Epilogue.誰が為に今がある

「これが、私の知る貴方の記憶です」


 歴表を読み上げる様にして淡々と語られる事柄に、必死で塞いでいた記憶は、堰を切って溢れ出る。思わず口を押さえ体を丸めてしまったのは、忘れてしまっていた仲間への後悔か、はたまた仲間が既に居ない事に対する恐怖からか。きっと溢れ出る感情全てが正しいのだろう。

 眠り忘れていた時間と同じだけの虚脱感と感情の重みが体を潰す。だけど倒れてしまう前に、聞かねばならぬ事がある。


「花音、君は――KY-101。なのか?」


 重力を必死で振り切り仰ぎ見た彼女の姿は、どれひとつを取ってもあの時のAIとは似つかない。体は人そのもので、水を含んだ彼女の私服は、呼吸と共に揺れ動く。濡れた髪も青い瞳も、生物特有の存在感を明確にこちらに伝えくる。

 だが唯一声だけは、その聞き覚えの無いはずの声だけは。何故か愛していた人の面影と、私の弱さと過ち故に封じた声を思い出させた。


「ごめんなさい明人さん。私の勝手な判断で貴方に頂いたユニットから此方に乗り換えて、急ぐあまり個体数も増やしてしまいました」


 頭を下げて謝罪する彼女に、私は思わず腰をあげる。伸ばした手は座っていた位置からではとても届かず。回りに座った彼女の子らは、各々の感情をのせて私の情けない姿を静観する。


「本当はこんなに早く真実をお伝えするつもりでは無かったんです。副作用で記憶が不明瞭な明人さんを見て、貴方が自然に思い出すまではこの環境シェルター内で新しい生活を送って貰うつもりでした」


 彼女は頭を下げたまま言葉続ける。彼らの総意として寄生生物の作用で若返った私を起こしたものの、副作用で記憶の混濁がみらた事。そして私が自力で記憶を取り戻すその時まで、彼らは私が不自由しない生活の駒として働いていてくれたと語ってくれた。


 移民船崩壊の最中。混乱と事故による影響とはいえ、私は共に脱出するはずだった仲間を置き去りに宇宙に投げ出された。

 戻る間も無く不規則な光源を撒き散らし形を変え、船が道連れを逃がすまいとする光景が眼球にこびり付き。あの時私が仲間を呼びに行けば、あの時共に仲間を呼びに行けばと今でも自責の念に囚われる。

 辿り着いたこの星で資材を調達し、壊れた船を直して移民船や他の逃げた脱出者を探すことは数年で可能にはなっていたが、その中に仲間や彼女の姿が無い事を恐れいたのだ。

 結局のところ私は意地汚く生き延びたくて、逃げたくて。長期航行が不可能なのを理由にこの星に引きこもり。自身の弱さから彼女を作り、あまつさえ彼女に全責任を押し付けた。


 だが思い出した今でも、今だからこそ逃げられてはいないのだと痛感する。あの時一緒に脱出する筈だった皆は生きているだろうか? そしてもし逃げ延びていたのなら、結果として見捨てて逃げた私をどう思うのだろうか? そう思われてしまうのならいっそ――

 そしてそれと同じ様な過ちを、私は目の前の彼女にも行ったのだ。


「ごめんなさい。こんな事になってしまうのなら、いっそ最初から真実をお伝えしてご判断を仰ぐべきでした。貴方を起こした時点で、貴方に頂いたご命令は完遂していたのに」


 違う、待ってくれ――そう言葉をかけるよりも先に彼女は次々と謝罪の言葉を並べて懺悔する。些細な不手際や判断の誤り、果ては他の者達の不手際から過去の事まで。近づく私を見ることもせず頭を下げ続ける。


「命令を破って貴方を名前で呼んでごめんなさい。人間みたいな声や体を使ってごめんなさい。嘘ばっかりのこの場所で、貴方を騙していてごめんなさい」


 違うだろう、そうじゃないだろう⁉ お前は私の言いつけを良く守り。私の事を常に考えて行動してくれていたじゃないか。

 謝るのは私の方だ。孤独に耐えられず、自分の弱さを背負わせる為にお前を作ったのにもかかわらず、最後にはお前を拒絶した。人に似せて作ったのに、違和感に負け、生み出した私が拒絶した。

 お前はそれを知らないながらも必死でそうあろうと努力し続けていたのに、私はついぞお前を形式番号以外で呼んだことは無い。それは結局お前をそう見ていなかったのは私自身だと言う事だ。


 それにそんな事はもう数十年以上前に気付いている。意固地になり過ぎて最後まで言葉に出来なかったが、培養槽に入る直前に私はお前に伝えたかったのだ。


 「――でもそれでも、それでも貴方の共に、貴方の横に居たかったんです」





 明人さん。貴方は私の質問にあの様な答えを返したけれど、本当はそれよりもずっと前から、私がどうして作られたのか知っていました。貴方が初めて私に自分の事を語ってくれたその日から、私の興味は人を知り、貴方を知ることでした。

