第101話:ひずみすぎる、父娘。❷

お母ちゃんのことを考えるとお腹がいたくて堪らない、と訴えるロゼの頭をショーンは優しく撫でた。

「こいとさん、それはきっと『怒りんぼ』の虫がお腹で暴れているのが原因でっしゃろな。」

ロゼはキョトンとしてショーンを見上げた。

「む⋯⋯虫がおるん?」

「せやで。こいとさん、そんな虫、追い出したいやろか?」

ロゼは頷いた。ショーンはにっこり笑ってロゼの頭を撫でる。ショーンはロゼを立たせた。


 「よろしおすか? こいとさんの『怒りんぼ』の虫はここにいはります。でもその『怒り』はお母様にも、お父様にも他所さんもにぶつけてはあきまへん。それはエネルギーに変えなあきまへんのや。こいとさんさえよければワシがその方法を教えてさしあげまっせ。きっとお腹の痛みも治まりますさかいにな。」


それから、ロゼの拳法修行のようなものが始まった。ショーンが最初に教えたのは呼吸法であった。

「こいとさん。このお臍から指三本分下のあたりが『丹田』や。ここが身体の中心だす。ここに全てのエネルギーを集めるんやで。さあ、したってや。」

ロゼは目を閉じて言われたとおりにしてみる。何度も繰り返していくうちに気分がよくなっていくのを感じた。

「あ、オッチャンほんまやで。なんやお腹が温くなっとん。お腹痛いのホンマに飛んでったわ。」

それからというもの、ロゼはすがるような気持ちでこの『修行』に打ち込んだ。

(この子は小さいのにお母ちゃんを失う、というストレスと闘っていかなあかんのやなあ。)

ショーンはいきなり出来た小さな弟子を愛おしく感じていた。


「オッチャン、次何したらええねん?」

ロゼは毎日のようにピットにいるショーンのもとを訪ねて来るようになった。

「こいとさん、そのオッチャンはやめてもらってもええですか? こう見えてぼく、まだ二十代なもんで。」

ショーンは苦笑した。でもまだ7歳にもなっていないロゼから見れば、無理もないことであった。


「あれからも、9年。そしてショーンの兄やんがいのうなって6年。早いもんやなあ。」

ロゼが呟く。


「準備できたけど。」

そこにドライバーのサミジーナが現れる。

「じゃあ、行きましょう。」


「よう、気張ってな。」

整備スタッフたちに見送られ、キャプテンのマーリン、ドライバーのサミー、そしてパイロットの凜、そしてジェシカとロゼが宇宙船レーサー「AE-86 ミーンマシン」に乗り込んだのだ。

ジェシカのパイロットスーツは銀色に紺色の装飾が施された重力子甲冑、「天使グリゴリ」であった。

「お似合いですよ、『猫夜叉』の復活ですね。」

ウインクするマーリンにジェシカはいやそうに言った。

「その二つ名はやめてください。⋯⋯どちらかというと『黒歴史』みたいなものですから。」


ジョーダンは凜たちを見送ると踵を返してオーナーたちが集う貴賓室へと向かった。

「お義父さん。」

娘婿のノートンが隣の席に座った。

「そろそろエマさんのこと、ちゃんとロゼに話してあげた方が良いのではありませんか?」

ジョーダンはソファに坐り直すと、モニターに目をやりながら言った。

「そうかもしれんな。」


ゼルが説明する。

「今回の予選には20隻がエントリーしていますが、優勝が有力視されているのは先日お遭いしたパット・ペンディング氏の『自在天コンバート・ア・カー』、そしてスラッグ兄弟の『豪放磊落ボールダー・モービル』、そしてサージ・ハートマンの『鬼軍曹アーミー・サープラス・スペシャルでしょう。初戦ですから、最低3位は目指しましょう。」


「いや、勝つよ。」

サミジーナが言う。

「最初から負ける算段で勝てる訳がない。それに、皆が舐めてかかってノーマークだからこそ、勝機がある。」

「それは頼もしい。それで、ゼル、その恰好はなんの真似?」

凜がゼルにツッコむ。ゼルは赤いヘルメットにレース用ゴーグルをつけ、赤いバンダナを首にまいていたのだ。

「え?機体マシンの名前をググれば元ネタなんてすぐにばれるじゃないですか。ひーくくくくくくく。」

ゼルのボケを理解しているのは凜とマーリンだけであった。

(まだあまり笑い方が真似できていないなあ。)


 レースが始まる。第1戦のコースレイアウトは「モンツァ・サーキット」である。長さは約90光秒、長いホームストレートを持つ高速コースである。テクニカルは3つのシケインカーブがあるところか。

 スタート直後、馬力に劣るミーンマシンは最初の直線でトップグループから大きく遅れを取る。ざわめく後部座席にサミジーナは舌打ちした。

「慌てるな、計算のうちだ。」

しかし、ブラックホールの重力の力で、パワーの差はやや軽減される。

宇宙船レーサーのスピードメーターは光速に対するパーセンテージを表して行く。99パーセントまであがれば、あとはコンマ以下の9の文字が増えて行くのである。

ただ、サミジーナのオーダーはアナログメーターだったので、針でそれを示しているのだ。


 宇宙船のクルーは最低3人で行う。一人は「ドライバー」と呼ばれ、主に宇宙船の運航を担当する。そして、二人目は「キャプテン」である。これは宇宙船の兵装を扱い、攻撃やバリアによる防御に当たる。そして、最後の一人は「パイロット」であり、ピットインタイムの格闘戦を任される。


ドライバーとキャプテンは有人格アプリでも可能である、と言うよりは銀河系の大抵の惑星では有人格アプリは一個の人間として人権が認められていることも多い。そして、パイロットは傀儡マリオネットのような外部誘導操作型の兵器でも差し支えないのである。


コースはカーブラックホールの自転を利用して限りなく前方へと「落下」するように設計されており、さらに「空間捻転」技術によって、「カーブ」が設定されている。さながら峠道のダウンヒルのような感覚なのだ。


最初の直線は出場した20機中15位と出遅れたが、周回を重ねる度に順位を上げて行く。コースは飛ぶというよりはチューブ状になっているコースの上を走る、という感覚に近い。これも空間を捻って繋げているのだ。直線はそのチューブを螺旋状にチューブの内側を進んでいくのだが、ところどころに急カーブが配置されており、そこをどう飛ぶかで明暗が別れる。


ミーンマシン」は最初のセッションチェンジのためのピットインまでに順位を7位まで上げていた。ピット前には観客席があり、客でいっぱいであった。

「大健闘やん。」

ロゼは満面の笑みである。

「トリスタン、気をつけて。妨害に備えないと。」

ジェシカに言われて、凜も警備についた。


 その時、ドーン、と音が轟く。遅れて衝撃波がピットを襲った。

「凜、襲撃です。」

ゼルに促されるまでもなく、凜は空前絶後フェイルノートを実装した。

凜を襲撃して来たのは8位の「文武丸バズワゴン」のパイロット、ルーファス・ラフカットであった。

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