アイーシャ/キャバレーの踊り子②
「ねぇアイーシャ、最近あんたどうしたの?」
そんな、休みの日も店を早く上がった日もラリアートの所へ行ってるあたしにアルティナが訊ねてきた。
「どうしたって、なにが?」あたしは
「最近、休みの日も働きにいってんじゃないかって言われてるよ? 変なところであんたを見たって」アルティナはドレスを着替えながら言った。
「え? ……それは……人違いじゃない?」
「とぼけないでよ、最近、あんたすごい疲れた顔してるよ?」
「え……そう?」
アルティナは誰も控室に入ってこないことを確認して、気まずそうにあたしに顔を近づける。「……そのさ、何か、うわさでは……
「そんなっ……」そんなわけないって言いたかったけれど、実際それに近いことをやってる。
「ねぇ、ディアゴスティーノさんからの仕事がなくなったからって、そんなにあせって稼ぐ必要あるの?」
さすがに、
「アルティナ……誰にも言わないって約束してくれる?」
「……何かあるの?」
「まず約束してよ」
「まぁ……約束するけど」
あたしは自分のやってることをアルティナに打ち明けた。ディアゴスティーノさんにもう一度リーダーになってほしいという事、そのためにラリアートの所へ出入りしているという事を。
「ちょ、ちょっと、待ってよ、あんた、なんてことしてるの?」アルティナは言った後に、声が大きいことに気づいて出入り口を見た。
「いいじゃんっ、これで前みたいになれば、あたしらまた仕事が増えるんだよ?」
「そうかもしれないけど、あぶないよぉ、
「貴族とか金持ちの所に出入りしてる時も、そんなのなかったしっ」
「……かもしれないけど、相手が相手だからねぇ」
「だぁいじょうぶだって、最近じゃ相手もあたしのこと信頼してきてるし、うっかりボロを出すのも時間の問題だよっ」
「……ねぇアイーシャ、それってそこまでする価値のある事なの? お金のためにそこまでするなんて、やばいよあんた」
「……別に、お金のためだけじゃないし、あたしにだって……その……。」
「……ディアゴスティーノさんにはサリーンがいるでしょ」
「ちょ、なに言ってん……」
「同じ女なんだから、そこらへんは分かるさ」
「……別にいいでしょ、ふり向いてほしいってわけじゃなくって、ただあの人の役に立ちたいだけなんだから……。」
「……あたしには止められないし、止めてもあんたはやるんだろうから何も言いようがないけど、危なさそうになったらすぐに身を引きなよ?」
「もちろんだよ、心配しないでっ。いい情報を
そして、早番だったあたしは、その日の夜もラリアートの所へ行った。いつもどおりに彼の部屋にとおされたんだけれど、入る前、階段を上る頃から変な臭いがただっていた。酸っぱいような渋いような、どんな食べ物とも香水ともちがう匂いだ。
(……なにこれ?)
部屋に入ると、中ではラリアートが
「……こんばんわ、ラリアートさん」
あたしが言うとラリアートは笑顔を向けてきた。ぞっとした、彼が笑顔を向けてきたのははじめてだったし、いくぶんか可愛げはあったけれど、彼の独特の雰囲気から出てくる笑顔は好きになれそうになかった。
「……どうしたの? 今日はやけに上機嫌ね?」
「ん、ああ……そう見えるか?」
「あなたの笑顔、はじめてみるのよ?」
ラリアートは顔をしかめる。けれど、いつもみたいな不機嫌さはなかった。
「とってもチャーミングだわ」
ラリアートはまた笑顔になった。ぜんぜん安心できない笑顔だった。
あたしはいつもどおり、ドレスを脱いで準備をはじめる。けれど、上機嫌なラリアートはその前に自分の横に座るように言った。
「……ねぇ、ほんとうにどうしたの?」あたしはこれまでの会話でつかんだ、彼好みの笑顔を浮かべて隣に座る。
「うん? ふふぅ~」ラリアートは妙な笑い声をあげる。わたしもくすくすと小さな笑い声をあげて、彼の太ももに自分の太ももをくっつくようにする。
「お前は……いい女だな」ラリアートはあたしの髪をひっつかむようになでさする。上機嫌でもここらへんの乱暴さはなおってくれてなかった。
「……ありがとう、うれしい」
