第41話

 ***


「で、どこまで進んでる?」

 夏休み課題。

 そーっと窺うようなその態度は、毎年、声も顔も同じだ。

 食卓を挟んで対面して、俺たちは昼飯を食っていた。それはヒロから受け取った冷麦を湯がいて冷まして氷水にブッ込んだお手軽なもので、昼飯を持参して頂いたその「御礼」に、ヒロにはうちの素麺を同じ束分持ち帰らせることにした。

「化学の写しが少し。あと感想文」

「……終わってるのが?」

「感想文つってんのにそうな訳無ぇだろ」

 残ってんのがだ、と課題の進捗を告げると、ヒロは苦い顔をする。これも毎年同じ。

「なんでそんな速いの」

「面倒だからさっさと終わらせてぇの、って、だから毎年言わせんな」

 俺が麺を湯がく間にヒロに擦らせた生姜をツユに入れる。

「明良の面倒臭がり、これだけでは良い方で現れるよな」

 そう言って冷麦をすすったヒロが、咀嚼の途中で手を動かした。短いフレーズを鳴らす携帯電話をポケットから取り出し、開く。

「メール。一斉送信で明良にも届いてるよ」

 俺の携帯は、自室の畳の上に放置したままだ。

「誰から?」

「沢ヤン。『いま家帰った 今日から3日は家に居マウス 遊びのお誘い受付チュー』、だって。早いな、帰って来ても盆始まりの明日からかと思った」

 寮生であり水泳部に所属している沢ヤンは、先日交わした久々のメールで、夏休みも学校で過ごすと聞いている。

 見せろと仕草で伝えると、ヒロは素直に携帯を渡した。

「遠泳中の萩川生の水泳部員が、二人くらい盆前日に溺れ死んだって話あっただろ。慰霊のため活動休止とかなんじゃね、沢ヤンも最近は練習ほとんど海らしいし」

「いつの話? あったっけ?」

「七、八年くらい前か」

 そんな昔のニュースまで覚えてんの、と、ヒロの顔は苦々しい。手の中の携帯を操作しつつ、別にどんなのでも覚えてる訳じゃねぇよ、と言い返した。

「じいさんに、なんで盆は海で泳いじゃいけないのかって話を聞いたすぐ後だったからな。インパクトあったんだ、っよ」

 言葉の最後で、ツユを足していたところのヒロを撮る。

「うわっ! おッ前……えーと、肖像権!」

 相当驚いたらしいヒロのいっぱしの文句に、

「知るか」

 とだけ返して、その写真を添付したメールを作成する。

『ヒロがうち来てるけど 来るか?』

 タイトル欄に『俺は誰だ』と入力し、送信。

 机の上を滑らせるようにして、携帯電話をヒロに返した。

「……勝手な。まぁ、いいけどさぁ」

 俺が送ったメールを確認して、ヒロは溜息を吐いた。取り皿の冷麦を食べるのを再開した俺に、そういえば、と更に携帯を突きながら言う。

「この間、ちょっと六原君にメール出してみたんだけど」

 ほう、面白い。口に物が入ってるため、言葉には出さずに俺は思った。必要に応じてという訳ではなく、思いつきでメールを出したとは。

 やっぱり、六原のこと結構気に入ってたんだな、こいつ。

「返信がさ、謎なんだよね。俺、ひょっとして他人に送っちゃったのかな」

 六原君のアドレス間違えて入れて、と、ヒロは不安そうに言った。

 六原のアドレスは、その日携帯を家に忘れてきたという本人から、赤外線ではなくその場で手書きしたものを手渡されて知った。面倒臭ぇから明日赤外線で良いと断った俺と違い、それを受け取ったヒロが、ぽちぽち打ちこみ登録をしていた光景を覚えている。

