第二百五話 ホームルーム、その後に
エリザベスが強制退場させられた後の自己紹介は、なんの問題もなくサラリと終わった。
ちなみに、シュリの左隣の読書王子の自己紹介は名前と愛読書を教えてくれただけの、シンプルなもの。
しかも彼は、クラスメイトには目も向けず、本に目を落としたままだった。
クールである。
いや、素直にクールというには色々と賛否両論あるだろうが、とりあえずシュリはそう思った。
ああ、僕もあんな風にありたいものだなぁ、と思いつつ、ホームルームという名の自己紹介タイムの終わった騒がしい教室でぼーっとしていると、目の前に誰かが立ったので反射的に見上げた。
そこにいたのはリアで、僕に何か用かなぁとちょっと首を傾げつつ、
「えっと、勝手に席を離れたら怒られるよ?」
一応、そう忠告してみる。
「……さっき、先生がしばらく休憩にするっていってたから平気」
「ふぅん?そっか」
なんだかシュリがぼーっとしている間に、休憩時間に突入していたようだ。
ならまあ、リアが席を離れても問題ない。
だけどどうして、リアはシュリの席の前で仁王立ちしているのだろうか?
それが分からなくて、シュリは再び、今度は大きく首を傾げる。
「で、なぁに?リア」
僕に用事?と見上げれば、リアは唇を尖らせてシュリを軽く睨んだ。
「……あの子のこと、そんなに気に入ったの?」
「あの子??」
あの子って誰だろう、と更に首の角度を深くするシュリに、
「エリザベス・グルーミングのことよ。あの子にしつこく質問してたし、いなくなったらいなくなったで、ずーっとぼーっとしてたじゃない。シュリって、ああいう子が好きなの?」
リアがちょっとイライラしたように問いかける。
「シュリって、ああいうちょっと変わった……というか、高飛車な感じの子が好きなわけ?」
「ああ、エリザベスね……エリザベスかぁ。そうだなぁ」
ぼんやりしたままエリザベスについて考えるシュリの脳裏に浮かぶのはわんこのエリザベス。
その面影を追いつつ、シュリはほんわりと優しい微笑みをその表に浮かべた。
「そう、だなぁ。高飛車っていうか、きゃんきゃん必死に吠えてる姿が、なんとも可愛いよねぇ」
うっとりした表情のまま、シュリは答える。
エリザベスは、無駄吠えの多いわんこであった。
だが、威嚇してるとかそう言うわけではなく、ただかまって欲しくて鳴くのである。
しつけがなってないと言われてしまえばそれまでなのだが、相手の気を引こうとして一生懸命に鳴く姿は可愛らしいものだった。
そんな無駄吠えが多いところもなんだか似てるんだよねぇ、とエリザベスが耳にしたら確実に怒りそうな事を考えながらほっこりしていると、リアが両手をシュリの机について、シュリの顔をのぞき込んできた。
「可愛い……可愛いね……ふぅん、そう。で?」
間近に見えるその目が思いっきりすわっていて、なんだか怖い。
シュリは反射的に身を引きつつ、おずおずとリアの顔を見上げた。
「で?……って??」
恐る恐るたずねると、リアはにっこり笑った。
すごく可愛いはずなのになぜか、背筋が凍るような笑顔で。
その手ががっと伸びてきて、シュリの頭をわし掴みにする。いわゆるアイアンクローと言うやつだ。
ぎりぎりと食い込んでくる指先が地味に痛い。
リアはごく普通の女の子で、シュリは規格外な防御力を誇っている筈なのに。
それなのに、いつだってリアの攻撃は地味に痛いのだ。魔物や獣の攻撃は、いくら受けても痛くないと言うのに。
どうしてなんだろう、不思議だなぁと思いつつ、シュリはさっきのリアとの会話を頭の中で反芻する。
(確か、え~っと、エリザベスの事を聞かれたんだよなぁ?)
