第百三十五話 迷いの森

 さー、この森を抜ければもうすぐよ~、と意気揚々と言い切ったヴィオラの言葉を信じた自分が憎い、とシュリは延々と続く森の小道を見ながら思った。

 歩いても歩いても同じような道が続くからおかしいな~と思い、木に印を付けておいたら案の定、それからその木を何度も見る羽目になった。

 シュリは、自分が木につけた印を見ながら思う。この印見るの、何回目だっただろうか、と。

 少なくとも、もう十回以上は見ている気がした。

 その里まで、グリフォンのシェスタ乗って行っちゃえば話は簡単だろうに、ヴィオラの話では、向かう先の里は隠された場所であり、空から向かうことは出来ないらしい。

 何とも不便な話である。


 もう何度目になるか分からないため息をつき、シュリは腕を組む。

 本当にどうしようか、と思いながら。

 恐らく、この森には魔法がかかっている。

 となると、このままただ歩いていただけでは目的の場所へたどり着けるはずもない。

 たどり着くためには何かをしなければならないのだろうが、その何かが分からないのだからどうしようもないと言うものだ。


 シュリは、食事の後に、ちょっと休憩~と気持ちよさそうに寝息をたてるヴィオラを見つめた。

 本当にこの人はSSダブルエスの冒険者なのだろうかと、ちょっぴり疑問を抱きつつ。

 まあ、強さは問題ない、ような気がするけど。



 (ほんと、これからどうしようかなぁ~)



 と頭をもう一絞りしようと腕を組んで目を閉じた瞬間、なぜか体がふわりと浮いた。



 「う?」



 シュリが首を傾げる間に、小さくて軽い体がドンドン移動を始める。

 なにやら、着ぐるみのクマフードの付け根辺りを咥えられているような気がするが、見えないから確認のしようもない。

 仕方ないからいつもの如く[レーダー]を確認してみた。

 そこに表示された、自分に寄り添っている存在を示す文字。

 それは、クマ、の二文字だった。

 ちなみに性別は♀。

 彼女を示す点はめっちゃグリーンなので、敵意はかけらもないらしい。

 どうやら、考え事をしていたせいもあるが、殺気やら敵意がない相手だからついつい接近を許してしまったようだ。

 状況から察するに。

 どうやらシュリは、子グマと間違えられて母親グマに拉致されてしまったみたいである。



 (でも、まあ……ヴィオラが助けてくれるから平気だよね?)



 そんなことを考えながら、のんきに運ばれているうちに、あっという間にクマの巣穴に着いてしまった。

 あれぇと首を傾げていると、他の子グマが二匹だんごになっているところへ放り込まれる。

 母グマも、子供がいきなり増えて一応驚いたようで、シュリと他の二匹を見比べつつ、首を傾げていた。

 だが、気にしないことにしたようで、子供に乳をあげる為にごろんと横たわり、無防備に腹をさらけ出す。

 他の二匹が母親の母乳に殺到する中、シュリは再び首を傾げた。

 おばー様はどうした、と。



 (まさか……ありそうで怖いけど、おばー様、まじでガチ寝してた??でもさ、冒険者って、寝てても気配とかに反応して目を覚ますもんじゃないのかな……?)



 シュリはそう思うが、ヴィオラの為に一応弁明しておくと、彼女は殺気やら敵意には敏感なのである。しかし、それのない相手にはとことん鈍感なのがヴィオラなのであった。

 故に、殺気も敵意も無かったクマが近づいても、のんきにぐーすか寝てた訳だが。


 シュリは、どでーんと腹を見せてる母グマと、その乳を必死にすっている兄弟グマを見ながら、はーっとため息をつく。

 逃げようとすれば逃げられる。

 だが、シュリを己の子供と思いこんでいる母グマは、再びシュリを追ってくるだろう。

 追ってこないようにするには、気絶させておくしかないのかもしれないが、自分に敵意のない相手を攻撃するのはちょっと気分が悪いしなぁと、シュリはちょっぴり考えた後、決断を下す。


