第百四十八話 女の子を慰めるって難しい?
リリシュエーラを追って奥の部屋へ行くと、そこは彼女の私室だったようだ。
一足先に部屋に入ったリリシュエーラは、自分のベッドに体を投げ出して突っ伏している。
シュリは部屋の入り口に立って、さてどうしようかなぁと首を傾げてしばし考えを纏めてから、一つ頷いてベッドへと近づいた。
そして、ベッドによじよじとよじ登ると、リリシュエーラの頭のそばにうつ伏せになって、腕の中に隠れた彼女の顔をのぞき込む。
「リリシュエーラ?」
そっと呼びかけてみるが、彼女からは返答も反応も返ってこない。
泣き声も聞こえないから、泣いているというわけではなさそうだが。
「リリシュエーラ。元気出して??」
手を伸ばし、ぽんぽんと彼女の頭を優しく叩く。
だが、やっぱり反応が返ってこなくて困った顔をしていると、彼女がその顔を少しだけ横に向けた。
「……リリお姉さん」
「ん?」
「リリお姉さんって呼ばないのね」
「あ~……そっちの呼ばれ方の方が良かった?」
「別に。どっちでも。だけどシュリ、猫、かぶってたのね?」
指摘されて苦笑する。
確かにその通りだった。猫を被っていた。まあ、初めて会う人に対しての、シュリの防衛本能の様なものなのだが。
けど、猫を被っていたのは確かで、さっきまでのシュリより、今のシュリの方が素に近いのも確かだった。
「うん。猫、被ってた。でもさ、仕方ないよ。リリシュエーラとは、今日初めてあったんだし」
「ま、そうよね」
シュリの素直な言葉に、リリシュエーラがクスリとかすかな笑みを浮かべる。
それを見たシュリも、少しだけほっとしたように口元を緩め、彼女の頭に乗せたままだった手のひらを滑らせて、手触りのいい蜂蜜色の髪を優しく撫でた。
「えっとさ、僕の精霊がごめんね?」
撫でながらシュリが謝ると、リリシュエーラは小さく首を横に振る。
「ううん。あの水の精霊の言ったことは間違っていないもの。私の考えが、ただ甘かっただけ。私の方こそごめんなさい。逃げ出したりして。なんだか、自分の考えのなさとか甘えとかを突きつけられた気がして、恥ずかしくなっちゃったの」
「そっか」
シュリはただ頷く。リリシュエーラの頭を撫でる手は止めないままに。
そんなシュリを、リリシュエーラは顔の傾きを深くしてじぃっと見つめる。
「……シュリは、エルジャバーノみたいにきれいな顔だけど、エルジャバーノよりずっと優しいわね」
「そう?おじー様は優しいと思うけどなぁ」
ふわりと淡く微笑んだリリシュエーラに、思いもかけなかった言葉をかけられ、シュリはちょっぴり首を傾げる。
自分に甘すぎるくらい甘い、若々しい祖父の顔を思い出しながら。
「そうね。エルジャバーノも優しいところはあるわ。でも、彼の優しさはすごく気まぐれなの。昔は特にそうだった」
昔を思い出すように目を細め、リリシュエーラはクスリと笑う。
「ね、シュリ。私ってわがままよね。それに世間知らずで見栄っ張りで甘ったれなところもある」
「あ~。それはちょっと言い過ぎだとは思うけど、そう言う部分もあるかなって思うよ」
リリシュエーラの問いかけに、シュリはあえて正直に答えた。
優しくて甘いだけの言葉で慰めることはいくらでも出来る。だが、今の彼女は正直な言葉を求めていると感じたから。
「昔はね?昔の私はもう少し素直な女の子だったのよ?世間知らずで甘ったれだったけど、今ほどわがままじゃ無かったとは思うわ」
「うん」
「小さい頃から精霊に関することで里の人間に負けたことは無かった。小さな里の中のことだから、みんなから神童だの天才だのと誉められて育ったけど、その割には素直な子供だったと思うの。おまえなら上級精霊と契約出来るような精霊使いになれるかもしれないと、そう言われ続けるうちに、それはいつの間にか私自身の目標にもなっていた。でね、ある日おじい様が言ったのよ。里の中で一番優秀な者に教育を任せたって。それで私の先生になったのがエルジャバーノだったの」
「へえ。おじー様、優秀だったんだ?」
「そうよ?知識も技術も力も、エルジャバーノが里の中では一番だった。おじい様につれられてやってきた彼は凄く不機嫌そうだった。きっと無理矢理引き受けさせられたんだと思うわ。おじい様、今ではあんなだけど、昔はもう少し強引なところもあったから。最初はなんてイヤな感じの人だろうって思ったわ。文句なしにきれいな男の人だとは思ったけど」
「そ、そうなんだ?」
「でもね?エルジャバーノは感じの悪い人だけどとりあえず真面目に精霊使いとしての基礎を叩き込んでくれたわ。そうして一緒に時間を過ごすうちに、いつの間にか私はエルジャバーノに恋をしていた。顔がいいだけの、己の能力の高さを鼻にかけた傲慢な男。でも、たまには優しくもしてくれた。今考えると、そんなギャップにやられたのかもしれないわね。彼を好きになってからは、私、それまでよりもっと頑張ったわ。彼に少しでも認めてほしくて。振り向いて、私を見てほしくて」
昔の事を思い出しながら語るリリシュエーラの言葉に、シュリは黙って耳を傾ける。
「だけど、彼にそんな私の思いはまるで届いていなかったのよ。ある日、突然エルジャバーノはいなくなった。いつものように、私の元を訪れて課題を出し、ちょっと出てくるから自習をしていて下さいと言い残して、ごく自然に私の元を去っていったわ。彼にとって、無理矢理押しつけられた私という生徒なんて、何の価値も無かったんでしょうね」
