第百十四話 朝の一幕②
学園へ行く準備のできたフィリアに連れられて、学園長の部屋のある塔へとやってきたシュリは、いきなり入ったら色々差し障りがあるだろうと、きちんとノックして誰かが出てくるのを大人しく待った。
が、中々応答がない。
シュリとフィリアは顔を見合わせて、もう一度、今度はさっきよりも強く、ドアを叩いた。
するとドアの向こうから、なにやらばたばたと騒がしい音が響き、
「……こんな朝っぱらからなに?」
分厚いドア越しにそんな言葉。
一晩ですっかり酒焼けした、ドスの利いた声は、アガサのもの。
だが、擬態はしていないようで、若い声のままだった。
(うーん。このままドアを開けられても色々面倒だなぁ。フィリアはアガサの秘密、知らないわけだし)
そんなことを思い、
「シュリです。フィリア姉様も一緒です」
自分の名前だけでなく、同行者の名前もしっかり告げておいた。
それを聞いたドアの向こうのアガサは一瞬沈黙し、
「シュリとフィリア……?あっ、ああ~、シュリと学園の生徒のフィリアさん!?いっ、今すぐ学園長を呼んでくるからちょっと待ってて!学園長~、シュリと生徒さんが来てますよ~。学園長~」
そんな小芝居をしながら遠ざかる気配。
恐らく、玄関から離れた場所で学園長の上品なおばあさん姿にシフトチェンジしてくるつもりだろう。
「この部屋にいるの、学園長だけじゃないのね。どなたかしら?」
当然の疑問を抱いて首を傾げるフィリアに、
「……秘書の人とか、じゃない?」
一応フォローを入れておく。
「そっか。秘書かぁ。そうよね~。学園長だもの。秘書くらいはいるわよねぇ」
うんうんと頷いて納得するフィリアを見上げながら、ちょっとチョロすぎるんじゃなかろうかと、なんだか彼女の今後が心配になってしまうシュリなのであった。
フィリアとそんな会話をしているうちにあちらの準備も整ったのだろう。
ドアが開いて、上品そうな老婦人が顔を出す。
「シュリ、それからフィリア、でしたね。いらっしゃい。ちょっと中が立て込んでいて立ち話になってしまうのだけれどもいいかしら?」
アガサは、外にいる二人から中が見えないように、ドアの外へ出てくると素早くドアを閉めた。
この様子から察するに、中はかなりの惨状なのだろう。
恐らく、二日酔いに苦しむ半死人達が、あちこちに転がっているに違いない。
「朝早くからすみません。シュリのおばあ様がこちらにいると、シュリから聞いたものですから。このまま私が面倒を見られればいいんですが、私もこれから授業があるので……」
「授業……そうよね。授業は大事だわ、うん。シュリのおばあ様は、その、いることにはいるんですが……」
アガサはちょっと目を泳がせて言葉を濁す。
さすがに、酒の飲ませ過ぎで二日酔いで使い物になりませんとは、生徒に向かって言いにくかった様だ。
そこでシュリは一つ提案をしてみる事にした。
「学園長。僕、お願いがあります」
「お願い、ですか?」
「はい。おばあ様は、きっとまだ、お休みなんですよね?」
「え、ええ。そうね。そうなの。まだ寝てるのよ」
「僕、フィリア姉様の授業を見てみたいです。おばあ様が、起きるまでで構わないですから」
その方が面倒がないでしょ?と言外の意味も込めつつおねだりをする。
アガサはそれは名案だわとでも言うように、顔を輝かせ、
「それはいいですね!すぐに手配しましょう」
そう言いつつ、なにもない空間から紙とペンを取りだして、さらさらっと何かを書き付けると、それをフィリアに押しつけた。
「シュリに授業を見せてあげるように書いてあるので、それを担当教員に渡せば見学の許可が出ます。フィリア、この子の祖母のヴィオラが起きるまで、シュリの事を頼めないでしょうか?ヴィオラが起きたら迎えに行かせますので」
面倒をかけますがと、申し訳なさそうに頼まれて、フィリアはちょっとあわてたように手を振る。
「面倒なんて、そんな!私はシュリと一緒にいられるだけで嬉しいですし、先生の許可がもらえるなら、喜んでシュリと一緒にいます。ですから、シュリのおばあ様には、あわてずゆっくりいらして下さいと、お伝えいただけますか?」
「分かりました。ありがとう、フィリア。もし昼までに迎えが行かないようでしたら、もう一度ここへ来てもらえますか?」
「はい。そうします」
「結構。では、シュリ。お姉さまに迷惑をかけないようにね?」
穏やかな老婦人の仮面をかぶったアガサの皺深い手で頭を撫でられながら、
「わかりました!姉様の言うことを聞いて、お利口にしています」
素直に元気よく答え、にっこりと天使の笑顔を返すのだった。
それを受けたアガサの頬がほわんと赤くなり、瞳の奥が妖しく輝いたが、アガサは何とかわき起こる衝動を押し殺し、フィリアに向かって微笑みかける。
「ではフィリア。授業へ向かいなさい。急がないと遅れますよ」
「はい、学園長。それでは、失礼します」
フィリアも微笑み、丁寧に頭を下げてから、シュリを連れて階段を下っていった。
その背中を見送り、見えなくなってから十分に時間がたってからやっと、
「うわぁ。なに、あの可愛さ。まずいわねぇ。酔った席での気の迷いとかじゃなくて、本当にどうにかなっちゃいそうだわ……」
額に手を当ててそんな風に呟き、赤くなったほっぺたを両手でさする。きっとフィリアがいなかったら、色々とまずい事になっていたに違いないと思いながら。
シュリの魅力の前に、何とか事なきを得てほっと吐息をもらしたとたん、忘れていた二日酔いが戻ってきた。
アガサは盛大に顔をしかめてわずらわしい擬態をとくと、
「でも、さすがに昨日は飲み過ぎたわね~。とりあえず、水のも、水」
苦虫を噛み潰したような顔でそんな言葉をもらしつつ、ゆっくりとドアの向こうへ消えていった。
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