると温風を出してくれる魔道具で、発掘品の中ではまあ、ありふれた類のものだが、自慢の髪の毛をセットするのには重宝していた。

 まあ、そんなわけで、魔道具の能力は意外と幅広く、お金さえ積めばそれなりの魔道具は手に入る。


 そういう知識のあるエリザベスが、このタペストリーハウスをそう言う魔道具の一つと思ったのも、まあ、ある意味仕方が無いことだろう。

 そんなエリザベスの言葉に、イルルはこてんと首を傾げた。



 「んみゅ?魔道具??」


 「そうですわ。このタペストリーは、空間魔法を付与されて、異空間を作り出す魔道具なんですわよね??」


 「んむ~、そういうのも探せばありそうじゃが、これは違うのじゃぞ?これは、シュリが……」


 「シュリが?」



 そこまで言って、イルルははっとする。

 その脳裏に、にっこり微笑むジュディスの顔がぽんっと浮かんだからだ。

 頭の中のジュディスは、今日まさにイルルに言った言葉をそのまま再現してくれた。



 (イルル。貴方は少々考えが足りない子だから、うかつな事を言わないように気をつけるのよ?シュリ様に関することは、特に、ね?もし、シュリ様に関して言わなくてもいい情報をうかつに漏らしたりしたら……)


 (も、漏らしたりしたら、わ、妾は、ど、どうなるのじゃ……?)


 (もちろん、お仕置きよ。今日のお仕置きが可愛く見えるくらいの、ね)



 そう言って、微笑んだジュディスの恐ろしかった事と言ったら。

 今、思い出しただけで、うっかりちびってしまいそうになった。



 (う、うむっ。シュリに関する情報は要注意なのじゃ!!)



 正直、いま言おうとした情報が言っていい情報なのか、ダメな情報なのか分からない。

 分からない……が、安全と言い切れないなら、口をつぐんだ方が賢いだろう。

 イルルはそう判断した。

 かすかにぷるぷると震えながら。



 「イルル?どうかしまして??シュリナスカ・ルバーノがどうしましたの??」



 そんなイルルに、エリザベスが怪訝そうな声をかける。

 はっとしたように傍らのエリザベスをみたイルルは、ごくり、と唾を飲み込んだ。

 うっかり出してしまったシュリの名前はもうごまかしようがない。

 しかし、どうにか無難に切り抜けなければ、その先にあるのはジュディスによる壮絶なお仕置きだ。

 それだけは、どうしても避けなくてはならなかった。



 「しゅ、しゅりが……」


 「シュリが?」


 「こ、この魔道具はシュリが貰ったものじゃから、妾にはよくわからん、とそう言いたかったのじゃ!」



 じゃから、妾に色々聞いても無駄なのじゃ、と、きぱっと言い切って、イルルは内心どきどきしながらエリザベスの様子を見守る。

 ここでエリザベスがイルルの適当な嘘に納得してくれず、激しく追求してきたら、うっかり本当の事をしゃべってしまわない自信がない。

 そうなったら、イルルは確実に地獄を見ることになる。

 そのことを思うと、イルルの体は否応なく微妙なバイブレーションに見舞われるのだった。



 「……なるほど。この高性能な魔道具は、跡継ぎであるシュリナスカ・ルバーノへの贈り物と、そういう訳ですのね」



 そうは見えずとも、心底おびえきっていたイルルは、そんなエリザベスの言葉を聞いて、心の底からほっとした。

 脳裏にずっとこびりついていたジュディスの恐ろしい笑顔がすぅっと消えていき、イルルの顔色も目に見えて良くなる。



 「うむっ、うむっ!!そうっ、その通りなのじゃっ!!」



 イルルはこの好機を逃してなるものかとばかりに、エリザベスのずれまくった推測に激しく同意した。

 そして、ひとまず納得した彼女の手を両手で引っ張る。



 「よしっ、疑問が解決したところで、そろそろブラシを選ぶのじゃ!!くるくる、お主には特別に一番よいものを貸してやるからの!!」


 「は??ぶ、ぶらし??」



 この部屋にきた目的をもうすっかり忘れてしまっているエリザベスの手を引いて、イルルは自分の宝物入れへと向かう。



 (……これ以上くるくるに余計な事を考えさせるのは危険なのじゃっ!!)



 そんな思いの元、イルルはこのまま強制的にブラシ選びへとエリザベスを引きずり込むつもりだった。

 目を白黒させているものの、ひとまずの疑問を解決できたエリザベスが強く抵抗することは無く、イルルはエリザベスを宝物入れの前に座らせた。

 そしてそのまま、二人並んでブラシの物色をはじめる。

 そうして夢中でブラシを選んでいるうちに、ジュディスの怖い笑顔の事など、すっかりと忘れてしまうイルルなのであった。

 

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