「そこまで思うほどのもんだったのか? テンションおかしいとか?」

 俺に対しての返信は、なんもおかしいとこ無かったけどな。むしろ、あぁこいつ六原そのものだわ、というくらいで。

「普段の話し方とかとは似てると思うけど」

 首を傾げつつ、再びヒロが差し出してきた画面を覗き込んで、

『だれ、俺に?』

 そこに表示された短い文面に、俺も首を捻った。

「お前、なんて送ったの」

「え、ひさしぶりとか……ちょっと待って」

 ヒロは箸を置き、今度は自分が送ったメールを見せた。俺が眼を通す限り、文章にも絵文字にも、変なところは見当たらない。

 そんなメールに対して、こんな返信。

 と、いうことは。

「……ヒロ、悲しいこと言っていいか」

「……お前のアドレス登録されてないだけじゃね、って言うんだろ」

 携帯を閉じて置いたヒロに、気付いてたんだな、と笑う。

「そりゃあ、だれ、なんて書かれてたらその可能性考えるよ」

 仲良くなったつもりだったのに、と項垂れるヒロは、ちょっとどころかかなり拗ねているように見える。そりゃそうだ。一方通行の片思いは、恋愛じゃなくたって悲しい。

 食卓中央の冷麦に箸を伸ばしながら、俺は六原へのフォローというより、そうだろうなと思える予想を口にしてやった。

「あいつのことだし、前にお前からきたメール読むだけ読んで、登録忘れてんだろ」

 メール送っといたから帰ったら見てね、と言ったヒロに、ありがとう、と返していた六原の、いつもより少し穏やかに見えた顔を思い出す。あれから考える限り、意志を持って登録しないでいる、ということはないだろう。

「そうかなぁ。だと、いいけど」

「どうしても気になるなら、俺が金曜に訊いといてやるけど?」

「金曜日? ……あぁ、キャンプか」

 盆を過ぎた、金・土・日。

 その三日間は小学校との交流キャンプだ。これまでの夏休みはずっと地元に引きこもっていた俺も、一組担当の初日には久方ぶりの制服を着て学校に出て、小学校に移動した後は、担当している班の子供の世話をしなくてはならない。

 考えるだに気が重い、というか、単純に面倒臭い。

 頭の中で日付を確認したらしいヒロは、いや、と首を振った。

「いいよ、休み明けで。それまで、特に六原君にメールすること無いだろうし」

 自分で訊くわ、と言って、昼飯を再開する。

「あぁそ。っていうか、お前芳口行ったの?」

「え? あー、うん。そう、それでついでにあのクマ公園見てきたんだけど、もうほぼ遊びもん無くなってて、ものっすごい寂しいことになってた」

 笑いながら言うヒロに、クマ公園ではねぇけどな、という突っ込みはしない。

 確かに向かいの眼科のシンボルキャラクターは俺の頭にもよく残っているし、その公園そのものの名前は全然覚えてない。

「それで標本のこと思い出したのか」

 俺の標本箱を嬉しそうに眺めていたヒロに納得する。

 そうそう、と、その時と同じような顔でヒロは頷いた。

「打ち合わせの後に谷崎君たちと小学生の頃の話とかもしたから、なんか最近、あの頃のことよく考えちゃってるんだよな。あの頃の俺はすごい元気だったわー」

 感慨に耽っている幼馴染に、はたしてそうだったか、と俺は笑う。

「引っ込み思案だっただろ。あの頃のお前、どう考えても」

 一瞬だけ言葉に詰まった後、ヒロは、

「いやでも、元気ではあったってば! 明良とかが連れ回すから、元気でないとやってけなかったもん! 引っ込み思案って言ったって今ほどじゃなかったし!」

 勢いづいた声でそう反論してきた。

 薄くなったツユと、皿底に沈んだ玉葱と薬味。それらを、皿を傾け飲み干すようにして片付けながら、いいや違うな、と俺は思う。

 箸を置いて、きっぱりとした口調で言ってやる。

「今のお前の、どこが引っ込み思案だって? 確かに、春くらいまではそれっぽかったけどな。どうやら長年の人見知りも治ったみたいし、ガキの頃のお前より、むしろすげぇ成長してるだろ。ま、よくやったんじゃねぇの、お前にしては」

 本人の言葉から、無理はしていないと信じている。

 けど、かなり頑張りはしたんだろう。いきなりの変化に心配したのは本当だが、ヒロの努力それ自体は、その変化が見え始めた前々から認めている。

「え、だ、誰だお前」

「はぁ?」

「あ、明良が、明良が素直に、俺を褒めるはずがない……」

 信じられないとでもいうような声色を使っているが、ヒロの口端は笑っている。

 たぶん、ただただ恥ずかしがっているのだ、こいつは。

「へーぇ。そういうこと言ってくれるか。じゃ、金輪際言わねぇわ」

 言ってるこっちも、若干恥ずかしかったっつーのに。

「ごめんって、冗談だって」

「素直に評価してやって、誰だお前、なんて言われちゃあなぁ」

「俺褒めて伸びるタイプだから、今後もどんどん言って」

 ヒロがそう笑った瞬間に、卓上に置かれたままの携帯が鳴った。

 さっき沢ヤンへ送ったメールへの返信を見て、俺とヒロは爆笑した。

『お前は鈴掛明良であると断言する! 

 という訳で俺も行きマウス』

 今その言葉はタイミング良過ぎるわ、沢ヤン。

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