Ep.46 十字架と詠唱Ⅱ

 ◆◇◆◇◆




「ロドル! 落ち着いて」


 デファンスは未だに息が絶え絶えのロドルを介抱していた。ロドルに水を飲ませようにも、ロドルは全て吐き出してしまう。脱水症状だ。汗はかくのに水は受け付けない。


「デファンスさま、大丈夫ですから。大丈夫なので、大丈夫ですから!」


 さっきから彼が吐くのは血だ。口の中を切ったから、の理由じゃない。もっと深くに原因がある。


「貴方、内臓を……」


 ロドルのシャツは真っ赤に染まっていた。刺された? でも誰に。それにここは城の中だ。刺客といえど、ここまでの傷を負わせる剣は隠すのが困難だ。誰かは見ているはずだ。


「うぐっ……ハァハァ」


 見るからに苦しそうだ。


「デファンス」


 ロドルは血で汚れた指を地面から離す。


「僕はあいつと約束しました。自分のを繋げる禁術の為に、たっただけ、あいつの命令をどんなことでも聞けば、解放してくれると!」


 ロドルの描いた紋章が真っ赤に輝く。彼の左眼も紅かった。それをデファンスは確かに見たのである。




「僕の名前は――。洗礼名は十字架と詠唱」




 ロドルは振り返ってにこりと笑った。


「覚えておいてください。例え僕が死のうとも、僕が」


 大っ嫌いなこの名前。僕はこの身を縛るこの名が大っ嫌いだ。――僕が原因で君が危険に晒された時、僕のこの名前が君を助ける。僕はどうなったっていい。


 後一年、それが過ぎれば――僕はやっと死ねるから。


「貴方に僕の全てを預けましょう」


 君はなんとなく昔の僕に似ている。


 自分に権力が中途半端にあり、将来自分がどうあるべきかも分かっていた。生まれた時から辿るべき道は決まっていた。周りの者がなにを期待していたのかは気づいていた。なのにそれに目を背け続けて、なのに刃向かおうとは思わなかった。決めるべきことは先延ばしにして、中途半端。


 あの時僕が親を継ぐとも背くともどちらか決めていたのなら、あんなことにはならなかった。


 それ相当の身分にありながら、なんの力も持たない。運命に刃向かう力はなにもない。なのに認めようとはしなかった。違うと言い聞かせて耳を貸さなかった。


 君を見ていると昔の自分を見ているようで――イライラする。僕が君に冷たく当たっていたのは、きっとそんな理由だよ。子どもっぽい幼稚な理由だ。


「代わりに貴方の一年間を僕にください」


 死ぬなら僕はここで今、死にたい――。そう考えてずっと何百年も躊躇った。最後の一年だ。どうなったって構わない。


 死に場所くらい、僕は決めて死ぬ。


「我が真名はジャック・クローチェ=アリア・フェレッティ。契約名はクリムゾン、我が真名に誓いて願う」


 ――これが、僕の契約印に亀裂を作る事になっても――。




 ◆◇◆◇◆




「無理やり繫ぎ止めた。その対価は想像するよりも大きい。千年の約束だとしても、その後に助かるのなら彼は我慢できたのでしょう」


 クローチェはジャックの真顔にゾッとするのを感じたが、すぐに気分を落ち着ける。


「……彼は解放して欲しかったと言ったが、自分をか?」


「いえ」


「違うのか?」


 クローチェはつい驚いた声を上げてしまった。解放、それは自分ではなかったのか。


「自分を解放して欲しい、その理由なら大き過ぎる対価は払わなかったでしょう。彼の自己犠牲主義は相手にも見破られている。彼はある人物を解放して欲しかった。彼にとって自分の全てだと思える人物が他にいたのです」


 結果的にその人物を人質に取られ、彼は地に堕ちた。


「これは警告です」


 ジャックは本のあるページを開いて呪文を唱える。


 紋章が青く輝き、そして更に力を加えると『パリン』という音を立てて崩れ去る。ガラスのようだ。


「何をした?」


「……あの悪魔の例の傷を塞いでいる術式を破壊しました。しばらく悶え死ぬ感覚を味わうでしょうね。もしかしたら俺が想像するのと違う行動を起こしてくれるかもしれません」


 クローチェがジャックの顔を覗きこむと、彼はさっきと全く表情を変えていなかった。つまり真顔だった。




 A.A.1367.10.17

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