Ep.45 名前Ⅲ
「違ったらいいのです、貴方が分かるわけありませんから」
彼はそんなことを言う。早く水を飲まさなければならないのに。
「……ジャック」
彼の耳がピクッと動いた。
「ジャック・フェレッティなら、さっき呟いたわ」
「なぜそれを」
彼の驚いた顔はとてもとても珍しい。
「貴方が言っていた英雄の台座に本当は何が書いてあったのか、推理してみたの。私、どうしてもアルファベットが離れているのが気になって……」
「それだけでなぜ?」
デファンスはさっき考えていたことを全て話した。ジャックとジョーカーの前半部分のこと、偶然見た新聞の記事のこと洗いざらい全部。
デファンスは話し終え、どういうわけでその名前にたどり着いたのかを全て聞くとロドルはふっと表情を緩ませた。
「面倒なことをしてくれましたね」
たった一言だけ。
「え?」
「いえ、こっちの問題です」
ロドルはブツブツと話し始めた。
「なるほど。これは警告ということか」
ゆらりと立ち上がってロドルはまた倒れ込んだ。回復などしていないのに。地面を這いつくばりデファンスの服の裾を引っ張った。まるで何かに縋るように。
「デファンス様、紙をください」
「え? 何を」
「僕と契約しましょう」
ロドルをやっと座らせると彼は口元に垂れた血を拭う。そのついた血で真っ赤に染まった指を紙の切れ端に押し付ける。迷うそぶりを見せることなく六芒星を描く。
「我が名に誓い、我が身に答えよ、我が真名に、我若き信徒なり、我が神名を真紅とし、守護霊を蒼とする」
ロドルはスラスラと紙に紋章を描いていく。全て血で描かれた紋様は不気味に光る。
「デファンス様」
咳き込むと喀血した。ロドルはしきりに腹を抑え、霞んでいく視界にどうにか耐えながらこれだけは言わなければならないと覚悟する。
「僕は」
ロドルはずっと隠していたことを語り始める。
「生まれた時、魔族として生を受けたわけではありませんでした。でも、人間でもありませんでした。僕は公爵に生まれながら、十四年間を孤児として過ごした。その理由はとても単純です。僕はただバケモノとして生まれたから弾かれた、たったそれだけです」
ロドルは文字を書き続ける。自分が生まれた時、その時代は普通に使われていた古代字だ。貴族邸で教えてもらった文字である。
「僕は……生まれてきちゃいけなかったんですよ」
ロドルはボソッと呟いた。
「僕が何者か、と言うと悪魔なんでしょうね。アンデッド、死なない者。僕は人として生まれたのに、バケモノの僕を変えてくれたあの人に恩返しもできないで死ぬなんて、せめて、僕が死んだ後も、僕はあの人に身も何もかも捧げると誓ったのに、僕は、僕は、こんなにも生き永らえてしまって、僕な一体なんなんだろうと、ずっと考え続けているんです」
後半はしどろもどろだった。息が荒い。息をするのも忘れて、頭の中の言葉を全て吐き出しているような。
目は虚ろで焦点が合わない。
「僕はなんなんでしょう。もう考え続けて可笑しくなってしまって、僕はどうすれば良かったんですかね。あの時に死ねば良かったのかもしれません。僕という存在がなければ、いや、そもそも生まれなければ、僕は――!」
「落ち着いて! ロドル!」
「僕は」
「落ち着いてよ! 私の目を見て、貴方が生まれて悪かったことなんかないわよ! 落ち着いて、深呼吸して、貴方はここにいるじゃないの。悪くない」
ロドルの動きが一瞬止まった。
デファンスは少しほっとして彼の顔を覗き込んだ。ロドルの目はぼおっとして視点が定まっていなかった。
「――僕に何があったのか、何も知らないくせに」
「え……」
ロドルの口から出てきたのはそんな言葉だった。
「デファンス様はとても綺麗な身の上をしていらっしゃいますよ。僕はずっと軽蔑していた。僕がどんなに陰でどんなことをしても、貴方は知らない。だから僕は貴方に何も言わなかった。リアヴァレトは何度もカポデリスの進撃に遭っている。それをゼーレさえも知らない。僕がずっと払っているからです。僕が各国の王に接触して、そういう事態になったら逸らす。それが――どういうことか分かりますか」
ロドルはふと笑った。
いや、いつものにこりとした笑顔ではない。狂った嫌な笑い方。顔をぐちゃぐちゃにして、泣き顔か笑い顔なのか分からない顔で。
「僕はずっとずっとずっとずっと、貴方が羨ましかったのかもしれません」
ロドルはボソッと呟いた。
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