**9章**

第40話

 **9**


【鈴掛明良】


『ラグーンジェットって最新刊まで揃ってる?』

『揃ってるよ 読みたいの? 貸す?』

『1巻から全部貸して 

 家の漫画あらかた読み尽くした』

『いいよ持ってく 代わりに星つか貸してよ 

 たしか終わったって言ってたよな』

 時刻はもう0時をとっくに回っていたが、ヒロはまだ起きているらしい。俺が送ったメールへの返信はほとんど間を開けることなく返って来た。

 快く返された了承、しかしその後の文面に思わず眉を寄せて呟く。

「しまったとこだっつーの」

 タイミングが悪い。……俺の。

 先日読み返し終えた『星をつかまえて』というバスケ漫画は、しばらく読むことは無いだろうと一番奥に追いやったところだ。

 八畳和室の俺の部屋には、本棚が無い。

 他の家具や開け閉めする襖の存在を考慮すると、それを配置する場所が作りだせないのだ。そのため、俺の本やら漫画やらはどうなっているかというと、組み立て式の箱やクリアケースに入れて、押し入れの中に保管されている。だから俺が今寝転がっている布団は、日中でもしまわれることなく部屋の隅で畳まれたままになっているのだ。

 もう一度引っ張り出すか……。面倒だが仕方ない、俺が言いだしたことだ。

『了解 いつ来る?』

 枕を抱え込むようにしてうつ伏せになり、送る。

 どうせすぐだろうと思っていた返信は、やはり一分もかからなかった。

『明日10時くらいってどう』

 明日。明日って、明日か? それとも感覚的な方の、明日?

 携帯の右上に出ている時刻表示を見て、確認の文面を打っている最中に、ヒロから訂正が送られてきた。

『間違えた 今日の10時 

 約9時間後の方の10時』

 あぁ、やっぱりか。

 訂正メールの方の返信ボタンで、新しくメールを打ち直す。

 きっと漫画の貸し借りだけじゃなく、その後もヒロは、そのままうちで俺とだらだらと過ごすだろう。互いにその場で借りた漫画を読みだすだろうし、茶の間に移って前回ヒロが来ていた時のようにまたゲームをやってもいい。

 丁度良い。ヒロにも、お中元を減らすのを手伝ってもらうとしよう。

『昼飯は素麺だな』

 鈴掛家の夕飯時に素麺はなかなか出ない。夏の風物詩だろうそれが夕飯に出ると、あまり素麺が好きではない父さんが気落ちするからだ。

 となると自然に、有難いお中元で届く大量の素麺は、昼間家に居る俺が食べることが多くなる。俺のノートパソコンのそばに素麺の食べ方のメモ(変わり種多し)が増えるのも、仕方の無いことである。

『暑い日は素麺が正解 

 ということで、分かりました』

 その返事と片手を上げた絵文字に、消費者ゲット、と、俺は頷いたのだけども。

「だから、昼飯は素麺っつっただろ」

 翌日、ヒロが手渡してきたものを見て、俺は呆れたように言う。

 漫画を詰めた布袋を片手に持ち、通学用のリュックサックを背中に背負い、ヒロは時間通りにやって来た。それまで真夏の屋外に居た身にはさぞかし天国に思えるだろう俺の部屋に入り、文明の利器の素晴らしさを褒め称え、荷物と腰を下ろしたところで、

「あぁそうだ、はい、明良」

 と、ヒロがリュックサックから取り出したのは、この時期よく見る乾麺だった。

 それが入る保存用袋を持ったまま、ヒロは怪訝な顔をする。

「だから、昼飯は素麺……って明良が言ったんだろ?」

 買ってこいってことかと思って持ってきた、これは家にあったやつだけど。

 そんなことを言ってのけるヒロを見て、

「お前さぁ、わざわざ重い荷物持ってきてくれるやつを、昼飯も買ってこいやってパシるほど俺が酷いと思ってんの?」

 思わず、笑いがこみ上げてきた。

 言葉って難しいな。俺の言い方じゃ足りなかったか。……まずい、ツボった。

「しかもお前……これ……、……素麺じゃなくて冷麦じゃねぇか!」

 きょとんとした顔をしていたヒロは、爆笑する俺の指摘で、

「どっ、どっちもおんなじようなもんだろ!」

 と、焦ったように袋を押しつけてきた。俺が、麺の種類を間違えたというミスを笑っているように思えたらしい。

 まだ残る笑いを隠さないまま、まぁそうだ、とそれを受け取る。

「俺も詳しくは知らん。後で違い検索してみようぜ、飲みもん何がいい?」

「何があんの?」

「こないだと同じ。麦茶、サイダー、カルピス。あ、飲めるリンゴ酢ってのが増えたわ」

「いや、リンゴ酢はいい。じゃあカルピスで、出来れば濃いめで」

 はいよ、と、俺は冷麦を持って部屋を出た。


 大きめの盆にグラスと菓子を乗せて戻ると、もう漫画に向かっているだろうと予想をしていたヒロは、両手で持った箱のようなものを眺めていた。

 あれは、あぁ、朝出てきたやつか。

「これ、ちゃんと取ってあったんだ」

 俺の、箱が壊れて捨てちゃったんだよね、とヒロは笑う。

 小学生の時の夏休み工作として、俺とヒロを含めた五人共同で作った昆虫標本。今朝、ヒロが来る前にと押し入れから漫画を引っ張りだしている最中に見つけたものだ。

「ちょっと前に、ちょうど俺もこれのこと思い出したとこでさ。頑張ったよなぁ、俺ら」

 ピン留めされた虫たちを見詰めて、ヒロがしみじみと言った。

 まぁな、と、腰を下ろした俺も同意する。

 当時はまだ存命だった俺のじいさんに教わりながら作ったそれは、全部で六箱というなかなかの大物だ。他に標本を作って来た生徒も居なかったのもあり、休み明けに工作作品展として学校の廊下の台に並べられた中では、欲目無く一番目立っていたと言える。ペットボトルの貯金箱、手描きの全国民話・昔話マップ、オリジナル楽器、牛乳パックで出来た椅子、端切れ布クッションカバー、そんなところにドーンとこれだ。

