第6話 恵子のことと三つの共通点

「四年くらい前のこと。そう、前の職場での出来事なの。そこにいた親友の恵子のことよ」

「前の職場?」

「そう」紀子はうなずく。

「ほら、以前、どうして前の会社辞めたのって、香織も聞いてきたじゃない。そのときは私、はぐらかしちゃったけど、その話しをしたいの」

 いや、今、しなくてもいいけど、と思ったが断ることができない。

「親友の恵子とは同期入社。私と香織みたいにとても気が合って、仕事の悩み事を相談しあったり、遊びに行ったりして楽しかったの。うん、ほんとうに楽しかったのに……」

 そう言う紀子は涙声になっている。

「あるとき、同期入社の人たち六人くらいで居酒屋に飲みに行ったの。その後、カラオケに行こうって言いだした人がいて。少し離れた場所ではあったんだけど新しくオープンしたカラオケ屋さんに行くことになったわけ。まあ、居酒屋の店の前から二台のタクシーに三人ずつ分かれて乗って行けばいいよねってことになって、まずは一台目のタクシーに女の子が二人乗って、その同じ車に私も乗り込みかかったんだけど、そのとき……」

 紀子はそう言って右手の人差し指で目がしらを抑えた。


「そのとき?」

「今、出てきたばかりの居酒屋にマフラーを忘れてきたのに気がついて……それで、取りに戻らなきゃならないから、私の代わりに誰か乗って先に行ってていいわよって言ったの。私は二台目のタクシーに乗ればいいわけだし。ね、そうでしょう、そこに車を待たせておく必要もないわけだし」

「まあ、そうよね」

「そうしたら恵子が、それなら私が乗るわって、一台目のタクシーに乗り込んだのよ。私は、じゃあ、後から行くからって恵子に言って、マフラーを取りに戻ったんだけど……」

「まさか」

「そうなのよ、それっきりになっちゃったの。恵子まで死んじゃったのよ」

 私の体が細かく震え始めた。


「また、交通事故よ、こんなことってある? 交差点で信号無視の暴走車とぶつかったの。しかもまた同じようなことが起こったの。恵子以外の二人の子と運転手は助かったのに、恵子だけ即死だったのよ」

「そんなぁ」

「ね、おかしくない? 普通ありえないでしょう? それに、また私の身代わりにでもなるかのように死んでるのよ。あのとき、マフラーを取りに戻らなければ、私の代わりに恵子が乗り込まなければ、死んでいたのは私かもしれないのに」

「………」

「私、もう怖くて、怖くて、どうしてこんなことが何度も起こってしまうの? これはこの先も続いてしまうの? 考えると気が狂いそうになって、そのままその会社で働いている気分になんかなれなくて、辞めてしまったの。わかるでしょう?」

「ええ」

「でもね、転職してから何人かの人に前の会社を辞めた理由を聞かれたけれど、こんなこと話せる? 誰が真剣に聞いてくれる? 変な人だと思われるだけだと思って言う気になんかなれなくて」

 紀子は鞄の中からティッシュを取り出し、涙をおさえた。私は震える体で紀子を見つめる。

 紀子はティッシュをもう一枚引き出し、ていねいに鼻をかみおえると、うるんでいる大きな瞳を私に向け言った。

「それでね、ここからが特に大事なのよ」

 いつも以上に、しっとりと濡れている声だった。

 私は無意識のうちに紀子から少し体を離す。


「親友が次々亡くなった話の中で、じつはまだ香織に言っていないことがひとつだけあるの。そして、それは三人に共通していることなの」

「三人に共通?」

「そう。私、じつは夢を見たの」

「夢? 夢って寝ているときに見る、あの夢のこと?」

「そうなの。私の夢に三人とも出てきているの」

「どういうこと?」

 そう聞きながら、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「淳子ちゃんは遠足前日の夜、出てきたの。なぜだかそれはちゃんと記憶があるのよ。楽しみにしていたせいなのか、私、興奮してなかなか寝付けなかったんだけど、夢の中の私たちは楽しそうに遊んでいるの。そして途中、淳子ちゃんが私のほうを振り向き、安心して、って言うの」

