第百四十話 精霊の愛し子③
「シュリ。心の中で、精霊に出てきてほしいとお願いしてご覧なさい。あなたの声は聞こえているはずですから」
エルジャの言葉に頷き、もう姿も見えるし話もできるから出てきてほしいと念じてみる。
すると、その言葉を待っていましたとばかりに、精霊の刻印があるシュリの四肢がまばゆい光を放った。
そのあまりのまぶしさに思わず目を細め、次の瞬間には目の前に4人の女の人の姿があった。
にこにこと、嬉しそうに笑う彼女達を見上げ、
「僕の名前はシュリナスカ・ルバーノ。シュリって呼んで?それで、お姉さん達は誰が誰?」
小首を傾げて問いかけた。
彼女達の名前だけはもちろん知っている。
だが、ステータス画面の字面でしか知らないので、どれが誰の名前なのかは分からないのだ。
まあ、何となく彼女達それぞれのカラーから推測できそうな気がしないでもないが。
「シュリ……良い名前ですわ。私は水の精霊のアリアンディ。呼び方は貴方のお好みのままに」
「じゃあ、アリアって呼ぶよ。アリアは僕と契約したい?」
「ええ。勝手に契約を結ぼうとしたことを、許していただけるのでしたら」
「それは、別にいいんだけどね。神様とかは、もっと好き勝手してたりするし。でもさ、アリアはそれでいいの?」
「それでって?」
「僕、まだこんな子供だし。もっと大人の素敵な主が見つかるかもよ??」
こんなところで手を打たなくても良いと思うけどと、逆に心配をされて、アリアは胸が熱くなるのを感じた。
精霊と共に生きる資格を十二分に備える存在でも、精霊を道具のように考えている者や、むやみやたらと崇め称えるような者がが多い中、目の前の幼い少年は、アリアを対等の存在として心から心配してくれていた。
そのことがなんだかとても、嬉しかったのだ。
アリアは自然と地面へ膝を落とし、シュリの小さな手を取って微笑んで、
「シュリ。私にとって貴方以上の主などいませんわ。私と契約していただけますかしら?」
心からの願いを告げた。
「アリアが良いなら、僕は構わないけど」
「シュリも、よく検討して下さいね?私は十分強いつもりですけれども、もしかしたらこの先、私より強い精霊が現れるかもしれませんわ。もちろん、そうなったら、そちらの精霊を選んでいただいても構わないのですけれど……」
「アリア」
「はっ、はい」
「僕は一度この人と決めた人を放り出すような事はしないよ。アリアだって、僕のためにもっと強くなる努力をしてくれるでしょう?」
「も、もちろんですわ!」
「だったら僕は、他の水の精霊じゃなくてアリアに、僕の側にいてほしいな。僕と、精霊契約をしてくれる?」
「なんてもったいないお言葉……もちろんですわ。私でよろしければ、ずっと貴方のお側に」
「ありがと、アリア。それで、どうやったら本契約になるのかな??」
「私の付けた刻印にもう一度触れさせて頂いて、改めて誓いの言葉を申し上げます。シュリはそれに対して、ただ、許すと答えていただければ、それで契約は成立するはずですわ」
「ん。分かった。で、アリアの刻印ってどこ?」
「左足首、ですわ」
「左足首かぁ……」
シュリは自分の来ている着ぐるみに目を落とす。
この着ぐるみ、手は出るようになっているが、足を出すには全部脱がないことには難しい。
(それで僕、裸になってたのかぁ……)
そんなことを思いつつ、仕方ないなぁと、さっきエルジャが止めてくれたボタンを再び外していく。
(パンツ、履いてないけど、もう一度見られちゃってるし、まあ、いいよね)
それほどためらう事なく服を脱ぎ捨て、左足首の印に目を落とす。
そこには水の雫を模した刻印が印されていた。
「えっと、アリアの刻印、これ?」
「ええ。では、失礼いたしますわ」
アリアはひざまずいたまま、その刻印にそっと指先を這わせて、熱を含んだまなざしでシュリを見つめた。
「水の精霊、アリアンディが今再び誓いを述べる。我、シュリナスカ・ルバーノを生涯の主とし、病めるときも健やかなる時も、主を愛し、尽くし、従う事を誓う」
「えっと、許す」
シュリがそう答えた瞬間、足首の刻印が再び鮮やかな青い輝きを放った。
それを見つめたアリアが満足そうに微笑む。
「これで、私は貴方のものですわ、シュリ。成約の証といっては何ですが、シュリの魔力を少しだけ分けて欲しいんですけれど?」
「魔力?別にいいけど……どうすればいいの?」
きょとんと問い返すと、アリアはそんなシュリを愛おしそうに見つめ、
「魔力を与えるのに効率がいい方法は粘膜同士の接触ですわね。今、この場でするなら、濃厚なキスがベストだとおもいますわ」
「キス、かぁ」
しかも濃厚な。
シュリはちらりと、後ろにひかえた祖父母を見上げる。
ヴィオラは精霊が全く見えないのか、ちょっと退屈そうにしていたが、エルジャはアリアの言葉をしっかり聞き取ってなんだか苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
結論から言えば、濃厚なキスは可能である。
シュリはこの年で、かなりのキス上級者なのだから。
しかし、祖父母の目の前でそれをするのはどうかと思うのだ。
ちょっと……いや、かなり恥ずかしい。
うーん、と考え込んでいると、それをシュリのためらいととったのか、エルジャが前に進み出てきた。
「水の精霊・アリアンディ、ちょっと良いでしょうか?」
「なにかしら?隠れ里のエルフ・エルジャバーノ」
「おや。わたしのことをご存じでしたか?」