 返却後は制作メンバーが一箱ずつ好きなものを選んで持ち帰り、余った一箱は欲しがっていた同級生の中で争奪ジャンケンが行われた。

「六箱目って誰が貰ったんだっけか」

「えーと、誰か、男子のはず」

「そりゃそうだろ。欲しがってたの男子ばっかだったし」

 スッゲー、と目を輝かせていたのは主に男子で、女子の中には廊下を通る度に視線を逸らしていた子も居た。田舎暮らしだからといって、誰もが誰も虫を平気な訳ではない。

「わかった、カッちゃんだ。後から沢ヤンに土下座して箱トレードして貰ってた」

 そういうのって慣れとかじゃないんだろな、こいつもミミズ嫌いだし。

 思い出せたことで爽快感を浮かべるヒロを見ながら、俺は思う。

「それで、明良覚えてる? 芳口までセミ採りに行ったの」

「あー、あれだろ。クマの眼医者のとこの公園」

 標本箱を置いたヒロの言葉に、頷く。

「目当てのモンが見つからないからって不機嫌になったお前らが、明良このクマから考えた嘘吐いたんじゃないのー、わざわざ列車乗って来たのにー、って散々俺を責めてきやがったことなら、よく覚えてる」

「……そんなこと言ったっけ……?」

「言われた側は忘れねぇんだよこの野郎。あいつらが手伝ってくれなかったら、休み明け後までグチグチ言われそうな勢いだったわ」

「あいつら、……あー!」

 あの日、俺たちを見かけた、芳口に住む別の校区の子供たちが、途中から一緒になってクマゼミ探しを手伝ってくれたのだ。その数は時間が経つにつれてどんどん増えていき、最終的には二十人以上になって山の方まで上がってみた。

「やっぱり、人海戦術が一番だったな」

 ヒロが懐かしそうに眼を細める。

 俺の標本箱に並んでいるセミ、その中にはちゃんとクマゼミも入っている。

「天パのハーフ居たよな」

「あぁ、色黒の子? あ、木から落ちた、あの子は女子だったよな?」

「や、多分俺その場面見てねぇわ」

「そっか。じゃ、カブトムシ三十匹飼ってるって言ってた子は覚えてる?」

「そいつかは分からんが、一人すっげぇ虫に詳しいのは居たな」

「カブトムシとは別の子だけど、そうそう居た居た。他には……ちっちゃい子が道で逸れたり、泣き出しちゃったりしたの、大変だった」

「迷惑、じゃなくてか?」

「文句言うなよ、あの子たちのおかげで捕まえられたんだろー?」

 ぽんぽんと、忘れていた記憶が蘇ってくるのが分かる。

 あの頃の夏休みは、今みたいな過ごし方とはかけ離れた夏休みだった。

 天気が良い日はほとんど毎日、ヒロや、まだ気軽に訪ねられる範囲に住んでいた友人たちを誘って、地元中を走り回っていた。学校で過ごす時のクラスという囲いから解放された休み期間中は、友達の友達は友達理論が効きやすいのか、これまで接したことの無い相手や名前を知らない相手でも、ほとんど遠慮することなく付き合えた。誰それのイトコだとか、川で会った年上年下だとか。

 戻りたいかと言われれば、戻ってみたいと答えられる。

 だけど、今の俺が出来るかと言われれば、出来ないだろうと俺は答える。

 そのことを、寂しくは思えど、悔しくは思わない。俺は、百パーセントとは言い切れなくても、自分の現状にだって結構満足をしているのだ。

 成長するうちに考え方や態度が少しずつでも変わっていくのは人として当たり前だし、出来なくなったことがある分、出来るようになったことだってある。生活が変わって会えなくなった友人も居るが、新天地で知り合えた友人も居る。

「歳の頃合い考えると、もしかして鉾谷生にも居るかもな」

 あの日一緒にクマゼミを探した奴らが。

「二年で芳口住み……それと列車で通って来てんのは六原だけだけど、一年とか三年の中に、車で送られてきてるってのはもしかすっと居るかも」

 つーか実は六原自身があの中に居たりして。……記憶の中にはそれっぽい姿は見当たらないけど。今と性格が変わらないなら、変なやつ、と覚えていてもおかしくない。

 俺のひょいとした思いつきに、しばらく何か考えていたヒロは、

「それいいね、そう考えるの、ちょっと嬉しい」

 と、表情を明るくした。

 そして、もしそういう人が居たら、と続ける。

「なんとなく覚えてて、俺でも、会った日から仲良くなれる気がする」

 互いの漫画の一巻目を手に取って読み始める。

 水上で行われるバトルのページを捲りながら、頭の隅で考えた。

 あの標本箱、捨てるために出しっぱなしにしてたっつーのは、ヒロには言わないままの方がいいんだろうな。

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