第69話


「と、いう気持ちもありまして」

 秋も深まった田舎の風景を泳ぐように進む列車の中、六原君はもう一度頷いた。

「いいから、成績劣等者は一人楽しんでないで真面目に勉強しやがれ」

 じゃなきゃ文章化でもしてそれを俺たちにも楽しませろ、と明良が言い、

「あれは他人が言葉にして表現出来るものじゃない、本人じゃないと」

 というか俺は読むのは好きだけど書くのは苦手なので嫌、と六原君が言って、

「来週からまた実力考査始まるし、まぁ適度に三人で勉強しようよ」

 だから明良は数学と英語を教えてくださいお願いします、と俺が笑った。それに対して、実力考査、と呟く六原君の声にはその気の重さがはっきりと出ている。

「教えるー? 俺がー? 面倒臭ぇ。それ、いくら出んの?」

「友達から金取んのかよ。いいよじゃあ一人で……いや六原君と二人でやるから」

「野中さんと足羽さんに声かけよう、ヒロさん」

「あっそれいい。誰かと違って頼もしいし優しいしね、学年ツートップ」

「あいつらは既に谷崎と安達のお抱え教師だ。お前らまで見てる余裕は無ぇよ」

 俺たちも知っている情報を言いながら、明良は鼻で笑った。

 えーじゃあもう仕方ない、と俺は笑う。

「明良で我慢してやるしか無いかぁ。残念だなぁ、ねぇ六原君?」

「黙秘。同意すると俺まで殴られる」

「……それってまた俺明良に殴られてるってこと? 頭の中とはいえお前ってそんな暴力的なやつだったのかよ!」

 あの変な手紙を書いたのが誰かは、結局、今でも分からないままだ。

 本当は、あの手紙は本物で、それが届く前日までは、俺が妄想した『あいつ』ではない『本来の三人目』が居たのかもしれない。もしくは、同級生の中に「結局反応無しだったな、面白くねぇ」なんて考えている悪戯の犯人が居るのかもしれない。そのことを考えた時、どちらであったとしても俺の中にはもやっとした気持ちが燻る。

 だけど、真実がどうだったのかはっきりさせようとは思わなかった。きっとこうだという予想、こうであってほしいという願いに関わらず、現状そうでしかない事実がある。実は過去はこうでしたを知ってしまえば、どうせその時にまたいろいろと悩むことになるんだ。――だったら今の俺は、真実を知らないままでいい。あの手紙のことは、大事なあいつとの思い出と一緒に俺の中にあるだけでいい。

 だって、そうじゃなくても俺達は今で精いっぱいだ。

「実力考査の出題って、ある程度ポイント押さえときゃいい期末と違って教員自身の好みが出るだろ。授業の傾向思い返しつつヤマ張って勉強すんの面倒臭ぇ」

 それぞれがテストについての不安や愚痴を並べ立てる中、舌打ちをしての明良の言葉に思わず驚いて目を見張った。

「え、明良でもテスト勉強とか真面目にやってんの?」

「ただのだらけきったダメダメな男が上位キープ出来るかよ」

 俺はよく知っている。明良はかなり根に持つやつであると。

「だってテストの日が近くなっても余裕そうだし」

「外に向けて俺すごく勉強してますアピールして、おぉ頑張ってるねぇ、なんて風に実際の点に加算されるならいくらでもアピールするけどな」

「鈴掛さん、テスト開始直前までノート読んでた」

 谷崎さんが話しかけてもほぼ無視だった、と、期末テストのことを思い返しているのだろう六原君が付け加えた。

「雑談するほど余裕あるとは羨ましいな、って皮肉だけ返してたかな」

「テスト前のあれ本当鬱陶しい。どう勉強したかとか訊いてくんのマジ面倒臭ぇ」

「えー、だって気になんない? 俺も皆の勉強時間とか内容とか知りたい方だわ」

「他人の様子探ってお前が取るだろう点数に影響あるか? 自分の点上げるために時間使えよ。自分と同じか、それよりヤバそうなやつ見つけて安心してぇのか?」

「それも……まぁあるけど、特にどのあたり勉強したかとか聞いとくと、それあったなって思い出して再確認出来るじゃん。六原君は? テスト直前はどう過ごす派?」

「分からない時の選択肢番号を決めるのと、空欄を埋めるための単語を探す」

「戦う気ゼロか」

「『備えあれば憂いなし』?」

「六原君それはちょっと使いどころ違うと思う」

 再確認するまでもなく、俺たちを取り巻く問題は全然解決していない。

 明良は言葉も態度も粗雑でなんでも二言目には面倒臭いと言い放つ。そのくせ実は変なところで好奇心が強くもあるから、時々無茶無謀な行動に出る。普段はしっかり者に見えるのに、そのせいで怪我をしたり腹を壊したりも普通にする。

 六原君の成績はまだまだ学年のドン底近くで、日常でもしょっちゅうどこか抜けたミスをする。態度と口調に活気が感じられないことから、先生方の一部からはとても扱いにくい生徒として見られている。見えるものについては前述の通りだ。

 そういう俺だって、いつまで経っても自分に自信なんて持てず、周りの凄い人たちを見上げては、自分の到ら無さにヘソを曲げる日々だ。話せる友達は増えたけど大勢の中に居るのはまだ苦手で、その場に五人以上が居ると今でも少し緊張してしまう。