「あの里の中では貴方が一番の使い手ですもの。知ってはいましたわ。まあ、契約を持ちかけるほどの魅力は感じませんでしたけれど」
「それは光栄です。選んで頂けなかったのは残念ですが。シュリの祖父として、一言、よろしいでしょうか?」
「あら、貴方、シュリのおじい様なんですのね。ならいいですわ。シュリに免じて貴方の言葉に耳を傾けてあげますわ」
「ではお言葉に甘えて。別に魔力の譲渡はキスを介さなくても出来るのでは?シュリは幼いですし、別の方法を……」
「あらあら。寡黙の賢者とも呼ばれる貴方が、孫に対してはずいぶんと甘くて過保護なんですのね。私、これでもシュリの年齢を考えて考慮しているんですのよ?」
「はあ……」
五歳の子供にキスを要求しておいて、どこを考慮しているんだと言わんばかりのまなざしを受けて、アリアはくすりと大人な笑みをこぼした。
「粘膜と言えば他にもありますけれど、唇とは別な部分でキスするには、シュリはまだ幼すぎますもの。そっちのキスは、もう少しシュリが大人になるまでちゃんと待つつもりですわ」
正直なところ、今すぐ私の深いところにキスがほしいところですけれど、と片手の指先を己の内ももに這わせつつ、彼女はうっとりとシュリを見つめた。
「しかし……」
「そろそろお黙りなさい、エルジャバーノ。これは私とシュリの問題ですわ。これ以上の口出しはシュリの祖父と言えども無用に願いたいですわね」
言い募ろうとするエルジャの言葉を遮り冷たく睨むと、アリアは再びシュリに甘いまなざしを注ぐ。
これはキスをしないとおさまらなそうだぞ、とシュリは肩をすくめ、
「仕方ないなぁ。いいよ。必要なんだもんね?」
と心持ち顔を上向けてそっと目を閉じた。
彼女の願うキスが出来るように、うっすらと唇の隙間を残したまま。
アリアは妖艶に微笑み、シュリのなめらかな頬へ指を這わせる。
そして、
「では遠慮なく……頂きますわね」
躊躇なくシュリの唇へ己の唇を重ねあわせた。
そして、するりと入り込んできた彼女の舌が、シュリの口の中をねっとりと愛撫する。
(うーん。上手だなぁ。気持ちいい……)
ちょっぴりうっとりしてしまいつつ、そんな事を思う。
正直に言ってしまえば、シュリは結構キスをすることが好きだったりする。
日々、三人の愛の奴隷から、愛が溢れんばかりのキスを受けて育ってきたし、母親であるミフィーや、その他周囲の女性達も積極的な人が多かった。
子供同士のような可愛いキスから、それこそ舌を絡めて愛撫しあう大人のキスまで、キスをしていない日の方が少ないくらいの勢いで、シュリはキスに親しんで育ってきた。
もはや、キスをしない日があると、何となく物足りなく感じてしまうくらいである。
そう言う意味では、欲求不満も少しあったかもしれない。
なぜなら、
(母様と違って、おばー様とはキス、しないしなぁ)
もちろん、ほっぺにちゅーくらいはある。
だが、まだ唇同士の接触はしていない。
まあ、一般的にはそれがふつうの祖母と孫の正しい姿なのだろうが。
だが、そんなちょっぴり欲求不満気味だったシュリにとって、アリアの巧みな大人なキスは、なんだかとても気持ちよかった。
目を閉じたままのシュリの頬が知らず知らずのうちにほんのりと色づいて、シュリは入り込んできたアリアの舌に懸命に応えた。
ちゅ……くちゅ、ちゅ、……
当然の事ながら、二人の舌が絡み合う水音が漏れ聞こえ、エルジャは何とも言えない表情をする。
更に、ヴィオラもなにも見えないものの、何かを感じたのだろう。
気持ちよさそうなシュリの表情を見ながら、
「ちょ、エルジャ?シュリは一体なにをしてるのよ??」
エルジャの服の裾を引っ張って小声で尋ねる。
「……精霊との契約の一環、らしいですけどね」
エルジャは憮然とした表情で答え、まったくもう、と不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「け、契約かぁ。でも、なんだかシュリ、妙に気持ちよさそうなんだけど……」
「……まあ、小さくても男って事なんでしょうねぇ。男に生まれたからには、美女からのキスはやはり嬉しいものでしょうし」
「美女からのキスぅ!?そんなことしてんの!?なんで止めないのようぅ!!」
ばかばかぁ、っと叩かれ、エルジャははふぅとため息を漏らす。
「止めましたよ。でも、止まらなかったんです。ただの魔力の供給の為の粘膜的接触ですよ。諦めなさい」
「えええええ~~~……シュリが気持ちよさそうで、なんか悔しい」
「悔しがってどうするんですか。貴方は、シュリの祖母なんですよ?張り合っても仕方ないでしょう?」
「うううううう~~~……でもぉ」
「でも、じゃありません!!あと三人の精霊との本契約も残ってるんですから、貴方は大人しくしていて下さい」
ぴしゃりと言って、エルジャはヴィオラに背を向けた。
だから、気づくことが出来なかった。
「う~~……シュリってキスが好きなのかなぁ。私だって、キスには自信あるもん。私の方が、もっとシュリを気持ちよくできるんだから……」
ぶつぶつと、そんな危険な発言をこぼすヴィオラの様子に。
ヴィオラは唇を尖らせて、シュリの姿をじっと見つめる。彼女には見えぬ誰かのキスを受けて頬を染めている初々しい少年の姿を。
今のヴィオラを見て、シュリの祖母であると思う者はきっと一人もいない。今の彼女の表情、それはちょっぴり嫉妬混じりの恋する乙女の表情そのものだった。
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