 シュリが居ないことに気がついたヴィオラが探しにくるまで、ちょっとここで休憩してよう、と。


 そうと決めたシュリは、夢中で乳に吸いついている兄弟グマの横にのそのそと入り込んで母グマのお腹の柔らかい毛皮にくっついて目を閉じる。

 すると、流石に疲れていたのか、すぐに眠気はやってきて。シュリは、あっというまに心地よい眠りの中に落ちていった。






 太陽が空のてっぺんを越えて、ちょっと傾き出した頃、お昼寝から気持ちよく目覚めたヴィオラは、愛しい孫が自分の呼びかけに答えないことに気がついて、一気にその顔を青くした。

 大慌てで周囲を確認するが、見て回れる範囲にシュリの姿は無く、パニックになりそうになる頭を深呼吸でどうにか落ち着けて、少し冷静に地面を確かめれば、その辺りを踏み荒らす大きな足跡に気がついた。

 明らかに巨大な獣の足跡を目にして、ヴィオラは更に顔を青くする。

 だが、血の跡はないし、争ったような形跡も見あたらなかった。


 そこで、今のシュリの格好を思い出したヴィオラはある一つの結論に達する。


 今のシュリはそれはもう可愛らしい子グマちゃんの姿をしている。

 恐らくシュリは、その姿を見て勘違いした母グマに、連れ去られたに違いない、と。

 ヴィオラは這い蹲り、クマの巨大な足跡を追うが追いきれず、途方に暮れる。

 匂いで追いかけられるほど鼻がよければ良かったのだが、流石のヴィオラにもそんな能力はない。

 シェスタを呼び出そうかとも思ったが、シェスタも、それほど匂いを追うのが得意というわけでもないのだ。グリフォンの頭部は鳥だから。

 それなら、一度王都に飛んで、ナーザかジャズを引っ張ってこようか……そんな事を考え始めた頃、救いの声が背後から聞こえた。



 「……なにやってるんですか。こんなところで?」



 あきれたようなその声の主は、里人の依頼で森の様子を見に来たエルジャバーノ。

 今回、ヴィオラとシュリがわざわざここを尋ねてきた目的の人、その人だった。



 「えっ、えるじゃぁぁぁ!!!」



 ヴィオラは、涙で潤んだ瞳のまま、エルジャの足下にすがりつく。



 「まったく、あなたは……。いくつになっても進歩がない人ですねぇ。前に、ここを通らないルートを教えて上げたでしょう?」



 忘れたんですか?とくどくどと説教を始めようとしたエルジャだが、ヴィオラの次の台詞で、ぴたりとその行為を止めた。



 「しゅっ、しゅりがぁ、さ、さらわれちゃったのぉぉ~!!!」


 「シュリが、さらわれた?」



 彼の声が零下に凍る。

 その名前はもちろん覚えていた。

 エルジャの愛しい愛しい一人娘のそのまた一人息子の名前。

 まだ会ったことはないが、すでに確かな愛情を感じ始めている孫の身に起きた凶報に、エルジャの瞳がすぅっと細められた。



 「わたしの孫を、よりにもよってわたしの縄張りとも言えるこの森でさらうとは、いい度胸ですね。どこのどいつですか、そのバカは?」


 「く、くま」


 「は?」


 「だ、だからぁ。クマよ、クマ」


 「クマ……どうして、クマがシュリを……。はっ、まさか腹をすかせてシュリを頭からボリボリと食べてしまおうと!?」



 そんな恐ろしい想像に、一気に顔を青くした元夫の頭を、ヴィオラがスパコーンと容赦なくはたく。



 「んな訳ないでしょ!?そうなったら流石にシュリだって抵抗するわよ!!あの子、本当は強いんだし」


 「強いんですか?シュリは?」


 「まあね。そこいらの冒険者が束になってもかなわないくらいには強いんじゃないかしら」


 「ほう、そんなに?流石はわたしの孫です……って、こんな風に落ち着いている場合じゃないでしょう!?」


 「ああ~~~!!!そうだったぁぁぁ!!!」



 ヴィオラが頭を抱える。

 そこで、はたとエルジャは首を傾げた。

 シュリがそんなに強かったなら、なんでクマにさらわれるような事態になったのだろうか、と。

 その事をヴィオラに問えば、シュリはあえて抵抗しなかったのだろうとの答えが返された。

 微妙な顔をするエルジャに、ヴィオラは更に説明を加える。

 シュリはきっと、相手に敵意がなかったから攻撃しなかったのだ、と。



 「敵意がないって、相手はクマでしょう?」


