僕の生き方

1-可能性は無限大


僕が小さいときから抱えてきた悩みは、真実がわかることで解決されると思っていた。でも、それは違った。僕が年を重ねるごとに、社会にもまれるほどに、将来を考えれば考えるほどもっと大きな悩みになっていた。きっとそれは僕がそのたった25年を一生懸命生きていたということだと思っている。GIDだとわかって、もちろん今でも僕の中に僕はいる。男の僕が存在する。でも、今は娘の母として生きている。母と言われることにまだ少し抵抗はあるし、母じゃなくて親だという感覚で僕はいる。これからも、僕が僕であることにかわりはない。でも、娘の親であることも変わりはない。


じゃあ、きみは一体なにものなの?


と疑問に思う人は多くいると思う。僕は僕だ。男とか女とかそんなひとくくりではまとめられない、1人のただの人間だ。僕の心は男だ。体は女だ。だから、どちらとしても生きていくんだ。それが僕がこの子を産むと決めたときに決断した人生だ。いつか条件(配偶者がいない、未成年の子がいない、成人しているetc)を満たせば、僕自身の治療をする日がくるかもしれない。それはわからないけど、まだまだ僕の人生には多くの可能性が待っている。一人の親として思ったのは、兄弟がほしいなと。今は二人目もいいなと考えるほどだ。だから、僕の人生はまだまだわからない。でも、自分一人の人生ではないし、これからは僕の生き方が子どもに影響するから慎重に生きていかないといけない。


こんな僕の生き方を知って、反対する人もいると思うし、理解できない。お前はなんなんだという人もいると思う。それは承知の上だ。でも、人に恥じるような生き方はしてない。むしろ、誰よりも必死に生きているつもりだ。いきなり僕の生き方を理解してください。なんて無理なことはわかっている。それに、僕を男として扱うのか女として扱うのか判断を迷う人もいると思う。それが普通だと思う。僕の生き方は特殊だ。


でも、せめてGIDの人の生き方は少しでも理解してくれたいいと思う。たまたま心と体が一致せず生まれただけで、それ以外はみんなとなに一つ変わらない。言動や付き合っている人が外見と一致しないくらいだ。偏見はもたないでほしいというのは無理だろうけど、せめて想像してあげてほしい。その人の心を。どんな人でも相手を思いやったり、気遣うことはできると思う。それだけで、当事者は救われることがある。理解できなくても想像はできる。歩み寄ってくれたら、きっといつか理解できる日がくる。


今、日本ではLGBTが認知されて少しずつ生きやすい世の中を作ろうとしているけど、法整備や自治体が前向きな対応をしても、周りが受け入れないとそんな世の中にはならない。LGBT、それは個性でしかない。性別が一致しなくても、同性が好きでもその人がその人であることにかわりはない。男だから友達でいるわけでも、女だから友達でいるわけでもないはずだ。その人だから友達でいるだけで、それに性別がくっついてくるだけだろう、誕生日や血液型と同じだと思う。

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