第184話:沈みすぎる、木の葉。❸

ジョギングをする。街の景色が流れる。しかしロゼの頭の中はスキルのことでまだいっぱいであった。


ジェシカには「格好良さ」にこだわりすぎることを戒められていたし、凜には「シンプル」であることを勧められていた。結局、拳撃パンチにせよ蹴撃キックにせよ、安定した状態から放たれない限り、その効果は減衰してしまうのだ。


興行である以上、ある程度「魅せる」工夫は必要だが、それに重きを置き過ぎてはならない。「テコン●ー」が格闘技の中でも最弱であるといわれる所以と同じである。蹴り技、しかも華麗に見えるだけのハイキックに重きを置き過ぎ、最後は選手同士で抱き合って「てちてち」と足を上げてまるでバレエのように蹴り合うという無様な形態に落ちて行ってしまったのだ。(あくまで作者の主観です。)


ふと、目をあげると街中にジムを見つめる。

(オフィス街の真ん中にジム?)

もの珍しそうに全面ガラス張りになった窓を見ると、子どもたちが一心に型の稽古に取り組んでいた。それを指導しているのはブルースであった。

(ここ、ブルースさんのジムなんや。)

子どもの一人がロゼに気づく。

「ああ、老師の『敵』のお姉ちゃんだ〜。」

後ろからいきなりジャージを掴まれロゼは驚いて声をあげる。ロゼは唇に人差し指を当てると

「しー、見てるだけやで。」

と制した。しかし、次から次へと子どもたちがわいてくる。

「ほんとだ、ほんとだ!」

ロゼを捕まえ、ジムの中へと引っ張っていく。

「あかん、ウチ部外者やで。」

子どもたちに手荒な真似もできず、ロゼはなすがままになってしまった。

「おや、これはこれは『迷える子猫ちゃん』。偵察ですか?」

ブルースがにこやかに言った。ロゼはバツが悪そうに笑う。


「いや、偵察は別に係がおんねん。ウチはここがおっちゃんのジムだなんて知らんかっただけやん。」

ブルースは別に怒るわけでもなく、椅子を勧めると稽古を見学していくように誘った。

(そんなつもりはないねんけど……。)

ロゼは折り畳みの椅子に深々と腰掛けると鍛錬の様子をぼうっと眺めていた。

(しかし、同じ型ばかりなんやなあ。)

自分も、ボランティアで子どもたちに稽古をつけていることもあったが、これほど一つの方を愚直に反復しているのは初めて見たのだ。


休憩に入ると、子どもたちは今度はロゼの猫耳に触れようと群がる。

「ホンモノや、ホンマモンの耳やで。あアン、そんな風に触ったら⋯⋯あかんがな。そ、そこは弱いねん。や、やめてんか。」


 モフモフ感を散々味わい尽くされから解放されたロゼは、子どもたちに尋ねてみた。

「なあみんな、こんな『型』ばかりの稽古でつまらんと思わへんの?」

子どもたちは不思議そうに首をふる。

「ちゃんと散打(組み稽古)もやってるよ。それに基礎を制覇したものだけが強くなれる、って老師が言ってるもん。」

それなら組み稽古だけでいいんじゃない、と尋ねると子どもたちはブルースを見る。


「じゃあ、お嬢さん。後半の散打に付き合ってもらえばわかるんじゃないかな?」

ウチ一応『人位』持ちやねん、そういう間も無く子どもたちに道場に引き出されてしまった。


防具をつけられ、相対したのは12歳のエミリーという女の子だった。このクラスの女子ではいちばん強いという。

(瞬殺したらあかんなぁ。なんとか手加減せな⋯⋯)


「ハジメ」

開始の礼のあと、エミリーのミドルキックが出る。女の子にしては力強い蹴りだ。ロゼはそれをいなすと掌底で蹴り足側の肩を打つ。体勢を崩しにかかったが崩れない。

「ほぉぅあーーーーーー。っちゃああー。」

女の子だけに「怪鳥音」も可愛らしい。

エミリーは今度は正拳でせめかかる。ロゼは跳躍しようとして、今は裸足であることに気がついた。

(アカン、重力ブーツやないやん。)