あたしが言うと、とつぜんラリアートは口づけをしてきた。舌を強引に入れてくるやつだった。好きでもない男とこういうことはしたくないけれど、言ってる場合じゃない。むしろ、あたしは夢中なふりをして彼の舌に自分の舌をからませた。舌を動かしながらあたしは呼吸を激しくしてみせる。
「ん? ……なに吸ってるの?」
そして気づいた。ラリアートが吸ってるのは煙草じゃない。
ラリアートはあたしから顔を離した。そして、丸テーブルのうえに置いてあった煙管を差し出してくる。
「……やってみろ」
「……なにこれ?」
けれど、ラリアートは煙管を差し出すだけで何も言わない。上機嫌とはいえ、逆らうわけにはいかない。あたしは煙管を手に取ってそれを吸いはじめた。
煙管をひと吸いすると、すぐに体がおかしくなった。体がガクンと重くなったと思ったら、すぐに軽くなってふわふわと浮いた気分になった。頭の中が綿みたいになって、なんだか面白おかしかった。いつもは気持ち悪いと思っていたラリアートの顔だって受け入れられるくらいに。
「どうだ? いいか?」
ラリアートは笑っていた。あたしも声を出して笑っていた。お客さんに聞かせるような笑い声じゃなくって、控室で女の子といる時に出しているような声だった。
あたしは笑いながら服を脱がされ、笑いながらラリアートと
一週間後、もう少しでこんなことから手を引ける、そう思っていつものように早番明けに店を出ると、後ろから声がかかってきた。
「アイーシャっ」
ふりむくと、そこにはランドさんがいた。ディアゴスティーノさんの所に、ロメオさんの次くらいに長くいる人だ。
「ランドさん……。」
「アイーシャ、今日はもしかして上がりか?」
「うん」
「そっか……。じつは……その……」ランドさんは自分の頭を何度もなでていた。
「……どうしたの?」
「あ、ああ、俺も最近、ちょっとばかり時間ができて……退屈してるもんで……その……。」ランドさんは落ち着きなさそうに体を動かしていた。ぼそぼそ話すのが怖いけれど、声自体は優しい雰囲気のする人だった。
「……そうだよね、ランドさんたちも大変だよね」
「え?」
「あたしたちが仕事がなくなるんなら、ランドさんたちもお仕事がなくなってるってことだから」
「あ、ああ、そうなんだよ、まいっちまったぜ、嘘みたいに暇になっちまって……だからその……」
「まかせてっ」
「え?」
「あたしが皆をまたすぐに忙しくしてあげるからっ」あたしは駆けていった。
あたしのやろうとしてることは自分だけのためじゃない、ランドさんとかのためにもなる。言ってみれば、あたしのやってることはフェルプールの女だけじゃなくって、男のためにもなるんだ。遠くから、ランドさんがあたしを呼ぶような声が聞こえた。
ラリアートのなわばりに着くと、あたしはいつものようにラリアートに呼ばれる前の時間を、彼の酒場ですごしていた。
「……ねぇ、おにいさん?」あたしは前を通った部下の人に話しかけた。
「……ん? なんだ?」
「ここのお酒に飽きちゃったのよね……もっと刺激があるのなぁい?」
「ああ? 刺激があるのだ? もっと強い酒が欲しいってか?」
「お酒じゃないわ……分かるでしょ?」
あたしが煙管を吸う仕草をすると、部下の男はぎょっとして目を丸くした。
「お、お前……どこでそれを……。」
「前に来た時に、ラリアートさんに教えてもらったの。あたし、はまっちゃってさぁ……。」
「ボスに……。」
「そっ」
男はあたしをしばらく見つめてから周囲を見渡すと、奥の部屋に入っていった。やっぱり、ここにあれがあるんだ。
部下の男はあたしに煙管と薬の入った紙包みを渡すと、「やりすぎんじゃねぇぞ」と念を押した。あたしは部下がいなくなると、煙管に火をつけるふりをしてポーチの中にしまった。
あたしが中身をすり替えた煙草を吸っていると、後ろのカウンター席に座っている男たちの声が聞こえてきた。
「あのばばあの顔ったら、最高だったな」男の声は愉快そうだった。「ひとり200ジルの約束だった~とかわめきだしやがって」
「先輩、やり過ぎですよぉ」もう一人の男も笑いながら言う。「“知るかボケ”っていきなり殴ちゃうんだもん。マジうけましたわ」
