むかさね

帰還、厳しき地へ(一)

 その日から、藤世は四方八方に手を尽くした。

 まずは、矢車にふたたび文を出す。布の漂白は、島では染彦たちの領分だ。彼やほかの染彦たちの見識があれば、なにか糸口が見つかるかもしれない。

 島で教わったことを思い出しながら、自分でも試してみようと、臨泉都から黒絹を取り寄せる。いきなり朧の織った布で試しては、失敗する可能性が高い。

 朧の織った黒い絹布は、黒真珠のように深みのある光沢で輝いていた。

 妃が藤世に宛てた文によると、先王のために織られたものらしい。彼が急に身罷り、仕立てられることなく妃に残されたものだという。

 王が難題を言い出したきっかけをつくったのは、実は妃だ。王が頑なに珊瑚を渡すのを拒むので、苛立ってこぼした彼女のことばを、王は拾い上げて藤世に伝えた。それを詫びる妃の文には、臨泉都の染織司――おそらくは印月自身――の意見も添えられていた。

 ――黒絹を白くするには、いままで染織司では行ったことのないわざだが、精練を通常よりもきつくして、繊維が脆弱化するぎりぎりまで煮詰める方法が考えられる。

 それは、初めに藤世の脳裏に浮かんだ方法と同じだった。

 絹は、生糸きいと生機きばたと呼ばれる精練前の状態では、光沢や柔軟性がなく、染色することもできない。黒絹でない絹の場合であれば、灰汁と一緒に煮る、という精錬の工程を経ることで、真っ白になる。しかし、黒絹の場合は黒いままだ。

 灰汁は諸刃の剣だ。精練が過ぎると繊維がもろくなり、糸や布はぼろぼろになる。そのぎりぎりの場所を、探る必要があった。

 藤世は侍女たちを連れて、市場や村を回った。灰をつくるための植物を手に入れるためだ。

 一番手に入りやすいのは麦藁だった。それに加えて、あらゆる木や草を買い、採集した。樅、松、石楠花しゃくなげ、檜、蘭、竜胆、沈丁花、だいおう――……

 ひとつひとつ記録しながら、燃やして灰を取り、屋外の炉で水を加えて煮て、灰汁を漉し取る。火加減は、弱い場合と強い場合を試し、それぞれ時間を記録して黒絹の色合いを確かめる。

 強火で煮た場合は、あっけなく繊維が崩れてしまった。弱火で煮て、さらに翌日も煮続ける。火がつよまってしまった場合は、一旦火を消して冷ます。そうしてようやく、黒が薄れた。

 島にいたころ、米酢でやわらかく保たれていた藤世の手は、灰汁に長時間触れているのと、嶺の厳しい乾燥のせいで血まみれになった。

 焦げ茶色程度にしかならない黒絹の状態に、藤世は眉間に皺を寄せながら神殿の崖上に座り、そこから家々を見下ろしていた。

 手出しをする術を持たない四詩は、心配そうに藤世の手を覗き込んでいる。気づいた侍女たちが強弁して、藤世の手には軟膏が塗られていたが、藤世は手の感覚が鈍りそうな気がして、早くそれを洗い落としたかった。

 眼下の農家では、厠から汲み取った悪臭のする尿を、それぞれ口を布で覆って桶に集めている。

 なにをするのだろう、と藤世が見ていると、農夫たちはそこに原毛を入れて洗っている。

 藤世は跳び上がるように立ち上がった。目をみひらく四詩の前で、おぼつかない足取りで崖に設けられた石段を下り、農夫たちのもとに駆け付ける。

「なにをしているの!?」

 藤世の勢いと、背後にいる雪獅子に驚きながら、農夫のひとりが答えた。

「毛を洗って、精練するんですよ。こうしないと、紡げない」

「……!!」

 藤世は身を震わせると、直後、顔に笑みを広げた。

「それ、分けてちょうだい!」

 羊毛も絹も、動物がつくり出した繊維だ。おそらく、同じ方法を黒絹に試せる。

 そう思った藤世は、礼を厚くするからと、首を傾げる農夫たちに尿を神殿まで運ばせた。神殿のひとびとは悪臭に顔をしかめながら、様子を見に集まってくる。

 彼らの前で、藤世は黒絹を尿に浸して煮始めた。

 火を弱くして、根気よく煮る。ひとびとが見物に飽きていなくなっても、藤世は竈の前に張り付いて、作業を続ける。

 嗅覚が敏感になった四詩は、そばにいることを諦めて、それでも遠くの木に上り、そこから藤世を見ている。

 夕食の支度ができたと、侍女が呼びにくる。

 夕暮れに追いやられるように、藤世は作業をやめた。

 翌日、竈の様子を見ると、わずかに色が薄まっている。

「やった! 四詩、すこしは効果があったみたい!」

 喜んで叫ぶ。四詩は様子を見ようと近づいてくるが、彼女が間近に来る前に、藤世はふらつき、駆け出した四詩が受け止める暇もなく、地面に倒れ込んだ。 

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