サリーン/ディエゴの内縁の妻

 あたしが事務所のディエゴの部屋に行くと、彼は部屋でお酒を飲んでいた。けれど、きっとほとんど飲んでいないのだろう。虚ろにソファに座っている彼の手の杯にはお酒はまだ入っていて、瓶の中はまだ三分の二も減っていない。

「……ディエゴ、窓を開けないの?」

 かつての社長室と違い、今のディエゴの部屋はせまかった。それに部屋の雨戸は閉じられたままだったから、薄暗い部屋で彼の表情が分からない。

「……ん、んああ……。」

 ディエゴは返事をするけれど、あたしに気づいてすらいないみたいだった。

 あたしは雨戸を開けると、コートハンガーに上着をかけてディエゴの隣に座った。

「アリエルがね、前にあなたから誕生日プレゼントをもらったから、自分も何かを贈りたいって言うの。それで、あなたの誕生日がいつか聞いてきたんだけれど、先々週に終わったわよって教えると、“なんで教えてくれなかったの”って怒っちゃって。でも、それでもいいからお返しするって、あの子マフラーを編み始めたの」あたしは笑う。「あなた、まだ春よ? ってあたし言ったんだけど、あの子ったら、今から編めば冬には間に合う、ですって」

「……。」

 ディエゴは口を曲げたけれど、あたしの笑い声にただ反応しただけみたいだった。

「……聞いたわ、アイーシャの事」

 ディエゴがあたしを見る。この時に、ようやくあたしの存在に気づいたみたいに。

「……その……何て言っていいか……。彼女とはお店は違ってほとんど会ったことはないけれど……すごくショックだわ……。」

「……あいつじゃだめだ」

「……“あいつ”って……ロメオのこと?」

「あいつじゃラリアート相手に立ち回れねぇ」

「……でも彼が今のリーダーよ、彼に任せましょう」

「あいつが?」は嘲笑ちょうしょうしたように言った。「ベルトーレの子飼いってだけだ。ただ運良く娘に見初められた、腕っぷしも無けりゃ口も立たねぇ、ただ顔がちょいと良いだけの男じゃねぇか」

「……お友だちでしょ?」

 ディエゴは鼻で笑う。「ダチだよ、兄弟同然に育った奴だ。だがこれはそういう話じゃあねぇ。ビジネスの、しかもやくざ者のビジネスだ。じゃ務まらねぇんだよ」

「でも、彼はあなたと一緒にやってきた」

「一緒にやってきた? 金魚の糞じゃねぇか。俺の言う通りやってきただけだ。俺がもうひとりいれば済む話だったんだがな」

「あなたの言い方は彼に対する敬意に欠いてるわ」

「サリーン、オメェどっちの味方なんだ?」

「そういう意味じゃないわ、あなたが心配なだけよ。これまでが忙しすぎたし、何より敵を作り過ぎてた。これからはロメオに任せた方が良いんじゃないかしら、ベルトーレさんもそう言ってるんでしょ?」

「……あいつじゃアイーシャの仇をとれない」

「彼女を理由にするのはやめて、あなたはまるで喧嘩の理由を探してるみたいだわ」

「オメェは、アイーシャがどうなったか知ってるか? ただの家族想いの楽天家の娘だった。そんなあいつを、どぶ川に捨てやがった奴らがいるんだ」ディエゴは杯をテーブルに叩きつけた。「喉をかっ切った上でな! あいつも俺の身内だった! 俺を信頼してたし俺だって信頼してた! あの娘の髪の毛一本でもぞんざいに扱った奴らを全員地獄に送りてぇくれぇだ! 怒りで気が狂いそうだっていうのに、ロメオの腰抜けみえてぇに、生き方変えて前向きにいきましょうで済む話だと思ってんのか!?」

「アイーシャが身内と言うなら」あたしは言った「あたしや、アリエルだってそうでしょっ?」

「……。」

「こんなこと言うべきじゃないってわかってる……比べるべきじゃないと思うけれど、あなたにはあの子のことを彼女以上に気にかけてほしいの。そのアリエルに、彼女と同じくらいの危険が迫ってることが分からないの?」

「……あの娘のためにもだ。あの子を昼間の往来で安心して歩けるようにするためにも……みすぼらしい生活をさせないためにも、俺はやらなけりゃあいけ──」

「違うわよ、あの子に、アリエルに必要なのは守ってくれる男でも、贅沢させてくれる男でもない、信頼できる男なの」あたしは、まるでディエゴが遠くにいくように感じて、必死で声をかけていた。「女の子には必要なの、たとえどんなに残酷な世界でも、それでもたったひとり信頼できる男の人がいるっていう事実が。それを……それを与えてくれるのが父親というものでしょう?」

「……。」

「あなたには……あの子のそういう存在になってほしいの。……どうしたのディエゴ?」

 ディエゴの顔が青ざめていた。

「……あ、いや……そ、そうか……ああ……そうだ……な」

「……もしかして、嫌なの?」

「そんなんじゃねぇよ……ただ俺みてぇなもんが、そいういう言葉をかけられるとは思わなくってな……。」

「誰にだってそういう機会はめぐってくるわ。それに、あなたが思っている上にあなたはそれにふさわしい人よ……。」

 あたしはディエゴをまっすぐに見つめる。ディエゴは何度か目をそらし、そして何度もあたしの想いに応えようと目を合わせる。

「……分かった」ディエゴから肩の力が抜けたように見えた。「分かった……俺も、ちょいと身のふるまいを考えないとな……。少し、先ばかり……上ばかりを見てた……。」

 あたしはディエゴの後ろに回ると、彼の肩に両手を回した。彼がここにとどまってくれるよう願うように。

「……だいじょうぶよ、三人ならきっとどんな苦しい状況だって耐えられる。あたしたちは世界で一番強いつながりの中にいるんだから」

 ディエゴの背中から感じる鼓動がひどく小さかった。きっと、緊張しているんだろうと思った。

「今は怒りを抑えて……。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る