第七十話 守護者はやっぱりあの人①

 その人は今や、警備隊の下っ端兵士達のあこがれの的だった。

 数日前までは、ごく普通の大して目立ちもしない人であったはずなのに、彼女は一体何がきっかけだったのか、みるみるうちに頭角を現した。

 激しくもたゆまぬ努力と、おそらくは元々持ち合わせていた才能にもよって。


 毎日、その日の終わりにはベッドに倒れ込むほどに己をいじめぬき、鍛える姿勢は鬼気迫るものもあった。

 彼女をそこまで駆り立てる理由はなんなのか、同僚達は噂をしたが、皆一様に首を傾げるばかり。

 親しい者も、それほど親しくない者も、はたまた彼女の家族でさえも、その理由にたどり着く者はいなかった。


 彼女が己を鍛え、高みを見つめるその理由。

 それが、ただ一人の赤ん坊にあるなどとは、誰もが想像し得ないことであった。






 その日も早朝から、その姿は兵舎近くの訓練場にあった。

 栗色の髪を一つにまとめ、凛々しい眼差しで剣を振るう。

 だが、その美貌はどちらかと言えば優しげで、垂れ目がちな目元にある泣きぼくろがそこはかとない色気を感じさせ、ストイックに訓練を繰り返す姿は美しくさえあった。


 そんな姿に魅了され、彼女に想いを告げる者はここ数日でかなりの数に上ったが、彼女はそのすべてを柔らかな口調で、だがきっぱりとお断りしていた。

 そんな彼女の態度に、もう想い人がいるに違いないとの噂が流れるも、相手が誰かと言うことはようとして知れなかった。

 彼女に直接尋ねる強者もいたが、そんな質問にも彼女は困ったような笑みを浮かべるだけで、明確な答えを返すことはないのだった。


 早朝の澄んだ空気の中、彼女は真摯な眼差しで繰り返し剣を振るう。

 素振りの後は、剣技の型を一通りなぞり、それから剣や軽鎧を身につけたまま、黙々とランニングを始めた。

 いつもであれば、そのランニングは朝食の時間まで続けられるのだが、その日はいつもと同じようにはいかなかった。

 ランニングの最中、彼女は何かを感じたようにふいに足を止め、剣に手をかけたまま油断なく周囲を見回す。

 かすかな気配と、それに混じる殺気を感じたのだ。



 「私に、何か用かしら?」



 底冷えするような声で、彼女は問う。

 するとその問いに答えるように、一枚の封書が彼女の目の前に落ちてきた。

 そしてそれと同時に、かすかな気配も殺気も、霞のように消えていた。


 警戒を解かぬまま、彼女はその封書を拾い上げ、封を開けるとその中身に目を落とす。

 そこに、誰よりも大切な人の名前を見つけて目を見開き、慌てて内容を読み進めた彼女は、その手紙を怒りにふるえる拳で握りつぶした。


 彼女が握りつぶしたその手紙。そこにはこう書かれていた。

 シュリナスカ・ルバーノは預かった。無事に返して欲しくば、誰にも告げず、一人で助けに来い。この事を誰かに漏らせば、人質の命はないと思えーと。


 彼女は無言のまま駆け出すと、わき目もふらずに隊長の私室へ向かった。

 朝食前のこの時間、彼がまだ隊長室にはいないだろうと判断しての事である。



 「ジャンバルノ隊長!!」



 ノックもせずに飛び込めば、彼女の予測通りに彼はそこに居たのだが、間の悪いことに絶賛お着替え中だった。

 パンツ一丁で着替えのシャツに手を伸ばした姿勢のままジャンバルノは固まり、だがそんな事はお構いなしにカレンはズカズカと室内へ入り込んだ。



 「ひ、人の着替え中に何の用だ!?」



 流石に部下とはいえ妙齢の女性に着替えを見られて恥ずかしかったのか、ジャンバルノが少しうわずった声で問えば、カレンは全く悪びれずに彼を見返した。

 普段の彼女なら、絶対にしないような暴挙だが、今の彼女はせっぱ詰まっていた。

 愛しい相手が誘拐されたのである。一刻の猶予もない。

 当然、ジャンバルノの着替えが終わるまで待つという選択肢などかけらもなく、



 「隊長、今日は休暇をいただきます!!」



 何の前置きもなく己の主張を真っ直ぐに告げた。



 「休暇?休暇届は三日前までだ。そんなわがままは許さん」



 だが、パンいち姿のジャンバルノから即座に却下され、カレンは更に言い募る。



 「腹痛がひどくて、歩けないので勤務は無理です!!」


 「歩けないってなぁ、お前……今、すごい勢いで走って来たろうが。大体、なんの腹痛だ?」



 ジャンバルノが呆れたように問えば、打てば響くようにカレンが答えた。



 「女の月のモノが原因の腹痛であります。今日は特に酷くて、血がドバドバ出て、今にも倒れそうです。なので、なんとしても休暇を!!」



 月のモノという、男には理解不能な単語を出されて、ジャンバルノはかすかに顔を赤らめた。

 対して、カレンはどこまでも真剣な真顔である。

 普段の彼女であれば、恥ずかしくて決して言えないセリフであったが、重ねていうが今は緊急事態であった。

 恥ずかしいなどと、かわいこぶっている場合ではないのである。



 「つ、月のモノか。そ、そうだな。人によっては結構大変だと聞くしな」



 揺れるジャンバルノ。



 「はい!血塗れです。今にも倒れそうです。このまま私が倒れたら、隊長は責任をとって血塗れの私の下半身の処理をして下さるのでしょうか?」



 今がチャンスとばかりに、女慣れしてないが故に純情な警備隊長へ追い打ちをかける。

 ジャンバルノは、彼女の言葉に思わずその光景を想像してしまい、端正な顔を青くした。



 「う……わ、わかった。そう言う事情なら仕方がない。今日は体調不良と言うことで休暇扱いにしておく。早く兵舎に戻って休め」



 そして根負けしたように、ため息混じりの声音で休暇の許可を告げた。

 それを聞いたカレンがぱっと顔を輝かせる。

 どう見ても、具合が悪い様には見えなかったが、これ以上、戦闘とは無縁の血塗れ話を聞くことは耐えられそうになかった。

 ジャンバルノが、さっさと行けとばかりに手を振ると、カレンは勢いよく頭を下げて、



 「ありがとうございます、隊長!!このご恩はいずれ必ず!!!」



 そう言いおいて、来たときと同様ものすごいスピードで部屋を飛び出していった。

 その後ろ姿をジャンバルノは疲れ果てた様な顔で見送る。

 常日頃、なかなか男前だと評判の高い警備隊長は、パンツ一丁の間抜けな姿のまま、しばらく呆然とし、そして思った。

 次からは、女性の腹痛に無闇につっこむのはやめよう、と。

 

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