Ep.38 永い、永い、夜は明けてⅢ
「……何を見ているの」
クローチェの手に新聞があることに気づいたロドルは新聞を凝視しながら聞く。
急に目が厳しくなった気がする。
「えっ……あぁ」
断る間も無くクローチェはロドルに記事を見せた。
熱心にそれを見るこの少年悪魔を前に、エクソシストたちは何も言えなかった。ロドルはやけに熱心に見ている。
「女王陛下が行方不明ねぇ、大変だね。君達のトップが居なくなったんだ」
どこか他人事のような。そりゃ悪魔の彼にとっては人間の政治など意味の無いものだろう。
「お前なぁ。他人事のように言うなよ」
関係ないかも知れないけれど、その言葉をつい飲み込んでしまったのは彼の寂しそうな目が自分を覗き込んでいたからだ。その眼は妙に寂しく、声は落ち着いていた。
「僕はこの人が嫌いだ。嫌いになってしまった。どうして人は変わるんだろう」
クローチェは黙ってしまった。
ロドルはそれを見て目を伏せる。
「ごめんよ。少し放っておいてくれ」
これ以上言っても無駄だと思ったのか、ロドルは踵を返してこの場を去ろうとした。
「ちょっと待てよ。何か知っているんじゃないのか?」
クローチェがそういうとロドルはくるりと振り返った。確信は何もない。この少年がただの少年ならこんなことは聞かなかっただろう。だが、こいつは悪魔で俺たちにとっては敵だった。それにこの事件、裏に何かある。
クローチェがこのタイミングでエルンストを本部に行かせたのには訳があった。前からロドルの調査書を出しているのに音沙汰がない件について、隠れて探りを入れてくることを頼んだのだ。
『この男は重大な歴史を握っている可能性がある。以後調査は必要無い』この命令を――誰が下しているのか。
答えは女王の権限で調査が滞っているということ。
「僕が知っていたとして、どうするつもりか? 証拠は何もない」
さっきなぜ、彼は――陛下とつけたのか。
「……あるべきものがない」
ここの文面には一つ書いてあった。
「『床には血痕、だが、遺体は無く』この文面を読んでお前はどう思う?」
その上ここには大量出血だろうと書かれていた。そんな出血多量の人物が自力で動けばどこかに痕跡は残る。
「……殺した誰かが移動させたんじゃないのか?」
「引きずった跡はなかったとある」
「なら、偽装かもしれない。死んだと見せかけて行方を眩ませた、その解釈の方が理にかなっている」
あくまでしらを通そうとする。本当にしらないのかもしれないと思い始めてきたが後には引けない。
「……足跡さえもなかった。誰かがいたにせよ、いなかったにせよ、偽造なら本人の足跡がドアに出ていかなければ変だ。誰かがいたのならこの出血量からして刺殺。返り血を浴びているだろうからその者の足跡が無ければ変だ」
刺殺、その単語を強調した。
「……刺殺ね。それで僕だというんなら言いがかりもいいところだ。第一、僕は彼女の知り合いでもない。知り合いじゃないものをなぜ殺そうと思うんだ?」
人間ならこう言うのが普通だ。普通知り合いでもない者を殺そうとは思わないだろう。
だが、こいつは悪魔なのだ。
「もし女王を殺せと命じられたら、お前は迷わず殺るだろう。お前は自主的には殺らないが、一度依頼されればなんでもする。それが売りだろう?」
教会の一人のエクソシストを殺せとは悪魔の依頼としては薄い。だから、あの教会襲撃の時彼は刺したとしても殺してはいないと確信していた。本人に相当の恨みがない限り、知名度が無ければ悪魔に魂を売ってでも目的を果たそうとは思わない。
しかし女王とも大物になればどうだろう? 悪魔に対する依頼の対価に十分なりえるんじゃないか。
そんな依頼主が居ればだが。
「凄いね。見てきたような言い草」
関心顔と冷徹な視線。
器用にその二つを同じ顔の上で表現する。
「図星か?」
「……認めようか。でもね、クローチェ」
認めようか、それは白状したと果たして同じ意味だろうか。
「仮に僕が犯人だとする。そしたら不思議なことがある」
ロドルがふいに笑った。なぜか分からない。それが逆に不気味に思える。
「足跡が無い。悪魔は痕跡を残せない。残さないんじゃない、残せない。写真に写らないのはもちろん、人の記憶にも曖昧で十年経ったらみな忘れてしまう」
ロドルはそれを悲しい性のように繰り返す。
「君は僕がいた痕跡をどう証明する」
「……!」
「血を踏んだ足跡か?」
答えられなかった。
それはきっと残っていない。
エクソシストという特殊な仕事についている中で、それは基本的な事だ。俺たちは何も『周りに迷惑をかける悪魔』を祓魔しているのではない。悪魔に魂を売った『取り憑かれた人間』を祓って正常に戻すのが仕事。
悪魔の特性なら知っている。
彼が奇特だとしても基本は変わらない。
――悪魔は痕跡を残さない。
なんの痕跡も残さずに依頼をこなし、なんでも叶える。誰かを殺して欲しいという望みすら頼めば必ず叶えてしまう。
そしてその対価として魂を貰う。
「それは答えられない」
クローチェはそう答えた。ロドルは表情を変えず、内心は読めない。何か表情を変えたなら助かったのに。
「依頼主は誰だ」
「それは答えられないよ」
ある程度の返答の予想はしていたが、即答されるとは思わなかった。
「……なぜだ」
思わず聞いてしまった。
ロドルの顔が『当然だろう』と答えていた。
「君が調べた事、確かにそうさ。僕は女王と繋がりがあるんだろうね。嘘だとは言えない。でも、知りすぎたものがどうなるのか――聡明な君なら分かるだろ?」
「なにを」
「それより僕は忙しい。話は後にしてもらおうか。それに、後ろの二人はおいてけぼりだ」
ハッとなって振り返った。後ろにいた部下は訝しげに俺を見ていた。目の端でロドルの冷めた目が見えた気がする。
「……なっ」
そして戻って前を見ると彼の姿はどこにもない。まるで魔法のようだ、というのは少し違う。
彼は確かに悪魔なのだった。
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