じゃあきっと、リアが聞きたいのはエリザベスについての情報に違いない。
違いないのだが、一体、彼女についてのどんな情報を話せばリアは満足してくれるのか?シュリは腕を組んで、う~んと唸った。
その様子を、リアが呆れ混じりの冷たい眼差しで見ていることなど気づきもせずに。
「……ちょっと前の出来事すら思い出せない脳味噌なんて、必要ないわよね?」
中々答えないシュリにしびれを切らせたリアが、その指先に更に力を込めていく。
頭蓋骨がみしみしときしむ音すら聞こえてくるんじゃなかろうかと言うくらいに、彼女の細い指が頭に食い込んで、シュリは思わず悲鳴を上げた。
「いたっ、痛いってば!ちょ、ちょっと待ってよ!!今、思い出してるんだってば……やめ!そ、それ以上は味噌がでちゃうからぁっ」
サシャ先生に連行されたエリザベスが戻ってきたのはそんな時の事だった。
疲れた表情で教室に入ってきた彼女は、己の席の隣で繰り広げられている修羅場に、一瞬目を丸くする。
だが、すぐに立ち直り、すたすたとリアに歩み寄るとシュリの頭を締め付けるリアの手にそっと己の手をかけた。
「なにがあったのか分かりませんけれど、そろそろやめて差し上げたらいかが?ワタクシもそちらの方には思うところはありますし、きっと悪いのは彼なんだと思いますけれど、そろそろやめないと泣き出しそうですわよ?」
エリザベスは意外と冷静にリアを諭し、やれやれといった表情でシュリをちらりと見る。
な、泣いたりなんかしないやい、と思いつつも、自分が涙目になっている自覚のあるシュリは、彼女の呆れたような眼差しを受けつつ黙って唇を尖らせる。
痛いのは痛いけれど、泣くほど痛い訳じゃない。
でもなぜか、リアの攻撃を受けると条件反射のように涙が出てしまうのだ。
まあ、さすがに赤ん坊の頃のように声をあげて泣くことはしないが、目から勝手に涙が出てくるのはどうしても止められなかった。
乱入してきたエリザベスに、己の行為を咎められたリアは、ちらりとエリザベスを見て、それから再びシュリをロックオンすると、
「で?シュリはこの女の事をどう思ってるわけ?好きなの?」
誤魔化したら許さないと容赦なく指先をシュリのコメカミにめり込ませながらたずねた。
その明確な問いかけに、
(あっ、なるほど。リアが知りたかったのって、それだったのかぁ)
と内心ぽんと手を叩いたシュリは、
「エリザベスの事は好きって言うか、えっと……」
言葉を濁しつつ、さて、なんて答えようかと頭を捻る。
でもまあ、正直に答えても問題ないだろうと、すぐに再び口を開いた。
「昔、好きだった
その答えを聞いたリアの目が見開かれる。
シュリは気付いていない。
自分がどんな爆弾を落としてしまったのか。
あくまでシュリは、好きだったイヌについて語ったつもりだったからだ。
しかし、当然の事ながら、リアもエリザベスもそうはとらなかった。
「す、好きだった……って……ええっ!?」
エリザベスの顔がみるみるうちに赤くなり、挙動不審に目を泳がせる。
そんな彼女を見つめるリアの瞳の温度は絶対零度。
彼女はシュリの頭をぎりぎりと締め上げたまま、
「……なに、喜んでるの?」
エリザベスにそんな言葉をぶつけた。
それを聞いたエリザベスがはっとしたような顔になり、慌てたように両手をわたわたと振り回しながら、
「ちっ、違いますわ!!ワタクシは驚いただけで、べっ、別に喜んでなんかいませんわよ!?」
そんな弁解をリアにぶつける。
だが、リアの瞳は揺るがず冷たいままだ。
エリザベスは、その瞳に追いつめられるように叫んだ。
「そ、それにワタクシ、自分より美少女な男の子なんて、まっぴらごめんですわ!!!」
……と。
その言葉がまっすぐに飛んできて、シュリの胸にがっつりと突き刺さる。
折りよく、エリザベスの答えに反応してか、リアの指からも力が抜け、解放されたシュリはそのまま机に突っ伏した。
そして思う。泣きたい、と。
いや、別に、エリザベスから拒否られたから泣きたいわけではない。
シュリはエリザベスを恋人にしたいとか思ってないし、その辺りはどうでもいい。
そう、どうでもいいのだ。
シュリにダメージを与えた言葉、それは……
(……美少女……美少女な男の子っていった……だから、髪切りたいってお願いしたのに、母様達が切らせてくれないから……)
シュリは机に突っ伏したまま、髪を切ることを許可してくれなかった面々に心の中で恨み言をぶつけた。
シュリは元女性ではあるが、実の所、中々少年らしくならない己の外見にコンプレックスを持っていたのである。