 「ん~、でも、今のシュリも可愛いクマちゃんだし」


 「はい?」


 「えっと、今のシュリはクマの着ぐるみを着てて、もっふもふのそれはもう可愛い子グマちゃん状態なのよ」


 「はあ」


 「だから、お母さんグマが自分の子供と間違えて回収しちゃったんだろうなぁ……って」


 「なるほど。そういう訳ですか。しかし、よくそんな事を許しましたね?あなたが見てたなら、そんなこと、許すはず……」



 言いながら、エルジャは決して自分の目を見ようとせず、明後日の方向に目をそらす元妻の顔を半眼で見つめた。

 そのほっぺたには、さっきまで良く寝ていたせいであろうよだれの跡が白~くついている。



 「……あなた、寝てましたね?」


 「うっ……」


 「小さい子が側にいるのに、なんの警戒もしないでグースカと」


 「シュ、シュリはただの小さい子じゃないし……」


 「それでも、ちゃんと面倒を見て上げるのが大人と言うものでしょう?」


 「う、うっさいわねぇ。私だって、相手が殺気の一つでも放ってればちゃんと起きたわよ!たまたま、相手が殺気を放ってなかったから……」


 「だまらっしゃい。いいわけは聞きません!!まったく、そう言うところも昔からちっとも変わらないんですから。で?シュリはどっちの方向に連れ去られたんですか?」



 問われたヴィオラは、地面を指さしクマの足跡を示す。



 「ここまでは追って来れたんだけど、こっから先はもっと大きな何かの足跡に消されちゃって……」



 ヴィオラに示された足跡をみたエルジャは一つ頷き、



 「なるほど。シュリをつれたクマが通った後に巨人族ジャイアントが通ったようですね」



 これじゃあ、これ以上足跡を追うのは難しそうですねぇと唸る。



 「じゃいあんと?」


 「あなたも巨人族ジャイアントくらい知ってるでしょう?穏やかな性格が災いしてすっかり絶滅危惧の彼らは、ひっそりとこの迷いの森に隠れ住んでいるんです。この森は、ほとんど人が立ち入りませんから。同じ理由で、妖精族フェアリーの集落も、この森のどこかにあるはずですよ」


 「そうなのね。確かにこの森、行っても行っても進んだ感じがしないし、やっかいな場所よねぇ?」



 そんなヴィオラの言葉に、エルジャは深いため息を漏らす。



 「確か、あなた。以前も同じ事を言ってましたよね?そして、わたしは教えたはずです。この森には魔法がかかっているから、わたしに会いに来るときは事前に連絡するように、と。それを面倒くさがったあなたに、裏道すらも教えて上げたはずなんですがね」


 「あ~……そんなことも、あったかも、しれないわね……」



 今そう言われるまですっかりその事実を忘れていたヴィオラは、誤魔化すように笑う。

 エルジャはそんな元妻を呆れたように見て、再び大きなため息を漏らすのだった。



 「もういいです。あなたのトリ頭っぷりを忘れていたわたしがバカだったんです。それより、今は、シュリの行方を探さなくては。クマの足跡を追うのは無理そうですから、他の手段で探すしかないですね。匂いを追うのも難しそうですし、ここは風の乙女シルフを頼ることにしましょう」



 そう言って、エルジャは短い詠唱を唱え、シルフを呼び出す。



 「わたしの声に答えてくれてありがとうございます。早速ですが、この森のどこかにわたしの孫がいるはずなんです。探して場所を教えて貰えませんか?」



 エルジャの周りを取り巻いていた光が了承の意を伝えるように瞬き、飛去っていくのをヴィオラが羨ましそうに見送る。



 「いいなぁ、精霊魔法。私にはどうしても修得出来なかったのよねぇ」


 「まあ、こればっかりは資質がものをいいますからね。ミフィーもあなたの方の資質を強く受け継いだせいか、精霊魔法の適正はありませんでしたし。さて、シュリはどうなんでしょうかねぇ……」



 エルジャは言いながら、シュリを探しに行った風の精霊達の去った方を見つめる。

 彼女達が情報を持ってくるまでは出来ることもなく、二人はお互いの近況をぽつぽつと話しつつ、シルフの帰りをひたすら待つのだった。


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