つめたい夜が明けて
18.再犯は、ひとりでいい
『私』は、そこで鉛筆を止めた。
どれほどの時間が経ったのだろう。カーテンの隙間から光が差している。
足元は書き殴られた紙でいっぱいだった。
その紙を踏んで、床を這い回るのは毛むくじゃらの足。耳に届くのは、すっかりなじみになったあのひそひそ声。
私は、ソレの顔を見ないようにそっと瞼を閉じた。
真っ暗闇の中で、枕もとの携帯が大音量で鳴り響いた。
瞬間、私はかけていた布団を天井まで蹴り上げると、その場に跳ね起きた。全身の毛穴が一斉に開いて、警告を発している。
携帯を掴む前から、何が起きたのか完全に理解していた。
電気をつける暇も惜しみ、服を着替えるのだって、夜の海で溺れるような手つきだ。なかなか腕が袖を通らず、その間中、つけるだけのありったけの悪態をつきづける。
自分で何を言っているのかさえわからないほど興奮して、叫び続けて、気が付いたら、家の庭先でバイクのキーを回していた。
デジタル画面の表示もいつ消したのかわからず、電話先でがなる声もどんな風に応対したのか覚えていない。
最後の瞬間、玄関にまで起きだしてきた母に、二言三言声を掛けたかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
エンジンを全開に吹かすと、タイヤをきしませながら道路に飛び出した。暁に沈んだ夜へと、テールランプを煌々ときらめかし、バイクを走らせる。
風がうなる。かろうじて残っていた習慣で、フルフェイスのヘルメットをかぶっていたようだった。わたしは一瞬の躊躇もなく、本能に任せて、行き先を決める。
あれからというものの、私と彼女は、様々なものと戦ってきた。
疑念、偏見、恐怖、汚染、狂気……。
彼女の努力、健闘ぶりのこと。
その戦いは、他の誰にも分らない。
何が起きたのかは、最初から最後まで全ての経緯を見つめつづけた、私だけが知っている。
黒い糸はますます太く増えていって、白い柔肌を縛り続けていった。
そして、一番最後には。
……地獄のようにのろしを上げて燃える車が待っていた。
黒い森。暁の空には、星一つ見えない。見る見るうちに火の海が闇の奥にまで広がっていく。
たっぷりと油を注がれた金属の塊が燃える時、近づくこともできないほどすさまじい音を立てることを初めて知った。
私とあなたがふたりで罪を犯した、あのお堂の焼け跡。
ここに来たのは、正解だった。
火をつけたところまで、まったくあの夜と同じ。
もう一人が、『お願い』に間に合わなかったことを除くのならば。
あの夜、月に照らされて視界いっぱいに広がっていた田んぼの海は、ことごとく潰されて新しい家になっていた。そこから、たくさんの人が出てきて、私の知らない言葉で騒いでいた。
視線が背中に突き刺さっている。
指から力が抜けていく。私は、ヘルメットを落とした自分を、どこか高いところから黙りこくって見つめていた気がする。
こんなにすぐ近くまで、来たのに。
あれほど、一緒に頑張ろう、と言ったのに。
それは、検討違いの、多くの努力を積み上げた結果、行きついた彼女の運命。
闇の中でも見えるほどの黒々とした煙が、今でも脳裏に焼き付いている。
あなたは、わたしを自分のお気に入りから外すことで、彼らのお気に入りから抜け出したのだ。
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