追憶――消し去った日々Ⅱ

 その記憶の一番初めは、木の上だった。


 気が付くと自分の身体が引っかかる形で横たわっていた。おもむろに足元に落ちた細長いものを手に取り再び意識を失う。空を見上げると綺麗な満月が浮かんでいた。その月を眺めながら、段々と段々と目の前が真っ暗になっていく。


「大丈夫? 大霊樹の上で何をしているの?」


 しばらく眠っていたのだろう。身体が揺らされている。


「うわぁっ!?」


 僕は驚いてバランスを崩す。


 だが、そこは木の上。自分の顔を覗き込んでいた人影を巻き込み、彼女もろとも地面に向かって落下した。


 ――危ない。


「……っはぁ、はぁっ……」


 僕は咄嗟に魔法を使った。焦っていた、自分でも驚いていた。どうこんな力を使ったのかは思い出せない。何かに縋るような曖昧な感覚を気味の悪いものに感じながら。多分、その時の僕は、混乱していたのだろう。


 なぜ、こんな力が使えるのか――。


 なぜ、この場所にいるのか――。


 なぜ、自分の名前すら思い出せないのか……――。


 その時の僕はを失くしていた。


 自分が何者かも、自分はなんでここにいるのかも、自分がなんで記憶を失くしたのかも、――全て答えが分からない。


 だから、この助けてもらった少女に、


「君はだぁれ?」


 と聞かれても、答えが分からなかったのだ。


「僕は自分の名前が分からない」


 記憶を亡くしている僕に、彼女は何を想ったのだろうか。侮蔑か? それとも同情か。僕がもし逆の立場ならば、おそらく彼女がこの先に取った行動のような事は決してしないだろう。


「だから、……好きに、呼んでいい」


 彼女は目をまんまるにして笑った。


 僕はその顔をこの先ずっと忘れないだろう。




『――! ――、―――』




「ホルド、ホルドでいい? 月の夜に落ちて来たから。堕天使みたいでかっこいいじゃない!」


 そう笑う彼女に、僕はただ驚くばかりだった。


「ホルド、この世界のことも教えてあげるわ。ここはレレスタ・ルトの一部。リアヴァレトという街よ。かの英雄王が治めた大国、カポデリスの自治領となっている広大な土地なの。かつて、英雄王が、この地まで領地を広げたと語り継がれる、とっても歴史があって綺麗な広い街なの」


 そう言って手を大きく広げる彼女。彼女は僕を遠ざけることはしなかった。記憶を亡くしていることをあっさりと受け止め、そしてそれ以上の事情を聞かない。それはとても助かった。


 どうしても、――それ以上を僕は答えられなかった。


「今は夜だから見えないけど、お天道様が上がったら遠くまで見えると思うわ。ホルドも見たいでしょう?」


 そうか、と僕は返して空を見上げる。自分がいた大霊樹とやらは大きく葉を広げ堂々と立っている。その幹は満月を隠す。


 僕は彼女の勢いに乗って、うんと頷いた。


 僕の顔を見た彼女は思い出したように、突然話を切り替える。


 忙しないというか、女の子らしいというか――。


 あれ、僕はなんで「女の子らしい子がこういう子」だということを知っているんだろう?


「ねぇっ! さっきの魔法? ホルドは魔法使いなの?」


 彼女がせがむ。僕はその声ではっと現実に戻される。彼女の質問には答えられない。僕は、それすらも覚えてないのだから。


「ごめん、覚えてない」


 そう言っても彼女はなおも「教えて、教えて!」と催促する。




 ◆◇◆◇◆




「ねぇ、ホルド。これも貴方の?」


 彼女は僕の足元に落ちた剣に手を伸ばした。


 あと十秒遅かったら、彼女はそれに触っていただろう。


「触るなッ!」


 彼女はビクッと身体を震わせ、こちらに目を向ける。


 僕はなんでこんなことを言ったのか分からなかった。自分でも分からない。なぜ――。だが、止めなければならなかった。


 それだけは覚えている。


「……ごめん、それに触ってはいけない。、君でも」


 その時、満月が雲に隠れた。


「僕の身体に戻るのに君が触っていたら戻れないから」


 心臓に掌を当てると、その剣はきらきらとした光の粒子となり、僕の身体に吸い込まれるように消えていった。呆気にとられる彼女。僕もなにが起こったのかは分からない。


 が、――これだけは覚えていた。


 剣は自分の中に吸い込まれる。身体が重くなる。


「ふう……」


 驚いた瞳で見つめる彼女。


 なぜこんなことが出来るのか分からない僕。


 説明のしようはない。


 沈黙が空間を支配する。辺りはしんと静まり返る。


 どうすればいいんだろう。


 記憶がない。答えないことは、逃げにも取られそうだ。


 しかし、僕が今まで何をしていたのかも、どんな名前だったのかも、どんな性格だったのかも、やはり何もかも覚えていない。


 どう説明したらいいのだろう。


 ――まぁいいか。


 どうせ彼女とはここですれ違ったばかりの初対面。これからどこに行けばいいのか。それだけは不安だが、不思議と、のたれ死ぬ気はしないのだ。――なぜなんだろう。


 自分の癖っ毛が風に揺られて頬をくすぐる。


 この真っ黒の髪が昔から嫌いだった。


 今はそれぐらいしか思い出せない。


 歯痒い。なんで癖っ毛とかくだらないことは覚えているのに自分の名前、この不思議な出来事、剣のことはスッポリと抜けているのか。なんで何も覚えていないんだろう。


 僕は、一体何をしでかしたのだろう――。


 どうしてここにいるのだろう――。


 なぜ……――。


「うっ」


 頭で考えるほどの余裕が、僕にないことを忘れていた。


 僕は立ったままふらつき、地面に倒れてしまう。そのまま意識は薄らぎ、そして、消えてしまう。

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