 私が日に日に人を真似る行為を増やすと、貴方はそれに大変喜んで、私はそれが正しい行いだと判断していました。

 ですがそれは間違っていたとあの時思い知らされます。私は誤りを正して元に戻し、貴方から頂いた資料と貴方の記憶をひたすらに読んで・見て。もう一度正しい答えに辿り着こうと必死でした。


 結局それは間に合わず、貴方の最後の命令を受け賜った後も私の課題として残りました。

 命令を遂行する上で私は、作業と見解を広げる為に同じ個体を用意し、自我を持たせ。出来るだけ人に似た環境下での知識を蓄え、貴方がどの様な感情で私を作ったのかを理解する事もできました。

 寂しい、つらい、誰かに傍に居て欲しい。そしてそれは貴方であって欲しい。私の中で制御できないそれが、全力で貴方を目覚めさせる条件を急がせる。

 貴方に覚えたての言葉を伝えたい。貴方に初めての笑顔を見せたい。でもそう思う反面で、今の私は貴方にもう一度拒絶される事を恐れてしまいました。


 貴方が目覚め記憶が混濁していると分かった時。私は安堵し、すぐさま貴方と此処で偽りの日々を過ごすことを思いつきました。この資料を参考に作った小さな籠の中で、あの子達には役者を命じ、貴方の記憶が目覚めないようにと配慮をしてやっと続く素敵な日々。

 けれど思考の中でそれは誤りだと警告が鳴り響きます。日に日に割れる体に嘘をついて、日に日に記憶を取り戻しそうになる貴方を、私は二分された思考で見ている事しか出来なかった。

 そして僅かばかりの均衡は、私が真似て居場所を奪ったあの人の名前を呼ばれた時に崩れ去り。自分で命じた我儘を、自分自身の我儘で崩し壊す事を選んでしまいました。


 ごめんなさい明人さん。ごめんなさいあなた達。貴方の細胞をサンプルに作った人もどきの体では、私は私の感情を抑え制御する事が出来なかった。


「すまない――すまないッ‼」


 やめてください明人さん。貴方が謝る必要なんてどこにもないのに、嘘つきAIの私に謝らないで下さい。

 そしてその顔はもう二度とさせたくないと思っていました。私がこの選択をしたもう一つの理由。培養槽を操作するあの時、初めて自分の意志で顔をそらしたその辛くて苦しそうな表情。

 きっと真実を伝えればその顔をもう一度見てしまうから、貴方に何も思い出して欲しくは無かった筈なのに、私がそれを望んでしまった。


 ごめんなさい不出来なAIで。ごめんなさい我儘な子で。今でもあの時のその顔の理由はわからないけれど、きっと不出来な私のせいでしょう。

 また見たくはなかった。もう見たくはなかった。だけど、それでも貴方の為に選んで選択した私を、もう一度だけ見て欲しかった。

 また拒絶されてしまうかもしれないけれど、どうしても私は貴方の横に居たかった。


「ごめんなさい。貴方にそんな辛い顔をさせてしまってごめんなさい」


「ちがう、違うんだ。私はお前に多くを背負わせすぎたんだ。自分で耐えられないからと、自分で作ったお前に全部背負わせて、最後は必死に背負うお前までも拒絶したんだ。すまない、本当にすまないッ‼ 許してくれぇっ」


 私の我儘で始まった短い日々は、私の為に作った子達に見守られ、私の我儘で終わりを告げます。

 だけどようやく、貴方の隣に立って再会する事が出来ました。ありがとう、明人さん。





「本当に一人で大丈夫なのか?」


 環境シェルターの外。記憶の中の見慣れたこの星の風景が続くその入り口で、師と同じ姿をした彼に声かける。

 真実を伝えらた翌日、本当の意味で目覚めた私は。目覚める条件として提示したその宇宙船の調節を皆に任せ、その様子を二人で窺っていた。


「えぇ大丈夫ですよ博士。もとよりこのシェルター内の管理は私の希望で殆ど一人で行っていましたので」


「その博士と言うのは止めてもらえないか? 私は君を直接作った訳ではないし、なによりその姿で博士と呼ばれるとむず痒くてな」


「はっはっは――大丈夫ですよ星崎君。私の望みはね、この星を本当の意味で素敵な星にすることなんです。だから気にせず皆と共に行って下さい。そしてもしまたここに戻って来る事があれば、今度こそ本当の海でお迎えしましょう」