苦笑を浮かべるリリシュエーラの瞳には、数十年過ぎてもまだ癒えない傷ついた光がかすかに見えた。
シュリはなんて言って慰めたらいいんだろうと思いながら、リリシュエーラの頬に手を伸ばす。
「僕のおじー様が、ごめんなさい」
結局出てきたのはそんな無難な言葉だ。本人でも当事者でもなく、当時の状況すら正確に分からないシュリには、そんな事はないなどと、無責任な言葉を選ぶ事が出来なかったから。
シュリの言葉を受け、なんとも申し訳なさそうなその顔を見たリリシュエーラは目を丸くし、それから柔らかく笑った。
「あなたが謝ることないのよ、シュリ。これは私とエルジャバーノの問題だもの。それにね?本当は分かっていたのよ。彼がついた嘘のことくらい。でも、意地になっちゃったのね。彼の言うとおりに戻るまで自習をして、それでいっそのこと死んでやろうかって思ったわ。結局、もうやめてくれって泣いて頼むおじい様に負けて、その意地は引っ込めたけど、別の意地がわき出てきた。いつかエルジャバーノより強くて賢い精霊術師になって、上級精霊と契約して、あの男を悔しがらせてやるんだって。絶対見返してやるって。でも、時折聞こえてくるエルジャバーノの活躍ぶりがあんまり凄くて、それに引き替え、自分のあまりの成長のなさに腹が立って、私はどんどん意地っ張りになっていったってわけ。それで結局、大した成長も出来ないまま、今に至った結果がコレね」
情けないわね、とリリシュエーラが苦笑する。
だが、シュリはそれに頷かずに首を振った。
「そんなことないよ。情けなくなんかない。リリシュエーラがもの凄く努力したってこと、僕には分かるよ」
彼女をまっすぐに見つめ、シュリはきっぱりとそう言った。
リリシュエーラは不思議そうに、怪訝そうに首を傾げる。
「どうして?今日会ったばかりでしょう?私達。なんでシュリは、そんな風に言い切れるの?私が、努力をしたって」
問いかける彼女に、シュリはだってさ、と笑いかける。
「みんなが僕の耳元でささやくんだよ?リリは頑張ってる。リリは凄い。リリは優しい。リリを虐めるなら承知しないってね。リリシュエーラはこの辺りの小さな精霊達にすごく愛されてるんだね。みんな、リリシュエーラが大好きで仕方がないって言ってる。それって、凄いことだと、僕は思うな」
言いながら、シュリは再びリリシュエーラの頭を撫でた。
「僕には確かに四人の精霊がいる。でも、リリシュエーラは僕よりももっとたくさんの精霊から愛されてるんだ。これは、胸を張っていいことだよ?それに、上級精霊との契約だってまだ諦める必要はないじゃないか。今のリリシュエーラには無理でも、これから先、長い時間をかけて成長していけばいつか、リリシュエーラを好きだって言ってくれる上級精霊が現れるかもしれないだろ?それこそ、ここにいるちっちゃい子達の中から、それは現れるかもしれない。諦めないで頑張れるなら、可能性は無くなりはしないんだよ?」
だから、頑張ろう?、シュリが頭を撫でながら微笑むと、不意にリリシュエーラの目から涙がこぼれた。
それを見てぎょっとしたシュリが、
「え?え?な、何で泣くの??えっと、リリシュエーラ?僕、何かひどいこと……」
うろたえた声をあげると、リリシュエーラは指先で己の涙を拭い、微笑みながらシュリの体に手を伸ばした。
「ちがうわ、シュリ。シュリが優しいから、つい涙がこぼれちゃったのよ。エルジャバーノの孫がこんなに優しい子だなんて、本当にびっくりね。彼の孫で、四人の精霊持ちの五歳児なんて、どれだけ傲慢で鼻持ちならない子供が出てくるかと思ったら、シュリはこんなに優しくて可愛くて、ほんと、予想外な事だらけだわ」
自分の体をずりずりと移動させつつシュリを抱き寄せ、リリシュエーラは嬉しそうにシュリの頬へ己の頬をすり寄せる。
「初恋が実らなくて正解ね。エルジャバーノなんかよりも、シュリの方がずっといいもの」
そんな不穏な言葉が聞こえた気がして、
「えっと?いま、なんて??」
と聞き返したが、返事は返ってこない。
なんでだろ?と内心首を傾げつつ、すぐ近くにある彼女の顔を伺えば、彼女が幸せそうな表情で目を閉じて、寝息を立てているのが分かった。
(こ、このタイミングで、なぜ寝る!?)
と思うが、どうやらウソ寝ではなくホン寝のようだ。
仕方ないから、腕の中から抜け出して精霊達のいる部屋に戻ろうかと思ったが、彼女の腕は思いの外がっちりシュリを抱き抱えていて、どうにも抜け出せそうに無かった。
無理矢理抜け出そうとすれば、せっかく眠ったリリシュエーラを起こしてしまいそうだとシュリは早々に諦めて、精霊達へ思念を送る。
今日はこのまま寝ちゃうから、みんなも適当に戻っておいで、と。
その言葉を待っていたとばかりにシュリの体へ戻ってくる気配を四つ数えた後、シュリもまた目を閉じた。
今日は結局夕ご飯を食べ損ねてしまった。
おなかは空いているが仕方がない。明日の朝ご飯に期待しようと思いつつ、シュリは空腹を抱えたまま、なんとか眠る努力をするのだった。
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