 小学生たちにズバッと指摘をされるまでもなく、俺たちはダメダメだ。

 家族や友達と喧嘩することだって度々あるし、勉強でさっぱりついていけないところもあるし、そろそろ真剣に進路についても考えなくてはいけないだろう。

 だけど、楽しいから。今が楽しいんだから、いいじゃん。

 問題があっても分かんないことがあっても、いいじゃん。問題は問題のままに。分かんないことは分かんないことのままで。宙ぶらりんにぶら下げといて、「いつか」どうにかなった時に、また一生懸命考えようと思う。

 きっと責任感のある誰かからは、いつでも何事にでもきちんと向き合った方がいいと忠告されるだろう。こんな考えのままじゃダメな時はくる、それは俺にもちゃんと分かっているんだから。今はこんなに楽天的な気持ちで居られているのも、それが「まだ」俺たちに許されているからだ。

 ――だけど、そうは言っても。

「その見えるやつっての、カンニングには使えねぇのか?」

「テスト中に生徒の妄想が見えたことは無いかな」

「っていうか堂々とカンニング勧めるなって」

「俺もう誰かのせいで優良生徒じゃなくなったしぃ」

「中間の特別課題受けてる時に赤井先生の妄想は見えたけど」

「えっ? ど、どんな妄想?」

「先生の熱心な補習のおかげで俺が学年トップに返り咲く妄想」

「あぁそりゃ正しく『妄想』だ。『現実』にはならねぇな、少なくとも俺が居る限り」

 こうあるべき、なんてものは決めつけられない。

 こうじゃなくちゃ変だ、なんてものを決めつけたくはない。

 だから普段くらい、その時を心から本当に楽しいと感じられている時くらい、楽しませてやってくださいよ。どうぞ、よろしくお願いします。

「そう言われると悔しい。……勝負だ鈴掛さん。ただしいくつか教科絞って」

「へぇ? こっからの付け焼刃でどうにかなればいいな。どの教科にする?」

「えっ、俺もやる! 俺も頑張るからとりあえず日本史入れてよ」

 現実をよく理解出来てない俺たちでも、自分なりに真面目に生きてるし、本気で悩む時や考え込む時だってあるから。

「なんだ、今の」

 近くに他の乗客が居ないのを良いことにまた騒いでいる中、明良が言った。

「今のって?」

「いやなんか……声、か?」

 きょろきょろその声とやらの元を探すような様子に、俺と六原君が顔を見合わせる。

「聞こえた?」

「なにも」

 静かに首を振った六原君は、それから少し、口の端を上げた。

「鈴掛さんの、奇妙な能力の目覚めですかね」

 そんな言葉に、俺は笑い、明良は眉を寄せた。

「そうかもよ。もしそうだったら、どうする明良?」

「どうもしねぇよ、別に」

 素っ気なく言って、明良はふいと窓の外に視線を逸らした。

 だけど、その顔は笑っている。

「あれだよきっと、困ってる人々のSOSが聞こえてくる能力」

「声なら神託……いわゆるお告げとか」

 調子付く俺の発言に、六原君も乗ってきた。

「誰か聞こえませんかーっていう、どこかの誰かからのテレパシーかも」

「もしくは、いつの間にか耳の中に住みついた3ミリ程度の耳掃除職人の声」

「お前らなぁ。当人置いて盛り上がんなっつの」

「じゃあ当人も考えてみろよ、楽しいよ?」

 だって世界は、知らないことや分からないことだらけだから。

 今月に入って初めて知ったことだけでも、いろいろある。

 飯嶋がちゃっかり夏休みに知り合ったという彼女をゲットしてたこととか、六原君のお母さんが作るシフォンケーキは最高に美味しいとか、最近で一番びっくりしたのは、俺のお父さんは昔、短編小説のコンクールに応募したことがあるというものだ。

 普段の性格からはまったく考えられなかったから、聞いた時には、冗談でしょと目を丸くしてしまった。それに対してお父さんは眉を下げて、そんなに信じられないか、とそれでも笑っていた。応募作である不思議な物語を読んだ今では、信じたけど。

 俺の身近な範囲だけでもこれなんだから、それが広くて深い世界なら尚更だ。いつ、どこで、どう、何が起こってて、これから何が起こるかも分からない。

 雨の代わりに空から飴が降ってくるかもしれない。

 街中に突然大きなダンジョンが出現するかもしれない。

 時空をワープした未来の誰かや過去の生物がやって来るかもしれない。

 鏡や窓に映った自分が、いきなりにっこりと笑いかけてくるかもしれない。

 どこかの壇上に立って、口を結んで畏まっている学者が、今まさにこの瞬間、一介の高校生に過ぎない俺と、まったく同じ『妄想』を繰り広げているかもしれない。

 ――まぁこんなのは全部、本当に起これば「まさか」の話だけど。

 それでも絶対無いと言い切れるかどうかは、分からないから。

 楽しさだけを求めて考えれば、世界の可能性は無限大だ。

「俺までお前らみたいな、変人共の仲間に入れる気か」

「仲間じゃん」

「嫌ですかね」

 俺と俺の友達の畳みかけに、

「嫌じゃないって、答えるのが嫌だわ」

 相変わらず素直じゃない俺の親友は、そう言って笑った。



(了)

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本当と変のはなし 前田 尚 @saki-ta

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