「安心して?」

「そう。朝、目が覚めてからもまったく意味がわからなくて。でも、夢ってだいたいそんなものでしょう。だからいちいち気にするほどでもないなぁと思っていたの」

「………」

「そして、次が真澄ちゃん」

 紀子はきびきび話し続ける。私の膝がさっきよりも強く震えだした。

「やっぱり前日なの。飲んでいた風邪薬と熱のせいで、うとうと昼寝をしていたときに見た夢よ。真澄ちゃんは優しく微笑んでから、確かに私に、心配しないで、って言ったの。目が覚めてから、今のは何だったのだろう、と思ったけれど、なんせ体調が悪かったから、それ以上考えることはなかったわ」

「その次の友達は?」

 そう聞きながら、私は自分の顔が引きつっているのではないかと気になってきた。心臓の音も紀子に聞こえているかもしれない。


「恵子の出来事は、つい最近のことって感じるくらい細かいことまで覚えているわ。夢に出てきたのは、やっぱり前日。何だかごちゃごちゃと人が大勢いるなかで、恵子が私をみつけ、駆け寄ってきてくれたの。あっ恵子じゃない、どうしたの、って思うと同時に私の手を握りしめ、大丈夫、悲しまないで、って言ったの」

「………」

「私、さすがに翌朝起きてから考え込んだわ。この感じ、前にもあったって。何だか嫌な予感がするけれど、でも、まさかねぇ、とも思うし。だいいち、恵子に何をどう話せと言うの?」

 紀子は真面目な顔で話し続ける。

「普通に仕事に行って、その日、退社後にみんなで居酒屋に行ったまではよかったんだけど……マフラーを取りに戻るとき、急に夢のことが思い出されたのよ。私の代わりに恵子がタクシーに乗り込もうとしている姿を見て、ドキッとしたわ。このまま恵子が乗ってもいいのだろうか。大丈夫だろうか。ものすごく嫌な予感がしてきたんだけど、いや、そんなことあるわけないじゃない、私どうかしているわ、って思い直して居酒屋に向かったの。でもね、でも、やっぱり気になってもう一度振り向いたら、ちょうどドアが閉まってタクシーが走りだしたのよ。そのとき、私、恵子と目があったの。恵子ったら私に手を振って、微笑んだの。恵子ったら微笑んだのよ」

 そう言い、紀子はどっと涙を流した。そしてきっぱりと言い切った。

「私、わかったの、確信したの。これは単なる偶然なんかじゃない、理由はわからないけれど、私には特別な力があるのよ。目には見えない妙な力が働いて、友達が自分の命をかけてまで私を守ってくれているの。友達の命を犠牲にして私は生きているんだわ」

 生きているんだわ、のあたり、紀子の声は少し震えていた。


 私はゆっくりと頭を振りながら答える。

「まさか、そんな話、信じられないわ」

「そうよね、普通はそう思うわよね。でも私はやっぱり偶然だなんて思えないの。なんだか怖いし、亡くなった友達にも申し訳なくって。また仲のいい友達ができたらどうしよう、またこんなことが起こったらどうしようって、友達をつくるのさえビクビクしてしまって」

 紀子の話しを聞きながら、私は手のひらが汗ばんでくるのを感じる。

「だからね、そのう……香織が私に親しく話しかけてきてくれたとき、とても嬉しい反面、ドキドキしてしまったのよ。もう、積極的に友達をつくるつもりが無くなっていたから、私、この人と仲良くなってもいいんだろうかって、大丈夫だろうかって」

「………」

「でも、香織との付き合いは楽しくなってくるし、毎日の生活は穏やかに流れていくから、いつしかそのことは考えなくなっていたの。あぁ、もう、それなのに……」

 紀子は声を詰まらせ、両手で顔を覆った。

「それなのに、どうしたのよ、ねえ?」

「また、夢に」

「夢に?」

 私は全身の毛が逆立った。

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