いつもなら重力ブーツで3m跳躍できるが、素足でそれはできない。思わず体勢が崩れかかる。ただ、三半規管は「猫並み」であるため、着地は見事である。その後、エミリーの攻撃を淡々と受け流しているうちに時間となった。



「ヤメ。」

無論、ロゼが手加減しているため、見応えのある内容ではあったが、ロゼとしては納得できないものであった。


「どうだい?子どもたちの言っている意味がわかったかな、miss ロゼマリア。エミリーが容易に崩されなかったのはなぜだと思う?」

ロゼはようやく理解できた。自分が応用だの柔軟だのと呼んでいるのは、「天使グリゴリ」の機能に頼り切っているに過ぎないからのだ。

「体幹や。子どもたちは体幹がしっかりできとるし、きっちり保ってるから崩されへんかったんや。ウチ⋯⋯すっかり忘れとったわ。」


ロゼは思い出していた。幼い頃、最初の師匠であったショーンが最初に教えてくれたのは「丹田」に気を集中させることであった。それは呼吸法の基礎であり、身体の中心をイメージさせるためであった。

「そうだ、ロゼ。考えるな、感じるんだ。」

どこかで聞いたフレーズだ、ロゼはそう思いながらイメージを深める。ブルースの故国の拳法には自然現象や動植物の動きを取り入れた形意拳がおおかった。ロゼが学んだ拳法も水をモチーフにしていたのではなかったか。


「じゃあ、キミの流派の型を子どもたちに見せてくれるかな?」

ブルースに促され、ロゼが道場の真ん中に立つと、子どもたちが車座でその周りに座る。

ロゼが目を瞑る。彼女の脳裏に真っ暗な水面が広がる。そこにひと雫の水が落ちる。同心円が広がって行く。ロゼはゆっくりと息を吸う。

「はっ。」

最初の型は「天の段」。上空から襲う敵の攻撃を受け流してから攻撃する型だ。

(気合の入った良い型だ。)

ブルースは目を細める。

次に「地の段」。正面から襲う敵の攻撃を止め、反撃する型だ。そして「人の段」。背後から襲う敵の攻撃を食い止め反撃する型である。


終えると、子どもたちから拍手が上がる。ロゼは自分の迷いが霧のように晴れて行くのを感じていた。


「おっちゃん、今日はほんまおおきに。明日は120パーセントで行くさかい、覚悟したってや。」

ロゼが頭を下げる。

「敵に塩を贈ったことを後悔させたるからな。」


ブルースが微笑む。

「そのかわり、キミの流派の型を見せてもらったからね。おあいこだよ。」

「しもた。」

子どもたちから笑い声が湧いた。子どもたちとすぐに仲良くなれてしまうのはロゼの特技であろう。


ロゼが宿舎に帰ってくると、夕飯もそこそこにすぐにジムで稽古を始めた。

「そうや、ショーン兄やんに教わったことを思い出すんや。」


明日、対することになるブルース。それは大きな大きな水の渦のようだ。

「考えるな、感じろ。」


 ロゼにとって、自分はその渦に飲み込まれる木の葉のように感じられた。才能と経験と見識を取り揃えた達人にどう立ち向かうべきか。

幾度イメージしても、飲み込まれ、水底へと沈んでいく。

「アカン。」


「ロゼ、どうしたの?」

心配して凜が見に来た。ロゼはさきほどブルースに言われたことや、感じたことを話した。そして何度イメージしても「木の葉」のように渦に呑み込まれてしまう、と訴えた。


「……??」

凜が不思議そうな顔をしたので、

「ウチ、なんかヘンなことゆうた?」

ロゼは少し機嫌を損ねたようにと聞く。すると凜はロゼの頭を撫でる。そして、

「木の葉は沈まないよ。沈んだようにみえるけど、必ず浮き上がるからね⋯⋯ロゼ、明日、ナイトゲームだけど程々にね。」

それだけ言うと戻って行った。


「そ⋯⋯か。木の葉は沈ずんだままで終わらへん。必ず浮き上がるんや。」

ロゼにアイデアがひらめいた。

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