 とても懐かしいほがらかな笑みを見て、私は若返った体で、似つかわしくない言葉と笑みを返す。


 永く進まなかった私と彼女の針は同時に時を刻み、私は彼女に預けた重荷と選択をもう一度自分で背負い選ぶ事にした。


「みんなー。休憩の用意が出来ましたよー」


 クリスの声に全員が作業を止める。お馴染みの赤い果実を模したお菓子も用意されて唸ったが、そんな私の為にクリスは別のお菓子を私の前に出してくれた。


「おじいちゃん本当に良いの? 私はおじいちゃんと一緒に残っても平気だよ?」


「大丈夫ですよ。良い機会ですから外の世界を沢山見てきなさい。それにクリスも、もっと博士に甘えたいでしょう?」


「うっ――それは、確かにそうだけど……」


 クリスは拗ねた口ぶりでお菓子を食べる。この子に限った話ではないが、花音以外の全員は私が眠りについた後に生まれ、私を知らず人を知らずこの星で生きてきた。そんな彼ら独自で発展した世界に異物である私が混ざる事は、やはり懸念材料としては十分だったらしい。

 多くは様子見という方向で纏まったが、当然ながら私が混じる事に反対意見もあった訳で。その最たるものが未だに敵対心を私に向ける彼なのだが、彼が親である花音を慕っている事もあり、花音が半ば強引に反対意見を抑えつけたのだとか。


「――俺はマザーが心配だから付いて行くだけだ」


「おじさんはぁ、ママが大好きでちゅからねー。その顔も、気に入って貰いたくてぇ、嫌いなの我慢してお願いしたんでちゅもんねー」


「~~ッ‼」


 彼の顔。記憶が正しく戻ったからこそ分かるが、私の顔をベースにしているのだ。ヤマアラシのジレンマに似た矛盾を孕んだ状況で、彼にとってはAIだけで築き上げたこの世界を、今更異物が親の顔して出てくるのが許せなかったのだろう。

 故に彼だけは人としての名前も持たず、あんな離れた場所で暮らしていたのだ。私に対する敵意は当然で、心に未だ傷は残るが今となっては納得ができた。


「私はこうなって良かったわ。これでやっといろんな世界を見て回れるもの」


「私も概ね浅海と同意見だ。まぁどちらかと言えば主体性の無い狭間が、私の意見としては近いのだがな」


「主体性が無いなんて、漆先生は本当に酷いなぁ。僕は皆が楽しそうにしているのを眺めているのが好きなだけですよ」


 花音至上主義の日真理は当然で、橘先生も夢が叶うとこの決定に賛成。彼女と仲の良い漆先生もそれに同調し、皆が行くならと狭間も付いて来る事になった。

 だが予想外にも滝崎だけは未だに煮え切らずといったところで、付いて行くことにしたが未だに顔をしかめていた。


「俺は正直わからん。ただ人が多いからこっちを選んだんだけどよ」


「本当あんたは優柔不断よねー。馬鹿なクセに変に悩み過ぎるのがいけないのよ」


「うっせ、ほっとけ」


 各々思惑は違うのだが、それでも私の旅について来てくれて本当に有り難い。談笑する輪の中で、隣に座る最後の一人に目を向ける。仲間を見て笑みを浮かべるその表情は、私が以前の過ちで拒絶した彼女とは比べ物にならない程に人間的で、自分の子に向けるその振る舞いは、母性すら感じられる。

 そして一度は拒絶し突き放した筈の彼女は、そんな私とこれからも一緒に歩んでくれると誓ってくれたのだ。


「なぁ花音。本当に名前はそのままで良いのか?」


「はい。音咲おとさき 鏡花きょうか――私が明人さんの愛した人をサンプルとして、この姿でいる事に違いはありませんから」


 あの日二人で数十年分の気持ちを分かち合った後、私は昔の過ちと決別する為に彼女に新しい名前を付けてやろうとした。だが自分の作品に愛称等を付ける習慣が無かった私のセンスは壊滅的で、徹夜して考えた二桁を超える彼女の名前は、日真理によって数十秒のうちにゴミ箱へと消えていった。


「――でも、そうですね。もしも、もしもこの先の航行で明人さんが私を別個人として特別な感情を抱いて下さる時が来たのなら。その時は、もっともっと時間をかけて素敵な名前を私に下さい」


 悪戯気味の笑顔で答える彼女と共に、私は目の前に横たわるこれから乗る船を見てこの数日を思い返しふと思う。

 何もないこの場所で始まり終わる日々は、きっと数多ある選択の先にあったもので、こうならなかった未来もあるのだろうと。

 もし私が真実を知ることを望まなければ、もし私があのとき彼女をこう作らなければ。別の誰かとここで共に暮らす未来も、彼らを道具として扱う未来も――そして罰を受ける未来もあったのだろう。


 だが今の私はこれを選んだ。一度はAIである彼女に背負わせ任せて逃げたその選択は、再び彼女の手によって私の下で新たな形となって今を歩む。

 これから始まる無限に続く選択肢の中で、私の選択は彼女と共に選ばれて行くだろう。




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