「身の程をわきまえてないからだよ。子もちのばばあだぜ? カフェでの働き口なんてねぇんだよ。俺らのおかげで生きてけるんだから。ただでやってもいいくらいだ。金払ってやってるだけでも感謝しろっての」
「ひでぇ~」
「殴ったおかげで、やってるあいだ静かになったから楽だったよ。前は良いとこのカフェで働いてたっていうプライドがあったんだろうな」
「それを先輩が、文字通り鼻っ柱ごとへし折ったと」
「いい加減、現実の痛みを教えてやらなきゃならねぇ」
「鼻つぶれてたから、素直に口でやってくれましたよ」
男たちの笑い声を聞きながら、あたしの手の煙管はふるえていた。
「……だが、あのばばあも用済みだな。もうちょっとしたら、もっと若い女が回ってくるかもしれねぇぞ」
「どうしてです?」
「あのばばあは手始めだ。これから潰れた店の女たちが体を売りに回ってくる。それも、これまでより
「うぉ~、楽しみ~」
あたしがワーゲンさんみたいに大きな体の男だったら、今すぐにあいつらのところにいってぶん殴ってやるのに。怒りのあまり、あたしは頭がどうかなりそうだった。こいつらに一発食らわせてやる、そうでもしないと気が収まらなかった。
その後、あたしはいつものようにラリアートの所へ通された。ラリアートはベッドの上で、不機嫌そうに本を読んでいた。
「……こんばんわ」
やっぱり、煙管をやってないと不機嫌そうだった。ラリアートは
「……残念ね」
「……何がだ?」
「せっかくこの前は心を開いてくれたと思ったのに……。」
あたしが甘い声を出すと、ラリアートは本を閉じてこちらを睨み、そしてまた本を読み始めた。男の子供っぽさにはどこか可愛げがあるけれど、ラリアートの子供っぽさには可愛げがない。彼のそれは、大人になったら最低限残っていてほしくない感じの子供っぽさだ。まるで、掘り出したミミズをスコップでちょん切って喜ぶみたいな。ディアゴスティーノさんの子供っぽさとはまるで違う。
「この間みたいに笑って見せてよ。あたし、あなたの笑った顔が好きなの。そんな深刻な顔をしてるよりずっといいわよ?」
ラリアートはベッドから立ち上がると、部屋から出ていった。
戻ってきたラリアートの手には煙管と紙包みがあった。
「あなたの笑顔の
それからラリアートはあたしの隣で煙管をやり始めて、すぐに上機嫌になった。彼はあたしにも勧めてきたけれど、あたしは「あなたを気持ちよくできなくなっちゃう」と断った。今夜のあたしは
上機嫌になったラリアートと、あたしはすぐに事を始めた。
さすがにギャングの頭をはるラリアートとはいえ、薬とお酒をやった上に5回も果てさせたらぐったして動かなくなった。もしかしてこのまま死んじゃうんじゃないかってくらい息も小さかった。……よし。
あたしは服を着ると、念のためにポーチにラリアートが吸い残した薬を入れて部屋を出た。階段を下りるともう誰もいない。ここを自分の部屋にしてるのはラリアートだけというのはもう調べていた。どうやら、ラリアートは人づきあいが嫌いらしくって、夜になると完全にひとりになりたがるようだった。
あたしは部下の人が薬を取りにいった部屋に向かう。部屋に入ると、すぐに変な臭いに気づいた。フェルプールの鼻にはこの臭いはすぐに分かる。
並べられた木箱のひとつをあけると、そこにはあの包み紙があった。
「やったぁ……。」
あたしは包みをひとつとる。ようやく、ラリアートたちが悪いことに手を染めてる証拠を手に入れた。あたしはポーチに包みを入れようとしたけれど、手が震えて上手くいかない。
「おちつけ……おちつけあたし……。」
あたしは大きく深呼吸しようとした。けれど……。
「むぐぅ!?」
「……ただの雌猫だと思って油断した。とんだ泥棒猫だったな」
聞き覚えのある、そしてもう二度と聞きたくなかった声がした。
「う……く……。」
「そんなものを盗んでどうしようってんだ?」
混乱して目の前がぐるぐる回っていた。あたしはふるさとのママや弟たちの姿が目に浮かんだけれど、とっさにこの人の名前を思い浮かべていた。
──ディアゴスティーノさん……
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