第6章

追憶――消し去った日々Ⅰ

『この戦争は何年続いているんだ?』


 誰かが、ふと聞いた。誰だっただろう。


 昔いた兵士だったかもしれないし、家族だったかもしれない。親しかったかつての友や、幼かった自分の可能性も……。


 そんなことを思いながら、また――。


 僕はこの丘に立っている。もうあの頃の面影なんかちっとも残していないのに。何度もここに来た。僕は毎回、初めて来たように感じて、また記憶を思い出す。――何度来た、何度繰り返した。


 僕は何度ここに来たのだろう。


 傍にあるのは黒く煤けた大樹、少しでも背を預けると折れてしまうかもしれない。それほどに頼りない、僕が好きだった場所。


 彼女と会った場所。僕が何度も会った場所。


 何もない草原にポツリとある高台。


 地面に置いた、猫の姿の自分の身長よりも長い剣と、眼下に広がる戦地を見下ろして、また――。


 自分は、今からこの場所に入らなくてはならない。前のように命令をするためではなく、この戦いを終わらせるために。この地位に堕ちた過去も、何もかも拭い去るために。


 僕を縛る御主人様の命令のままに――。


「僕の名はなのだから」


 そう黒猫は呟いて、自分に魔法をかけた。


 ――姿


 あいつと対峙した時、そいつが苦し紛れにかけたある魔法。


 それのせいで自分の姿はこうなってしまった。


 真っ黒な猫の姿に。


『お前はその姿がお似合いだよ、にゃんにゃん媚びへつらって、可愛い猫ちゃんを演じきればいい』


 ――あいつはそう言っていたっけ。首輪をかけて、散々飼いならして、僕はさぞ都合のいい飼い猫だったんだろう。


 それとも、何人の主人をとっかえひっかえする野良猫か。


「この姿の方がいい」


 魔力は十分だ。


 丘から足を離す。落ちる体を空中で操ってストンと地面に降り立つ。人間達にはさながら天使か神に見えただろう。


 だが、残念だ。


 僕は天使でも神でもなく堕天使。――悪魔だ。


 黒い髪が風に吹かれる。


 紐で後ろ髪を縛り、目を合わせる。


「さぁ、楽しませてくれよ」


 あの時、あの男。クローチェは僕のことをと呼んだ。確かに客観的に見たって、今の僕は外道な悪魔そのものだ。人の命なんて賭け金としか見ていない冷酷残忍な悪魔。


 自分でも反吐が出るね。


 しばらく猫だった体が、久しぶりに振った剣は少し重かった。まぁ、それでもなんとか使えそうだ。


 斬り捨てたものは、バタバタと地面に落ちる。


 魔王であるゼーレより、自分の主人メーアより、もっとずっと長生きしたこの身体。死ねない、この体が死ぬことはない。


「僕は、どうしてこんなことをしてるんだろう」


 気付かれたくなかった。誰にも――。


 抱えてきたものの大きさと重みを誰かに話して、相手がどんな顔をするのかを絶対に見たくなかったから。心配なんてかけさせたくなかったから。例え、話そうかと思う相手がいたとしても、今だと思い、口を開いた途端に奥に潜んでしまう。それは自身の深い底で留める良心があったから。


 それは、自分の心を次第に壊していった。


 魔剣――ゲシュテルン。


 この剣は、赤黒い血を何度吸ったことか。


「もうすぐ、もうすぐ、――僕の願いは叶う、から」


 ――本心を隠し通し始めたのは、いつのことだろう。


 きっと僕は、初めからそうだったんだ、と――。

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