毎日鏡を見ているのだ。
自分の美少女っぷりなんてイヤと言うほど思い知らされている。
だが、その事実を他人の口から告げられる事は思っていたよりもずっとダメージが大きかった。
すっかりしょんぼりしてしまったシュリを見て、リアはその黒い瞳を細める。
自分以外の人間が与えたダメージでへこむシュリを見るのは、思っていたよりも腹立たしいものだった。
というか、腸が煮えくり返る気持ちになる。
手を振り上げ、ぺちんとシュリの頭を叩いてみた。
だが、シュリはいつものように痛いと騒がずに、しょぼんとしたままだ。
リアはきゅっと唇をかみしめて、それからちょっときつく言い過ぎたかとあわあわしているエリザベスをきっと睨んだ。
「え、え~と……ちょっといいすぎましたかしらね」
でも、こんなに落ち込ませるつもりは無かったんですのよ!?と言い募るエリザベスを睨んだまま、リアはシュリの頭を己の胸に抱きしめる。
まだほんのり膨らみを感じるくらいの幼い胸にいきなり顔を押しつけられ、シュリは目を白黒させた。
だが、そんなシュリのことなどお構いなしに、リアは宣言する。
「シュリをいじめていいのは私だけ。貴方に、シュリは渡さない」
と。
「……え~と、ワタクシ言いましたわよね?自分より美少女な男の子はまっぴらごめん、と」
「ぐはっ……」
「……くっ。そうやって私を油断させながらシュリをいたぶるなんて……」
「いえ、あの、ですからね?ワタクシ、貴方と争うつもりなんてこれっぽっちもないんですのよ?聞いてますの?」
「また油断させておいてシュリをいじめようとしても、そうは問屋がおろさない」
「あの、ですわね??少しはワタクシの話を……」
そうやって、しばらく不毛な会話が続いた。
だが、リアとエリザベスが和解に至ることなく、サシャ先生が戻り休憩が終わる。
リアは憎々しそうにエリザベスを睨んで一方的にライバル宣言をし、呆然とするエリザベスをそのままにシュリの後ろの席へと戻っていった。
残されたのは、妙に疲れた顔をしたエリザベスと、彼女に与えられた精神的ダメージがまだ抜けきらないシュリ。
いったい何なんですの、と大きなため息をもらしたエリザベスは、背中を丸め、しょんぼりした様子のシュリを横目でちらりと見つめ、再び小さな吐息を漏らす。
彼女はどうしようか迷う様子を見せた後、意を決したようにシュリの方へわずかに身を乗り出した。
そして、
「その、さっきは悪かったですわ。あ、謝りますから、元気を出して下さいまし」
こそっとそんな風に声をかけた。
シュリはどんよりした顔で、エリザベスを見る。
超絶美少女……いや、美少年の潤んだ瞳と憂い顔に、思わず胸をドッキリさせつつも、エリザベスは再び言葉を紡ぐ。
「そ、その、お詫びになにか埋め合わせをしますわ。何か好きな食べ物とかあればご馳走しますけど……」
「……ブラッシング」
「はい?」
「エリザベスの髪の毛をブラッシングしたい」
「ワタクシの髪を、ブラッシング、したいんですの?」
「うん。だめ?」
シュリはうるうるした瞳でエリザベスを見つめ、小さく首を傾げた。
その可愛らしい仕草に、思わず魅了されかけつつもなんとか踏みとどまり、エリザベスは気を取り直したようにこほんと咳払いをしてから、
「そうしたら、貴方は元気になりますの?その、ワタクシの髪をブラッシングしたら」
平静を装いつつ、小さな声でそうたずねる。
その問いかけに、シュリは即座に頷いた。
「うん。なるよ。元気に」
そう答え、花がほころぶような可憐な笑顔で微笑む。
エリザベスは、再び激しくなりかけた動悸をなんとか鎮めつつ、シュリから目線をはずし前を向く。
そして、やっぱりだめかぁ、とシュリが諦めかけた頃、隣から小さな声が届いた。
ただ一言、じゃあ、いいですわよ、と。
その言葉に、最初はぽかんとし、だがすぐにその意味する事に気がついて、シュリはぱああっと顔を輝かせた。
やったぁ、と思わず飛び上がりそうになる気持ちを何とか落ち着かせ、早速今日の放課後にでもブラッシングをさせて貰おうと思い、頬をゆるめる。
そして、エリザベスにはどんなブラシがいいかと、頭の中で自分のブラシコレクションを早速吟味しはじめた。
こうしてシュリは、記念すべき学校の友達第一号を、ゲットしたのだった。
まあ、相手がシュリをどう思ってるかどうかは少し微妙ではあったが。
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